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新型出生前診断の倫理的ジレンマと来たるべき社会

児玉聡京都大学大学院文学研究科准教授
新出生前診断で胎児の染色体異常がわかった場合に9割以上は中絶される(写真:アフロ)

主張1:女性の中絶の権利は保障されるべきだ

主張2:障害者を差別してはならない

あなたはこの二つの主張に賛成するだろうか、反対するだろうか。この両方に賛成する人は、新型出生前診断がもつ困難な倫理的ジレンマについて考えてみてほしい。

(新型出生前診断については、文末にある囲みを参照)

新聞社説から考える

この倫理的ジレンマについて考えるには、以下の社説を読んでみるとよい。

妊婦の血液から胎児のダウン症などを調べる新出生前診断を3年間で3万615人が受診したことが分かった。診断が始まった2013年度は7740人だったが、14年度は1万60人、15年度は1万2815人に増えた。

このうち、染色体異常の疑いがある「陽性」と判定されたのは547人。羊水検査に進んで異常が確定したのは417人で、94%にあたる394人が中絶を選んだ。重い決断だっただろう。

(中略)

高齢妊娠の増加を背景に、障害による「命の選別」の問題を抱えた検査は確実に広がっている。3年間の診断状況やカウンセリングの在り方を検証して、出産するかどうかで悩む人たちを支える体制の整備を進めたい。さらに、障害を社会でどう受け止めるかについて幅広い議論が必要だ。

(中略)

今年は障害者差別解消法が施行されたばかりだ。障害者を排除せず、共に生きる社会の在り方も同時に考えなければならない。

出典:京都新聞 新出生前診断 妊婦ら支える体制こそ 2016年07月21日掲載

この社説の要点は、次の二点である。

  1. 新型出生前診断の結果を受けて染色体異常の胎児の中絶をした人が多くいたが、重い決断だっただろう。今後、新型出生前診断を受ける人に対するカウンセリングを充実させるべきである。
  2. 新型出生前診断は、障害による「命の選別」という問題を抱えている。障害者を排除せず、共に生きる社会の在り方を考えるべきである。

1.は、胎児の障害に基づき女性が中絶をすることを、称賛はしていないものの、理解を示すことで少なくとも許容しているように読める。一方、2.は、障害に基づく中絶は「命の選別」であり障害者差別であると問題視している。

この二点は、それぞれはもっともらしい主張だが、両者の間には明らかな緊張関係がある。

「女児なら中絶」だとどうか?

この緊張関係を理解するために、次のような例を考えてみてほしい。

現在でも中国やインドなどでは性別に基づく妊娠中絶が行われている。これは妊婦のお腹に超音波(エコー)をあてて検査し、胎児が女児であれば中絶するというものだ。この背景には、女性の地位が低いことや、結婚制度の問題などで女児を産むと経済的に不利になるという事情がある。(詳しくは拙著『マンガで学ぶ生命倫理』を参照。ちなみにこの部分は無料で読める)

こうした慣習に関して日本の新聞が次のような社説を書いたとしたらどうだろう。「エコー検査に基づいて女児を中絶することを選んだのは重い決断だっただろう。今後、事前の説明などカウンセリングを充実させるべきである。それと同時に、女性の地位を高める努力を怠らず、男女が共に生きる社会を目指さなければならない」。

多くの人は、この社説はおかしいと言うのではないだろうか。性別を理由に中絶を選ぶことは許容されることではなく、倫理的に不正であり、必要であれば法的に禁止しなければならないと考えるのではないか。

実際、イギリスオーストラリアでは性別に基づく中絶が禁止されている。米国のいくつかの州では、性別、人種、皮膚の色、障害などを理由に中絶することを禁じている(ただし、その合憲性をめぐっては争いが起きている)。また、その実効性は大いに問題があるものの、インドや中国などでも性選択目的での出生前診断は禁止されている。

取りうる三つの選択肢

問題はこうである。仮にあなたが、性別に基づく中絶に対しては「許されない」と考え、ダウン症などの障害に基づく中絶に対しては「望ましくないが許容できる」と考えているとしよう。すると、あなたは障害者差別について、女性差別ほどには真剣に考えていないことにならないだろうか。このような批判は、実際にダウン症の子どもをもつ親が主張することである。

それでは、どうしたらよいのだろうか。ここで取りうる選択肢は、次の三つだ。

  1. 性別に基づく中絶も、障害の有無に基づく中絶も、いずれも許容する
  2. そのいずれも許容しない
  3. 性別に基づく中絶は許容しないが、障害の有無に基づく中絶は許容する

あなたならどの選択肢を選ぶだろうか。1.と2.は一貫性があるが、いずれも極端で受け入れにくい。3.は現状に即していると思われるが、よく考えると「障害者を差別してはならない」という規範に抵触するように思われる。

選択的妊娠中絶がもたらすジレンマ

このようにどの選択肢も一見して受け入れがたく見えるのは、この選択の背後には困難なジレンマが潜んでいるためである。

一方で、女性の自己決定権を尊重するなら、中絶を女性の権利として認めることが正しいように思われる。その場合は、胎児が障害をもっていたり、望まれない性別であるという理由から中絶することも容認してもよいと思われる。

他方で、正義や公正の価値を重視するなら、人種や性別、障害の有無による差別的扱いに反対することが正しいように思われる。しかし、その場合は、人種や性別、障害の有無などの理由から中絶を選ぶという選択を認めることは困難である。

女性の自己決定権の尊重と、正義や公正の価値の重視は、我々の多くが認めるところである。しかし、このように、新型出生前診断がもたらす選択的妊娠中絶の問題は、その二つの価値が衝突する可能性を含んでおり、我々に難しい選択を突き付けている。

ダウン症の人がゼロになる社会

新型出生前診断は「臨床研究」という名の下ですでに3万件以上が行われ、既成事実化しつつある。すでに2004年からダウン症の有無について全妊婦を対象にスクリーニングを実施しているデンマークなどでは、近い将来にダウン症をもつ人はゼロになるのではないかと言われている

これが我々が求めている社会なのかどうか。中絶の問題はタブー視されがちだが、新型出生前診断がもつ倫理的ジレンマから目を背けていると、気付かないうちに望ましくない社会が到来することになるかもしれない。新型出生前診断が既成事実化する前によく議論すべきだろう。(了)

新型出生前診断とは

新型出生前診断(NIPT)とは、2010年代になって実用化された遺伝子検査で、妊婦の血液検査によって胎児の染色体異常を検査する新たな手法である。染色体異常とは、具体的にはダウン症などのトリソミーである。

この検査は、「胎児がトリソミーではない」という診断(陰性的中率)はかなり正確だが、「胎児がトリソミーである」という診断(陽性的中率)はそれほど確実ではない。そのため、この検査で陽性の判定が出た場合は、確定診断として羊水検査を受ける必要がある。

羊水検査を受けて胎児に障害があるとわかった場合、9割以上の場合で人工妊娠中絶が行われる。このように胎児が障害を持っているとか、その他の特徴によって中絶を選ぶことを選択的妊娠中絶と呼ぶ。命の選別と呼ぶこともあるが、この場合は非難の意を込められていることが多い。

妊娠初期に実施でき、血液検査だけで済むため、新型出生前診断は先進諸国で急速に広がりつつある。日本でも現在、3年前から「臨床研究」として、主に高齢出産(出産時に35歳以上)の妊婦に対して実施されている。当初、検査には自費で約20万円かかっていたが、現在はもう少し安くなっているという。

新型出生前診断について、より詳しくは、NIPTコンソーシアムのサイトを参照のこと。

なお、胎児の障害を理由に中絶することは日本では認められていないが、子どもを育てることが経済的に困難である場合は中絶できるという条件(母体保護法の経済条項)が拡大解釈されて中絶が行われているのが現状と思われる。

京都大学大学院文学研究科准教授

1974年大阪府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学。博士(文学)。東京大学大学院医学系研究科医療倫理学教室で専任講師を務めた後、2012年から現職。専門は倫理学、政治哲学。功利主義を軸にして英米の近現代倫理思想を研究する。また、臓器移植や終末期医療等の生命・医療倫理の今日的問題をめぐる哲学的探究を続ける。著書に『功利と直観--英米倫理思想史入門』(勁草書房)、『功利主義入門』(ちくま新書)、『マンガで学ぶ生命倫理』(化学同人)など。

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