Yahoo!ニュース

ゴミとして廃棄される物が「食品」として出回った。消費者は「安い食品」を買うべきではないのか?

佐藤達夫食生活ジャーナリスト
(写真:アフロ)

■「安いものには理由がある」のはたしかだが、その理由とは・・・

《カレーハウスCoCo一番屋》が廃棄したビーフカツが横流しされて流通した事件は、消費者に大きな衝撃を与えた。愛知県警と岐阜県警は合同捜査本部を設置して事件検討会を開催し、本格的な捜査に入った。同様に、環境省も、廃棄物は商品として転売できない形で処分されるようにする再発防止策のまとめに入った。

警察が介入していることからもわかるように、この事件は「犯罪」である。犯罪の防止は捜査を厳しくするなり、法律を変えるなりして厳重に対処しなくてはならない。

一方で、今回の事件を契機に、「食品の価格」に関する議論がアチコチで展開されている。私も、先日、A新聞から電話取材を受け、たぶん30分くらい話をした。その結果、下記のようなコメントが紙上に掲載された。

「食生活ジャーナリストの会」の佐藤達夫事務局長は「安いものには必ず理由がある」とした上で、出どころを店に尋ねることを勧める。出どころを尋ねて答えられるかどうかは店を選ぶ基準になる。そういう消費者の行動が、無責任な店を減らすことにもつながる」と指摘する。

インタビューのごく一部だけをコメントとして採用することは、新聞であれば当然のことなので、その点は仕方ないとして(今回はそれがテーマではないし)、私のこのコメントが誤解を生じているかもしれないので、少し補足したい。私が「安いものには必ず理由がある」といったのは「粗悪なものを材料にしているという理由で安いのだから、安い物は品質がよくないものである」という意味ではない。

食品の価格(食品に限らずすべての商品の価格)の決定はきわめて複雑である。仕入れ価格に利益を上乗せして販売価格が決まる、というほど単純ではない。人件費、流通経費等はもちろん、実際にかかる経費だけではなく、生産ロット量、精算の期日や方法、需要と供給の関係、購入対象の経済状態、競合商品の価格等々、様々な要素が複雑に絡んでくる。そのような条件の中で、「安いほうが売れる」というのが消費経済の基本中の基本なので、事業者は価格を低く抑えようと最大限の企業努力を重ねている(はずである)。

私が「安いものには理由がある」といったのは、主としてこういう意味である。安価なものは必ずしも原材料費が安いとは限らないし、安いものは粗悪なものであると決めつけてはならない。もちろん「安かろう・悪かろう」という食品も少なくはない。しかし、廃棄されるべき品物が流通してしまったという「犯罪」を例にあげて、「安い食品は悪い食品」だと決めつける(言外に「高い食品がいい食品」だと臭わせる)のは早計にすぎる。

また、今回の“ビーフカツ事件”を取り上げて「安い食品は安全性に問題がある」といわんばかりの論調まで出現している。これは明らかに勇み足だ。

■高価な食品でも安心できない例はたくさんある

一般的に考えて、価格と安全性は相関しない。食品の安全性は、価格とは関係なく、たとえば日本では食品安全委員会がその評価をし、厚生労働省や農林水産省や消費者庁が管理する。「安いものだから安全性が損なわれても構わない」ということは断じてない。安全性に問題があるものは、価格にかかわらず注意喚起や規制が行なわれる。

「安全」のほうはそうだとしても「安心」のほうはどうだろうか? 「安価な食品よりも高価な食品のほうが安心できる」という人は多いかもしれない。でもかつて、東京・新宿の超有名デパートで超高級ブランド牛肉の偽装があったことを忘れてはいまい。京都の超高級料亭、あるいは全国の超高級ホテルでのメニュー偽装などもまだ記憶に新しい。高価な食べ物でも安心できない例というのは、枚挙にいとまがない。

だからといって、食品の価格は安ければ安いほうがいいなどというつもりはまったくない。キレイゴトをいうようだが、食品は「適正な価格」で取引されなければならない。適正な価格というのは、最低でも生産者が「再生産できる」価格であること。もちろん、生産者が豊かな暮らしを営むことができ、若者が参入したくなるような状況のほうがより好ましい。

しかし、逆に「高ければ高いほうがいい」などということもないはずだ。コト食べ物に関しては、富める人も貧しい人も・選挙権を持つ人も持たない人も・北半球に住む人も南半球に住む人も、あまねく「健康的に暮らせる」だけの量と質が口に入らなければならない。過剰なおいしさや過剰な安全性を追求するが故に、経済的に恵まれない人たちの口に入らないような価格設定になるようなことがあってはならない。

この矛盾した構造を解決することこそが「政治」である。

安い食品を購入する人たちは、何も好きこのんで安いものを買っているのではない。高い食品を買えない事情があるからこそ安いものを購入しているのだ。昨今「消費者が安い食品を購入するから今回のようなことが起きる」というような意見も見聞する。まるで、廃棄物を食品として流通させた下劣な犯罪の責任が消費者にあるといわんばかりだ。まったく無関係だというつもりはないが、的外れな論理である。安い食品を選択する消費者に、今回の犯罪の責任はない。

もし責任があるとするなら、それは「安いもの=廃棄を低価格で引き受ける業者」を購入(選択)したカレーハウスにこそあるだろう。事業者は、廃棄を低価格で引き受ける業者がきちんと廃棄するかどうかを確認する義務があるし、今回のような犯罪を誘引した「低価格設定」の当事者としての責任がある。廃棄物として引き渡したのだから、あとは廃棄物処理業者の問題だ、という言い逃れは通用しない。

食生活ジャーナリスト

1947年千葉市生まれ、1971年北海道大学卒業。1980年から女子栄養大学出版部へ勤務。月刊『栄養と料理』の編集に携わり、1995年より同誌編集長を務める。1999年に独立し、食生活ジャーナリストとして、さまざまなメディアを通じて、あるいは各地の講演で「健康のためにはどのような食生活を送ればいいか」という情報を発信している。食生活ジャーナリストの会元代表幹事、日本ペンクラブ会員、元女子栄養大学非常勤講師(食文化情報論)。著書・共著書に『食べモノの道理』、『栄養と健康のウソホント』、『これが糖血病だ!』、『野菜の学校』など多数。

佐藤達夫の最近の記事