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世界的パワースポット セドナに引っ越すと人はどう変わるか ヒーラー界のティーチャーに聞く2

佐藤智子プロインタビュアー、元女性誌編集者
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セドナの形而上学のティーチャー、クレッグ・ジュンジュラス氏。幼少期から霊的なパワーを持ちながら、それを隠して、社会に適応しようとしてきました。10代の頃からアルバイトを始め、清掃員、新聞配達員、レジ係、コーヒーショップ店員、庭仕事、カレッジを卒業してから、大手化学会社の研究開発室に勤め、29歳からサイキックファンデーションディレクターとなります。その後、形而上学ティーチャーとして、クラスを持ち、個人セッションを行い、ラジオ番組を持ち、タロットの本も出版。一躍話題となりますが、そのステイタスに甘んじることなく、ビルのメンテナンスの仕事につくなど、彼のキャリアは次々と変化、挑戦に向かいます。

生まれ育ったNYから、また、ステイタスの仕事を捨てて、セドナに向かった理由とは?

シリーズ1はこちら

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Q そもそも、どうして、セドナに住もうと思ったんですか? クレッグはNY生まれで、NY育ちですよね?  

A 僕は、その時、NYで、ヒーリングの上級クラスを教えていました。そして、キッチンのテーブルにアメリカの地図を広げて、深い呼吸をして、地図を見ないで、後ろ手で地図にピンを指しました。そこがセドナだったんです。

Q その時、セドナのことを知っていたんですか?

A いえ、まったく(笑)。だから、調べました。

Q それまでは、ずっとNYに住まれていたんですよね。その時の心境としては、もうNYに住み続けるのはちょっと疲れた、という感じだったのでしょうか?

A セドナを初めて選んだ時、僕は30代でした。僕は、人生でずっと同じ場所に住むべきではないと思ったんですね。同じ場所に生きて、そして、死んでいくのではなくて、2、3年でもいいから、どこか違うところに住みたいと思ったんですよ。

Q それは、リフレッシュしたかったんですか、それとも、人生を変えたかったんですか?

A まあ、いろんな要因が含まれているんですけれども。変化するのが怖いから、同じ場所にいるというのはイヤだったんです。人は、自分にチャレンジを与えることで、自信を育めますよね。僕がNYに住んでいた時は、冬になると、寒さと、曇りの日が多くて、気分がふさいだんですよ。雪からも離れたいと思いましたね。セドナは、1年の320日くらいが晴れています。

Q ただ、NYのような大都会に生まれ育って、田舎に引っ越すことは大丈夫だったんですか? 

A 僕は、NYの北の郊外に住んでいたんですね。だから、木もありましたし、鳥のさえずりも聞こえました。だけども、母が住んでいるところには、木はありませんでした。僕も、マンハッタンの中心で5年働いていました。

Q 何のお仕事をしていたんですか?

A マンハッタンの中心にある、60階建てのビルのメンテナンスとして働いていました。僕の生徒の一人のだんなさんが、そこでマネージャーをしていたんです。クレッグはいろんな修理をしたり、手先が器用だし、一生懸命働く人だからということで、雇ってもらいました。また、化学の分野で、8年働いていたことも知っているし、建築関係にも携わっていたことを彼は知っていました。彼に助けが必要だったので、何週間か、お手伝いしました。それで、この仕事に残ってくれと言われたんですね。5年目にはメンテナンスだけでなく、建物の全体の配置を任されるチーフエンジニアにもなりました。

Q でも、一方では、ヒーリングクラスのティーチャーでもあったわけですよね?

A そうですね。だから、彼の奥さんと出会ったんですね。僕は、高校と大学で、生涯教育のクラスを持っていました。サイエンス的なクラスや、超心理学を教えていました。

Q 先生として極めずに、いろんな仕事をするのは、何か意味があるんですか?

A 僕は肉体を使ったことをやっていたいんですね。そして、男性として、肉体を使った仕事をすると、健康的にもよかったし、気持ちもよかったんですよ。そして、自分の思考もシャープになるし。物質的な世界で問題を解決することが、僕にとって、大事なことでした。すごく、グランディング(地に足がつく)させてくれるんですよね。だから、10年間、NYの近くのハーキマーというところで、クリスタルの発掘もしていたんです。ヒーリングの先生として働く前に、大企業の医療の技術者としても働いていました。研究開発の部門で全米500社の中に入るような企業に勤めていました。微生物学と生化学の研究室を運営していました。1970年代です。それから、心理学を勉強し始め、自分で自分を助けるというような本を読んだり、特にリラクゼーションの本を読んだりしましたね。自己催眠についても学びもしました。

Q それは何のためにですか?

A 自分自身を改善したかったからです。仕事であまりにも緊張してしまっていたからです。

Q でも、大企業に勤めていて、ステイタスがあって、それだけの技術やキャリアがあったら、日本だったら、もっと上に上がっていきたい、昇進したい、スペシャルな人間になりたいと思って、みんな、我慢したり、走り続けたりしているんですが。それを手放すことが、なぜ、できたんですか? その勇気はどこから?

A 確かにそうです。でも、僕は、自分がハッピーではないことに気がついたんです。いい仕事、いいお給料、いい手当…。僕は、よくキャンプに行っていました。キャンプに行っていた時は、僕はとってもハッピーなんです。でも、仕事場では、僕はもう、病気になっていました。緊張のあまりに。ストレスのあまりに。

Q どういう感じになっていましたか? 自覚できる症状として。

A 毎年、緊張が増していると感じましたし、足が燃えつくような感覚がありましたし、頭痛もありましたよね。だけど、夜とか、週末は、大好きな絵を描いたり、曲を作ったりしていました。そういうことをやっている時が、自分が一番ハッピーなんだと気がついたんです。

Q 気を紛らわしていたんですね。現実逃避をして。仕事は頑張ってやっていたんだけど、それでは幸せを感じず、キャンプや絵を描いていると、自分が幸せだということが、より際立ったんですね。違いがはっきりとわかってしまった。

A そうです。だから、200冊以上の本を読みましたね。そして、クラスも受けました。そしたら、解放の糸口を見つけることができたんです。入口が見つかったんです。入口というのは、ある人に、サイキックセンターのディレクターにならないかと言われたのです。それがきっかけとなって、今の仕事に進んでいきました。僕が初めてヒーリングクラスを受けた時は、サイキックとか、ヒーリングとか、まったく信じていませんでした。だけども、すごくポジティブな結果を感じたんですよね。

Q どんなポジティブな結果があったんですか?

A 例えば、1年半くらい、私はトークセラピーというのを受けていたんです。そしたら、僕の意識にないことに気がつけたりしたんですよね。子供時代のこととか。週末のヒーリングクラスを受けることで、1年半続けたトークセラピーよりも、もっと大きいものを得ることができたんです。僕は、ヒプノセラピストに会いにいって、3回深呼吸をして、すぐにリラックスの状態になることができて、クラスで学んだテクニックを一つやると、頭痛がなくなるというようなことがあったんです。だから、僕のサイエンス的なマインドが、こういうことは実際うまくいくんだと実感できたんです。だから、もっと本を読みました。古代の教え、哲学、心理学、東洋の易学、仏教、キリスト教についても読みました。それらに共通するものは何か、核となっているものは何か、というのを探究しました。

Q それは、何歳くらいの時ですか? そういう探究をしていた頃は?

A 20代半ば、25、26歳くらいですよね。28歳で仕事を辞めました。だから、3年間はしっかりと学びましたね。仕事をしながら、学んだんです。仕事があるからということは理由にしませんでした。未だに僕は、一方では大工の仕事をしたり、木を切ったりしていますよ。 

Q なるほど。その20代後半の時は、仕事でストレスを抱えて頭痛になりながらも、どうしてなのか、という探究心で勉強をしていたんですね。仕事を続けながらも。

A そうですね。夜のクラスや週末のクラスを受けたりしながら。あと、スキルを伸ばすために、サイキックフェアとかに行って、リーディングをボランティアでやったりしていましたね。

Q ちょっと、下世話な話ですけれども、そういう勉強のために、いくらぐらいお金を使いましたか?

A 僕が仕事を辞めた時、最初に本を買うんですね。そして、クラスの受講料を払います。それから、食糧を買います(笑)。

Q ああ、もう、優先順位がそうなっていたんですね。

A そうです。あとは、自分で食べ物を育てて、マメとか、トマトとか、じゃがいもとかを育てて。正直に言うと、時には、お母さんの家に行って、ご飯を食べないといけないこともありましたよ(笑)。

Q なぜ、こういう質問をするかというと、多くの働く日本人は、つらさや痛みを感じていても、時間がなくて、お金がなくて、クラスには通えない。優先順位はそこではない。

A それを僕は、中世の商人団体、組織に囚われてしまった人たち、と呼んでいますね(笑)。ハムスターみたいに、オリの中で、ずっと走っているように僕には思えます。人は、自分でマインドの状態を変えることができるし、自分の好きな仕事につくことはできるんです。だけど、他の人と同じようになろうとすると、ハッピーになれません。恐れで生きていると、

仕事を失うかもしれないと思っていると、あなたが縮こまってしまって、ハッピーじゃなくなってしまいます。だから、僕は、3年間仕事を頑張って、そこで得たお金を学びたいものに使いました。それは、サイキックなことでなくてもいいんです。花が好きだったら、花屋さんを開くためにどうすればいいかを3年間かけて学ぶ、クラスを受けたりして。そして、花を売ってみるようなことをどこかのイベントで実践したりしながら。だから、今ある仕事は、あなたの未来のために使うんです。

Q 未来の自分への投資のようなことですね。

A そうです。だから、マンハッタンにいた時には、そこで得たお金をセドナに引っ越すために使いました。セドナでは、4、5年間家を建てる仕事をしていました。そして、いろんなところを旅しながら、週末はクラスを教えていました。マンハッタンにいた時には、1カ月に1回か2回は、ハーキマーにクリスタルを取りに行っていました。だから、自分が望む未来のために、今稼いでいるお金を投資していくんですね。僕は、ヒーラーでもないし、サイキックでもありません。ただ、そういうような仕事をして、人助けをしているんです。僕が稼いでいるお金のいくらかを使って、自分の音楽のCDを作ることに今、投資しています。レッスンを受けたり、そのためのプログラムを買ったり。本を書くための投資もしています。

Q つまり、チャレンジは、止めてないんですね、今も。

A はい。自分が停滞しているとは思わなくていいんです。そういうふうに思うべきではありません。あなたがずっと先の未来を見た時、自分が停滞しているのを想像したくはないですよね。だから、宇宙に言うんです。「私は、次に、こういうことがしたい」って。そして、パワーを表に出していくんです。それは、メンタルプロジェクションでも、祈りでも、なんて呼んでもいいです。あなたが呼びたいように呼べばいいです。今、僕は62歳です。そして、願いを表に投影しています。66歳までには、リタイアしたいんです。それで、本を作っています。それによって、収入が入りますよね。そして、ヨーロッパに旅を始めたいなと思っています。1年に1回は。そして、1年に1回はハワイに行って、大きなリトリートをしたい。なぜなら、ハワイの人の考え方が大好きだからです。だから、もし必要であれば、小さな本屋から教えるのでもいいんです。春に種をまいておいて、秋に収穫ができるようにする。そしたら、そういうことに対してポジティブな人や状況を引き寄せるようになります。

Q なるほど。自分の人生は自分でデザインしていけるんですね。

A そうです。

シリーズ3に続く

プロインタビュアー、元女性誌編集者

著書『人見知りさんですけど こんなに話せます!』(最新刊)、『1万人インタビューで学んだ「聞き上手」さんの習慣』『みんなひとみしり 聞きかたひとつで願いはかなう』。雑誌編集者として20年以上のキャリア。大学時代から編プロ勤務。卒業後、出版社の女性誌編集部に在籍。一万人を超すインタビュー実績あり。人物、仕事、教育、恋愛、旅、芸能、健康、美容、生活、芸術、スピリチュアルの分野を取材。『暮しの手帖』などで連載。各種セミナー開催。小中高校でも授業を担当。可能性を見出すインタビュー他、個人セッションも行なう。

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