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「出る杭でも打たれない」絵本作家五味太郎に聞く1~人の役に立ちたい人が一番役に立たない

佐藤智子プロインタビュアー、元女性誌編集者
撮影/ナカンダカリマリ http://nakari5.tumblr.com

このページでは、プロインタビュアー 佐藤智子が、あらゆる職業、地域、年齢、性別、国籍を超えて、さまざまな方にインタビューいたします。

エンターテイメント以外にも、トラベル、教育、ビジネス、健康、美容、芸術、カルチャー、ライフスタイル、スピリチュアルなどのジャンルから、インタビューを試みます。 

「自分の好きなことをやって、生活できたらどんなに幸せだろう――」。

多くの人が憧れる生活を何十年と続けている人がいる。絵本作家の五味太郎氏。

若い頃から、劇団の旅公演に参加したり、マネキン制作に携わったり、デザイナーとして活動したり。興味のある仕事を次々とやっていくうちに、いつのまにか絵本作家になったという。「子どものために」「教育のために」という考え方ではなく、絵本は「発見、発明」だと話す。楽しいことを見つけることの天才。好きなことをやり続ける達人。でありながら、商業的アーティストでもある。

28歳から絵本作家を始めて、71歳の現在、最新刊『きをつけて1・2・3』(童心社)まで、378冊。

これほどの著者数を誇る絵本作家は世界中どこにもいない。

作品は、日本国内にとどまらず、海外25か国翻訳され、国内外で講演会にも呼ばれる。

独特のストーリー、言葉選び、色使い、デザイン、どれをとっても個性的で、五味太郎ワールドが展開する。子どもにこびることも教えることもない姿勢が、かえって、子供たちからの絶大なる信頼を受け、大人子どもにかかわらず、作品は人気を博している。

一番の特徴は、その枯渇することのない豊富なアイデア、奇想天外な発想力。それを裏付けるユニークな私生活。つねに沸き立つ好奇心を行動で試すという、直感的日常。

五味太郎という人の生き方は、現代のあらゆる問題にヒントをくれるのではないか?

そんな思いから、業界でも有名な一筋縄ではいかないという大御所に果敢にインタビューを試みた。

あえてフランクに、雑談のようなインタビューを目指して、そのキャラクターに迫る。

「好きなことが見つからない」「やりたいことができない」「やりたいことをしても生活ができない」という若者やアーティスト、仕事、子育て、恋愛など、あらゆる悩みに活路を見出せる気がした。

「こんなやり方があったんだ」「こんな生き方があるんだ」が垣間見られるインタビュー。

●好きなことを見つけた人の考え方

著書378冊の絵本作家、五味太郎に聞く

「人の役に立ちたいと思ってる人が一番役に立たないよね」

70歳をすぎてもワクワクが止まらない大人、五味太郎

自分の生き方を言い切る潔さがいい。

「縛りがないんだよね、俺のやることって」

「俺、自分の本を読むの、大好きなのね」

「自分で自慢するんだよ、すごいだろうと」

「俺はあまり、説明がないよね」

「大人目線がないねって、よく言われる」

「子どもに教えようと言う気がまったくないのね、俺」

「他の人のやっていることって面白いじゃない。ちょっと俺にもやらせてよって」

「美術館はなるべく速く歩きなさい、と俺は偉そうに言うの」

「店に入ったら、洋服が話しかけてくるんだよ」

「その日のために鍛えた直感っていうのが大事なんだよね」

「みんなが自分の人生をやらない、やれない、やる力を蓄えてない」

独創的な考えと直感的な行動力に裏付けされる五味語録。

楽しいことをやり続けている人の人生っていったい。

好きなことを見つけて、それを生業にして、

成功している人って、どんな発想を持っているのだろうか。

独自の視点が際立つ、驚きのアーティスト生活とは。

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Q 五味先生の本を、今回まとめて読もうと思って、図書館に行ったら、すごい数あって、一応90冊は読みました。絵もすごくかわいいし、デザイン的だし、色もステキ。アイデアも斬新で、「へえー」って。たとえば、『ももたろう』(絵本館)でも「きゅうりたろうもいたんですよ。有名じゃないけどね」みたいな。

A うん、うん。

Q 発想がすごく面白くて、ちょっと笑っちゃう感じなんですけど。

A うん、うん。 

Q 五味先生の作品は、400冊以上と言われていますけど、実際今、何冊なんですか。

A いや、その450とか500とか言っているのは、外国のバージョンがいっぱいあるから。数を出すときりがないんで。完全なオリジナルっていうのは、この前調べてもらったら、たぶん378冊だと思うんだよね、正確には。

Q 378冊。すごい。

A もしかすると、合本になったりするのもあったりすると、それはカウントするのかな、もう数がめちゃくちゃなの。正式なブログで、僕のほうでやらなくちゃいけないのだけど、378冊ということと、120タイトル以上が25か国ぐらいに翻訳されている。そんなん出てるのか? もうめちゃくちゃ。「もうどうでもいいや」と思ってる。

Q (笑)。

A いやもう、ほんと、どうしようもない。つくるのが、俺、大好きだから。

Q そうですよね。

つくるのが俺の仕事でしょ。そっから先は、営業があって。さらに言うと、外国のフェアに出したりすると、エージェントがまた動いて、外国の出版社がやって来て、「これ出しましょう」と。あとはもう俺の仕事じゃないわけ。

Q 売り込みとかされたこと、あるんですか?

A 全然。いや、初期の頃?

Q いや、今日のお話、いろいろ資料とかも読ませてもらって、全体的なトーンとして、どういうインタビューにしたいかというと、五味先生が「ワクワクする人生を送っているまさに、代表者だなあ」という感じがするので、

うつうつだよ、俺。

Q (笑)そう言われたら、元も子もないんですが(笑)。好きなことをやって、そして生業(なりわい)として成功されている方っていうので。

A 成功してるしないは、全然、わかんないけど。

Q わかんない?

A うん。

Q そういう憧れの、みんながいいなと思う人生を送っている方がどんな人なのかなというところで、今日はお話を聞きたいと思っているんですけれど。だいたい日本で1番じゃないですか。378冊の絵本を出されているのって。

いやもう、世界で1番だよ、はっきり言って。

Q 世界で1番ですよね。自分としては何がウケていると思いますか、これほどまでも。

A 面白い。

Q ご自分なりにちょっと。

一番簡単なことを言うと、縛りがないんだよね、俺のやることって。これはもう、別に計算したことでもなんでもなく、あとでだんだん気がつくことだけど、やっぱ、絵なんだよね、基本は。

Q やっぱりそうですよね。

A 絵は基本的にsuper languageなんだよね。

Q うーん。かっこいい。

そう。「かっこいいな」と自分で思っちゃうしかないんだよ、ね。

Q 実際、かっこいいですよね。

A 去年10月に、たまたまあるギャラリーがあって、気に入ったので、「何かやろう」って。何かはできるはずだから、とりあえず予約をとっておいて、2週間ばかり。何やろうって考えたら、外国で出ている本、日本人があまり見たことのないものをと。たとえば、『仔牛の春』(偕成社)っていう名作があるんだけど、フランス語やイタリア語になったりしているのをね。同じ表紙だよ。タイトルのタイポグラフィが変わってドーンと並べて、そのとなりには『みんなうんち』(福音館書店)みたいなとんでもないやつを、十数国のを並べるのは面白いかなと思ったら、結構面白かったよな、はっはっは(笑)。

Q いろんな言語で。

A そう。見ていて楽しい。発想は簡単で、自分で「自慢してやるべえ」と思ったわけ、うふふふ(笑)。ね? 「すごいだろう」って。自分でも見たら、感動しちゃってね。

Q それはどういうところが? いろんな発想ができるということですか。

A んー、じゃなくてー。もちろん色気をつけるために、外国で仲良い出版社の人たち、信頼できる編集長たちに、「こういうことをやるから、コメントをください」と頼んで。スペインのおじさんが五味太郎について思いを語るわけ。そんな語りは、頼んだ覚えないんだけど、もっと軽くと思ったんだけど(笑)。1時間ぐらいしゃべっているんだもの。

Q へえー。

A 彼は、あるフェアで、五味太郎の『言葉図鑑』(偕成社)を見て、「これはすごい」って。スペインでは、その頃知られていなかったから、「俺がスペインで五味太郎を育てたんだ」と、延々、なぜ五味太郎をこれほど俺は愛するのかと。バスクのじいさんが語り、アメリカの編集者が語り、台湾の人が語り、タイのバンコクの出版社の人が語って、っていうのを、ビデオで流したわけ。それで、片っぽに絵がいっぱい、本がいっぱいあって。20タイトルが全部複数あるような。それを俺が見ていて、何を思ったかというと、「なんでこんなん、なっちゃったんだろう」って。

Q (笑)気がついたら。

A そう。

Q その、語られている人たちの話には共通点があるんですか。それとも、みんな、それぞれの意見で五味先生のことを語っているんですか。

それぞれが面白いんだよね。聞くと「なるほどな」って。

Q たとえば、どういういうことを?

A たとえばさ、オリエントの人間っていうふうに見る方がいるわけだよ。これは日本のプレゼンテーションだけど、それこそ芸者ガールと、扇子とかっていうジャパネスクってあるじゃないですか。ジャパンって見ていた中に、「えって?! こういうオリエントもあるんだ!」っていうのを五味太郎を通して見たと。どういうことかというと、たとえば「神様はどこにでもいるんだよね」っていう。彼らはやっぱり、ヨーロッパでは一神教なわけ。で、俺たちは、宗教の意識は少ない人間だから、「すべてのものが輝いているよ」って、すべてものを敬う。「八百万の神」という文化圏に僕たちは生きているから、実際、「電信柱が語る」っていうことは平気でやるわけ、俺は。

Q なるほど。

A 女の子が歩いていると、電信柱が「おいおい。あのさ、どこ行くの?」っていう。「ちょっと、あっち行くんだよ」っていうようなことが平気で行えることが、最初すごく不思議だったんだって。「なるほど、これがオリエントかもしれない」もちろん、彼の意見だけど。

Q うーん。面白い。

A で、ある人が見れば、クリスマスの本で『まどから おくりもの』(偕成社)みたいなのも、「東洋人が描いたクリスマスっていうのはおもしろいね」(笑)って言う。これ、オランダで初めて東洋の人の描いたクリスマスなんだけど。俺は、クリスマスってものは宗教的には全然捉えていないわけ。イベントだなと思うわけ。それも、「贈り物合戦だよね」って。その贈り物を工夫する絵本。「考えてみたらさ、こうなんだよね」って、彼らも再確認するというのが、あるじゃないですか。

Q なるほどね。じゃ、電信柱が話す、擬人化する表現が、魂が宿るみたいなオリエント的な、そういうのを感じてくださいってことですか?

A うん。俺はあまり説明がないんだよね。

Q 奥が深すぎますよね。

説明は各人がつけるだろうと思っているわけ。それからもう一つは、台湾の出版社の社長が「大人目線がないのね」っていう。他は、子どもたちに教えてあげようみたいなことばっかりやっているわけ。俺、まったくその気ないのよね。Q ですよね。(笑)なんか、そこがすごい特徴ですよね。

「児童書」という世界があったんだよ。俺がやっているのは、「絵本」っていう世界なんだよ。picture book。で、辞書を引くとね、「絵本」を訳すときに、「children's book」って訳し方と、それから「picture book」「pictorial book」っていう訳し方がある。で、俺が今興味のあるのは、絵本なのね。

Q じゃあ、picture bookのほうですか。

A うん。絵で、どうやって表現して、それに文章なりストーリーなりをいろいろと加味ができる。加味しなくたっていい。つまり、絵でどのくらい表現できるのかなっていう、お楽しみをずっとやっていると、これがね、ガキまで読めるということなんだよね。

Q 字が読めない子たちにもね。

A うんうん。だから、逆に言えば、絵を読めない能力の人は読めないんだよね。

Q ああー。じゃあ、図らずも、絵本って子どもにまで読めちゃったっていうだけの。

A だから、古い伝統の方はついズレてくるんだけど、今の若い人は「そうだよね」って、割と素直になってきた。最初の20年はそこの説得というか、ほったらかしておくのが面倒くさかった。よく議論があって、「これは誰のために?」「子どもたちに何を教えるんですか」って、「なんにもないんですよ」って話をずっとしていたんだけどね。それはもう、今も時々とぼけたやつがいるからね。まだわかっていないのがいるから。「これ、子どもにわかるかな」とかって。「お前にわかんないだけだよ」(笑)。

Q なるほど(笑)。

A 真面目だから、日本の人は。

Q そうですよね。

理論の裏付けが、誰かの先生が言っているとか、それで則ってみるから。判断がつかないのよね。

Q なんだか、児童書とか絵本とかをつくられていると、教育的な考えがおありなのかなって、皆さん思われますよね。

A でも僕は、自然に出てきた教育観が、あまりにも違うよね。君の言っている、何を得意にして何をして生きていくかというような話と全くリンクするわけだよ。

Q そうですよね。

A そうでしょ? そうすると、自然にやっぱり、そういう形のものが出てくるものを、ずっと見ていたというだけの話だよな。

Q 結局ね、多くの人が五味先生みたいな生き方をしたいんですよ。いつの間にか絵本作家になっていた、みたいな。

みんな、焦りすぎているんだよ。世の中の人が全部そう思っているわけじゃなくて、そういう人もいるねということ。

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Q そういう人もいるということかもしれない。その「いつの間にか、絵本作家になっていた」という、話を聞きたいのですけれど。元はと言えば、何をされていたんですか。

A 元はと言えば?(笑)

Q デザイナー?

A いや、そういう職業名みたいなものも適当なもんでね、あえて自分で言うならば、考えているのは好きなのね。ただ考えているだけだと、かっこつかないから、考えていることを落とし込む、いわゆるメディアが必要だよねって、思うじゃないですか。その考えているという形の手段を、建築という形のものを建築家はやる。絵描きは絵を描く。音楽の人は…。それをある思考の中を表現するというのは、ある程度原則的に同じでしょうね。表現するという形のものが、俺にとっては絵本という形をとったんだろうね。

Q 表現者ですかね。何か資料でですね、最初、絵本作家になるまでに劇団の旅公演に行ったりしていたと。

A うーん、ちょっと。

Q ほかにも、マネキンをつくったりしていたと。

A 他の人のやっていることは面白いじゃない。「何してるの? ちょっと俺にやらせろ」って。近所のペンキ屋さんとか。

Q そのチョイスは何がきっかけなんですか。

A なんもないよ。ぶらぶら歩いていると、なんかやっているじゃない。

Q やってみたいと思って。

A やってみたくないのが多いけど。

Q ははは(笑)。

A 時々やってみたいのがあるじゃない。

Q そう、そこが知りたいんです。時々やってみたい、たとえば、五味先生のやってみたいことってどんなことですか。

A それは、たとえばテレビを観ててもさ、サッカーのピーって笛吹くやつ、やってみたいなって思うじゃないですか。かっこいい。だって、ネイマールとか偉そうなのに、ビーってやって黄色いの出せるんだよ。「あれ、ちょっといいな」と思うじゃない。

Q サッカー選手のほうじゃなくて、笛吹いているほうが。

歌舞伎なんか時々観に行ったり、お芝居観に行ったり、オペラ観に行ったりする。それを観てて、いいなと思いながら、「俺、あれ、やってみたいな」って思うの、多いよ。へへへ(笑)

Q 今でもですか。

A 今でも。

Q 絵本作家は辞めたくないんですよね?

A 辞める辞めないじゃないもん、これは。絵本作家をやっているわけじゃないんだよ。

Q やっているわけじゃないんですか?

A うん。今日も描いているんで、どうも「絵本作家」しか言いようがないなって感じ。

Q 一番やっていることが一応職業で。興味はいろいろあるということですよね。

A カメラの人って、なんか、ちっちゃいカメラをいつも持っている。俺の友達のカメラマンなんかとメシを食っていると、落ち着かないんだよね。すぐ撮るわけよ、なんか。 でも、しょうがないのよ。くっついているようなもんだから。

Q えっじゃあ、先生もスケッチブックとか、ノートを持って、なんか思いつくと、シャッシャ描くんですか、いつも。

A 具体的に描くこともあるけども、そういう下書きみたいのは、テーブルに座って、描くのが多いけど。ずーっと考えているんだろうな。

Q 食べに行った先とかで、「あー」って思いついて描くことはしないんですか?

A そんなレベルはないな。絶対ないね。

Q じゃ、創作活動と見るところは別ということですね。発想というか。

A 違う、違う。それは、一つの人間がやっているんだから、全部同じでしょうね。そういう、メシ食べに行ったときに絵本のことを考えているんじゃない。癖があるわけでしょう、そういうのって。でも、どこに行っても面白いよね。いろいろ見ているとね。

Q どんなところに行かれているのですか、普段は。

A ははは(笑)

Q たとえば、先生の本を読んでいるときに、ちょっと私の感想。象が好きなのかなあって思ったのですけど。象が出てくる本が多くて。象って、好きですか。

A 象はね、俺の中にいろいろあって。最初に象を見たときに「気の毒な動物だ」と思ったのがあったり。それ、井の頭公園で見たからね。ボロボロじゃん、あそこのはな子さんて。「わあ、気の毒」と思って。象舎を初めて見た割には「ひどいな」と思って。中学校行く前だろうな。近くにいたから、見に行って。

Q 小学校のときに。

A うん、見て、「象って気の毒だな」って思ったんだよ。そういうのがずっとあって、それで、「いや、立派な象もいるな」って思ったり。象って、なんて言うか、どうも俺の中に、ちょっと説明はしたくないんだけど、あるんだよね。だから、象のものが多いのは、実はね、自分の何かが落ちているときに、象のテーマで描くんだよね。それでちょっとアップするんだよね、どうやら。象の本が、たぶん4冊か5冊ぐらいあるよ。

Q ありますよね。

A うん、だから、象って、ちょっと俺ん中ではスペシャルだなあってのがある。うん。

Q その象っていうのが、何かリンクするものがあるのかなあと思ったんですよね。

A 自分でそれをはっきりわかっていることではなくて。一応、あるものをカオスのものを、わかりたいというね、意識でやるところがあるよね。それはどうでもいいと思ってるんだよね。

Q なるほどね。

わかるわからないっていうのは二の次で、わかっちゃうことがある。わかんないことのほうが多いというのは、俺だろうな。だから今、学校のシステムがちょっとつまらんのは、「わかりますか?」って「わかりまーす」「はい。じゃ、次行こう」って言って、「わかりますか」「わかんない」「じゃ少しわかるようにしろ」つって、何がわかるのかっていうと、競争の形がちょっとわかったっていう形で次行くっていうことで。簡単に言うならば、絵本なんかに関して言うならば、さすが、そうだなあ、二十歳(はたち)過ぎると、ひらがな、簡単な漢字は読めるようになっているわけ、この世の中で。

Q はい。

A そうすると、絵本の読み聞かせっていうことが始まるわけ。それは、大人が読めるんだよ、字は。ね? あの、「ももたろうがやってきました」って読める。っていうことで、その人はもう読める人だと思っているわけ、自分では。ところが、「ももたろうがやってきました」って大変な話だよね。(笑)でしょう? 

Q はい。

A 「ももたろうがやってきました」って。こう、簡単に「わかりましたね。次行こう」って話じゃないわけ。そっから始まるわけ。つまり、わかんないことからスタートするわけだよ。

Q うーん。一つ一つのね。そうか。

A うーん。だから、今の人々って詩なんか全然読めないわけ。「どういう意味?」っていうような。わかんなくていい。わかんないなりに言葉を頼りに、つまり、自分の中で何にずーっと動いてくるかを楽しみにしているわけだよね、実は。

Q ということは、五味先生の中で、たとえば、一日、外でぱっと見て「面白そう」と思うものは、つまり「あれ、なんだろう?」という疑問に近いということですかね?

A そうでしょうね。それが、だから、自分で自分の心の中に形みたいなものが、個々それぞれあって、ね?あるものについて興味深い、あることについてはほとんど興味ない。俺も見てないものはほとんど見てないよね。時々、洋服屋さんに入って洋服を買うというのがめんどくさいのよね、俺。だから、すっごい、早いよ、俺。

Q 見た瞬間ですか。

すぐわかる。ずーっと見るより、パッと見ると、そのとき、なんか、ちょっとかっこつけて言うと、converseするわけね。converseってことは「交信する」って意味だ。

Q その、服と?

A 要するに、洋服が「五味さん!」って言うわけ。「ちょっと、すいません。見てくれませんか」って「よし、見てやろう。じゃあ、一緒に行こう」っていうのが。

Q えっ?! なんか、えー?

A たぶん3分かかんないよね。だから、店員のにいちゃんが大変よね。「これとこれとこれ」って言うと、こうやって持っているわけだよ、わきで。

Q あはは(笑)

A 「どうするの?」って「だから、レジ持っていくのよ。バカだな。これ、はい」って「早く包んで」って言って、それでカードでお支払いみたいな(笑)、そういうやり方よ。だから、鏡に見せて、こう合わせて「うーん」とかじゃなくて。寸法だけ合えば。

Q へえー。

A 美術館へ行こうが同じ。だから、「美術館はなるべく速足で歩きなさい」と偉そうに言うの。つまり、見るべき絵というのは向こうが必ず語りかける。それくらいな加減で、フラットじゃないとだめだけどね。もうザーッと見るのよ。「ちょっと待て」っていう感じがあると、ちょっと待つわけ。しばらくすると、「うーん。なるほどね」っていう…自分の中で。

Q その物との交信もそうだし、直感的なものもある。

A 直感。だから、その日のために鍛えた直感っていうのが大事なんだよね。

Q なるほどね。

これが、情報が、知識が、あるいは噂が、いっぱいあると、その勘が、やっぱり、相当鈍いわけ。Q もう、わからされちゃっているというか。

パッと見たときに、これ、今流行っているのかな、値段いくら、自分に合うか、これを着たら自分はどう見えるか、なんか言われるか、みたいなのがいっぱいあるから、迷うわけね。

Q はあー。

A で、絵を見ていても「これは有名な絵だ」みたいのがあるわけじゃない。

Q 余計な情報がね。

A そうそう。そういうのに行くと、今、要するに、さらにそれにカブして、SNS(ソーシャルネットワーク)みたいな余計なことがいっぱいあると、うーん、どんどん、たぶんボヤっとした、頭の鈍い、判断のつかない人々が増えていくわけ。

Q もう何かを見たり、体験する前にわかったふうになってしまって。

わかったふうになって、実は何にもわかっていないから。

Q わかっていないのに。

A だから、「なんか不安だ」ということだよね。実は、めちゃくちゃ不安。

Q 先生の場合は、まっさらな形でも見られますか? ものごとを。

A 何と比較しているかわからないから、俺がまっさらに見ているのかいないのか、わからないよ、それは。

Q たとえば、誰かに先にね「あそこの店、おいしいから行ってみて」って言われて、行ったと。おいしいということをちょっと期待して行って、「そんな、そうでもないじゃん」っていう判断なのか。

A そういうのは、人に行ってもらって。「ちょっと、お前、行ってこい」って言って。

Q あ、行かせて?

A 「どうだった?」みたいな。そういう便利なやつを2~3人置いとくのがいいんだよ、ほほほ(笑)

Q それで、おいしいという確証を得て行くんですか。

そいつと俺は、あるところで共通項を発見しているじゃない。そいつが「うまい」って言った味覚に関しては、たとえば、そいつが持ってきて「これ、おいしいですよ」って言ってもってきて、「うん、まーね」っていうのが、いいじゃない。

Q じゃあ、感性が同じような人に行ってもらう。

A それは食い物だけに関してな。ははは(笑)。今度は、俺が食ってうまいと思うものを「食ってみな」つって、「あ、うまいっすね」っていうようなものが、「お前、ちょっと行ってこいよ。暇だから」「あそこの店、その割に高かったな」とか。

Q そういう情報がね。

A そうそう。そういうのは危険だからね。ワンクッション置いておいたほうがいいじゃない。

Q さっき、ちょっと話しましたけど、象のことに関して、小さいときに「ああ、なんか、気の毒だな、かわいそうだな」っていうのがあって、それを大人になるまで、ずっとあって、そういうこともあるんですか。さっきみたいに洋服をパッと見て、パッとインスピレーションでやる場合と。

こういう話で難しいのは、「それは良いことだ」っていう意味じゃないんだよね。俺はたまたまそういうやり方をしているんで、もっと良いやり方があるのかもしれないし、これから、もしかすると、やり方を発見するのかもしれないんだけど。象に関しても、たぶん、「今から考えてみると」という意味だよ。

Q ああ、あー。

A だから、象を描きたくなる。この2~3年、あまり象については発想していないのね。たぶん、ハッピーなんじゃないのかなって、ちょっと。そういうのがないんじゃないかなあ。うん。

Q なるほどね。

A なんか、描くと、見えるのが、そういえば、あったなあ。まず、僕の中で象というのは、うーん。

Q あったということですね。後で自分を知るってこともありますね、作品から。

A ありますよ。いや、もう、それだらけ。今、これ描いていて。俺、自分の本、読むの大好きなのね。

Q そうなんですか。

A すっごい好き。だから、暇になったら、これ読んで、これ、読むのがなくなったら、しょうがなくヘミングウェイ読んでやろうかなとか。フォークナー読んだり。

Q どういう? 順番で? じゃなくて。

A なんかね。だいたい、俺の本を自分で読むと、「この人、いい人だなあ」って思うのよね。

Q あはは(笑)、いい!

A (笑)いや、ほんとに。

Q それは、たとえば。これだけたくさんあるから、どれを読むんですか。

A いろんなタイプだけど。どれを読んでも。

Q 急に? パッと思いついたのを?

A もちろん、そこにもあるし、あっちにも上にもあるから。暇なときに、人様の本も読んでいるんだけど、まとめて自分の本も、「あ、これ、俺んだ」と思いながら、読んでいるんだよ。なにしろ、378冊あるわけだから、久しぶりに読んだやつがあると、「面白いな」と思って、読んいでるわけ。

Q はあ、昔の自分と会話するみたいな感じですか。どういう感じで?

A いや、要するに、「絵本としていいな」と思うわけよ。

Q そんな、客観的にも見られるんですか。

本を描いちゃったら、もう、俺のもんであって俺のもんじゃないのね。

Q たとえば、「もうちょっとここをこうしたら良かったなあ」とかはないんですか。

A いっぱいある、いっぱいある、それは。それは活字を書いている人がしょっちゅう言うんだけど、それは重版のときにちょっと直すやつもいるけれども、原則的に絵は直さないよね。誤字脱字は直すけどね。絵も、「今だったら、こうは描かないな」ということはいっぱいあるよ、それは。もっと整理できたな、とか。

Q そういうのが嫌でね、昔の作品を見たくない人もいるかもしれない。

嫌も嫌じゃないも、俺のやってきた作業には違いないんだから、それも含んで。「ういやつじゃ、かわいいやつだ」とも思うわけだよ。

Q その自己肯定感というのが、すごい。あんまり皆さん、ない傾向性がありますよ、全体的に。だから、そういう「良い作品だな」って自分で思えるっていうことはやり切ったから?

A 全部否定をしている、しつけなり教育なりがあるじゃない。

Q あれやっちゃダメ、これやっちゃダメとか?

A 要するに、「出る杭は打たれる」とか、「人のことを慮れ」とかさ。みんなのためにというのは、余計なお世話だと思うね。「みんなのために生きている」って言うやつに限って、ほんとに迷惑だよね。ほんとに自分のために生きていない。でしょう?当たり前でしょ。

Q なるほど。確かに。みんな、個人ですもんね。

人のために役に立ちたいと思っている人が一番役に立たないよね。今の世の中は、割と歴史的にも最低の時期にきているのかもしれない。一番あいまいな時期に来ていて。

Q その「最低」というのは、あいまいさがあるということですか。

A あいまいと同時に、うー、危険だろうね。

Q それは?

A 危険な時期。つまり、みんなが自分の人生をやらない、やれない、やる力を蓄えてない。だから、しょうがないんで、人のことを手伝うって形の中で、自分をなんとかしようっていうのばっかりだよ。

Q 確かに。

A 綱引きなんていうのは、あれは冗談なんだよ。一緒になんて。でも、心合わせてって、引くっきゃねえよ。勝とうってやっているやつだから。そうでしょ?

Q そうですね。

A みんなのために頑張っているわけじゃないのよ。だから、頑張っていないやつも参加する形になっているわけ。「綱があります。引っ張って競技するんですよ」って。

Q はい。

A ね? 「やる人?」って、「あんま、やる気ねえな」って(笑)、まず本音であると思う。でも、しようがない。で、やる。でも、「相手は敵なんだ」って思う。でもさあ、「近所でよく会うやつだなあ」と思う、「あの人、敵じゃないし」って。でも、一応始まって、こっちが紅組、こっち白組。「白組と紅組と戦うことにしようよ」って一生懸命言うわけ。そうすると、割とその気になる。で、引っ張ってみると、結構その気になるもんで、ズルズルやると、ちょっとムカッと来るから、懸命に引っ張ったりするわけ。それで、「勝った」「負けた」っていうようなことは、疑似的な遊びの世界だよね。

Q うーん。

A 終わった後には、ノーサイド。で、「商店街のおやじと本気で闘ったから、もうあそこにはぜったいに買いに行かないぞ」なんて話じゃないよっていうわけ。ここでは疑似の話をしているわけ。疑似競争。ところがそればっかりやっているわけよ。

Q 疑似なことを。

A そう。

Q 「〇〇(なんとか)しましょう、〇〇(なんとか)しましょう」みたいな形で。

A そう、それを設定しているのが教育のシステムっていうことなんだよ。

Q そしたら、自分のオリジナルというか、やりたかったことややるべきことがわからなくなる。

そう、全然わからないやつがずっといて、能力は、唯一「付き合う」っていう能力がつくわけ。賢いやつは、どうやって付き合ったら自分がまあまあ楽なのか、生きていけるのか。

Q そうか。なぜ今、五味先生にインタビューするかっていうと、自分の好きなことを見つけられて、それができている人というのはあんまりいなかったとしますよね、環境としてですよ。でも、自分がそうなれって言われても、見たこともなくて、知らなかったら、「こういう考えがあるんだ」っていうことを知らせるというのもありかなと。

A わかる。わかると同時に、必ず、ある方向で動いたら、まわりが止めるよね。

Q 確かにね。でも、たとえば、これがね、やりたいようにやって、

A 結局、ダメな人もありうるね。

Q そうなんです! いちばん聞きたいのは、やりたいことをやったのに…というパターン。

A 遅いよ、もう(笑)。

Q みんながうらやむ生活をしているというところで。それをちょっと、今日は紐解きたいんですけど。

A 紐解けるかなあ(笑)。みんながうらやむどころじゃないよ。みんながうらやむほどの税金を払っているんだから、取られるわけだから、ね。

Q 紐解けるか、ちょっとやってみましょうね(笑)。

●第2回に続く

プロインタビュアー、元女性誌編集者

著書『人見知りさんですけど こんなに話せます!』(最新刊)、『1万人インタビューで学んだ「聞き上手」さんの習慣』『みんなひとみしり 聞きかたひとつで願いはかなう』。雑誌編集者として20年以上のキャリア。大学時代から編プロ勤務。卒業後、出版社の女性誌編集部に在籍。一万人を超すインタビュー実績あり。人物、仕事、教育、恋愛、旅、芸能、健康、美容、生活、芸術、スピリチュアルの分野を取材。『暮しの手帖』などで連載。各種セミナー開催。小中高校でも授業を担当。可能性を見出すインタビュー他、個人セッションも行なう。

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