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大学というブラックビジネス 人生のスタートから借金漬けになる学生たち

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)

体調を崩して大学を辞めたいという学生の奨学金の書類を見て驚いた。月々10万円、4年間で合計480万円を借りた結果、金利は3パーセントで、最終支払額が700万円を超えている。日本学生支援機構で借りた奨学金である。日本学生支援機構は、以前は日本育英会だった業務を引き継ぐ独立行政法人であり、大学生がまず奨学金を申し込むのは、ここである。

暗澹たる気持ちになった。就職先もなく、働ける見込みもないまま、結局700万円以上の借金を背負い、この学生の将来はどうなるのだろう。まさにマイナスからのスタートである。現在私が借りている住宅ローンは、変動金利とはいえ、金利が1パーセントを超えたことはない。住宅を購入するための金利をはるかに超える金利が、教育を受けるために課されている。驚くべきことではないか。もちろん成績優秀であれば、無利子で借りることも可能ではあるのだ。しかしそれだからこそ、有利子で借りる学生は「自分の力が及ばなかった」と自分を責めやすい。

教授会には、授業料の延滞者のリストが回ってくる。授業料の遅延者の氏名を知ったあと、どうするかは悩ましい問題だ。保護者のまったくのミスで授業料を払い忘れ、退学になった例もあるからである。しかし先生から、「授業料が振り込まれていないんだけど」とは言いにくい。毎回出てくる氏名には、気が付かないふりをするしかない。

かつて授業料を払えない保護者のために、大学がローン会社と提携して、紹介することになった。しかしすぐにそれはあまり意味がないことが判明した。大学の授業料を滞納する保護者の多くはすでに債務者であり、ローン自体が組めなかったのである。

考えてみれば当然である。親にとって、子どもの授業料はなにはともあれ払ってあげたいものだろう。それを滞納しているのだから、相当に行き詰っているのだ。

私自身は大学教育に意味があると思っている。それまでの教科書に沿った暗記が主となる授業とは違い、自分で考えること、批判的な精神、自由な想像力、そして一般的に教養と呼ばれるもの、そういうものを身に着けることができるところが大学である。もちろん、それは高校でも可能ではあるし、大学を出たからといってできるひとばかりではないだろう。それでも多くのひとが働いているなかで、4年間、いっけん「無駄」とも思える時間を過ごさせてもらうことは大切なことであると思っているのだ。そう思わなければ、大学の教員などやってはいない。

しかしこれほどの借金を背負ってまで行く価値のあるものかと問われると、歯切れは悪くならざるを得ない。以前のように高卒でも、きちんと職がある時代も終わった。大学を出ていたほうが、まだ有利ではあるだろう。しかし大学を出たからと言って、職があるという保証もない。この奨学金は、運よく一流企業に就職できたならば返還できる額だろうが、そうでなかった場合には、マイナスからのスタートである。まさに博打としか言いようがない。勤務校の名誉のために言っておけば、自分がかつて受けてきていないほどのきめ細やかな指導がなされているし、授業料以上の教育がなされていることは自負している。そこは自信をもって断言できる。しかし裕福ではない層にとって、大学進学自体があまりのリスクを抱え込むことになってきている。

私が大学教員になれたのは、日本学生支援機構の前身の日本育英会の奨学金のおかげである。借りた期間は短いものの、数百万円の奨学金を「貰う」ことができた。大学の先生という免除職につき、15年間連続して勤務した結果、返還義務がなくなったのである。かつての大学院の進学者を支えていたのは、この日本育英会の奨学金とこの免除規定である。しかし免除職の規定はなくなり、日本育英会もなくなった。小泉政権の「改革」の一環である。当時、「まだ公平な奨学金制度はなくすべきではない。社会の公正、格差の問題なのだ」と言ってはみても、「あんたみたいに貰い逃げする人間がいるから、無駄で不平等な制度だ」と周囲の反応は鈍かった。制度の改変とその結果の出現には、タイムラグがある。

近年は、「できる」学生は損得勘定をして大学院を選択しなくなってきた。優秀な人材が大学教員などにはならず、民間に流れる潮流は歓迎すべきことなのかもしれないが。

奨学金を貰ったあとの重苦しい気持ちは、いまでも覚えている。博士論文を書くときに逡巡したのは、論文内容よりもまず、博士号を貰ってしまい学籍を抜いてしまったあと、2年間で就職できるかどうかだった。2年間のうちに就職がなければ、免許規定が適用されず、職がないまま返還が始まってしまう。数百万円の借金を返還しながら、東京でひとり暮らしをしつつ、学業を続けていけるだろうか。心細さで、押しつぶされそうだった。働きたい気持ちはあった。でも就職先がない。

多くの学生に同じような気持ちを味あわせているとしたら――内心忸怩たる思いである。日本の大学の授業料の高さは、世界的にも異常である。ヨーロッパはほぼ無料に近い。しかも上昇を続けてきた国立大学の授業料を、私立大学並みにするという。日本の大学授業料の公費負担は32.2パーセントにすぎない。OECD諸国の平均は、72.6パーセントであるというのに(授業料や奨学金についての文部科学省説明資料はこちらを)。成績優秀な学生にひらかれていた、せめてもの進学機会すら、奪われようとしている。望ましい社会制度についての構想力を、私たち皆がもつ必要があるのではないだろうか。

【追記】幾人かのひとから、「金利3パーセントというのは理論上の話で、実際に適用される金利はもっと低いことが日本学生支援機構のHPに書いてあります。訂正してください」というお知らせをいただいています。私は実際に退学する学生の書類を見て、3パーセントの金利が適用されて返済額が700万円以上になっていることに驚愕し、むしろ後からHPで「確かに上限は3パーセントなのか」と確認しました。学生のプライバシーにかかわりますから具体的な状況は申し上げられませんが、複雑な事情のせいかもしれません。しかしもしも仮に金利が変動した場合の最大値が700万円越えだったとしても、困難な状況のなかで、印刷された書類で「その数字」を突きつけられた学生の絶望感は、想像してあまりあります。私も呆然としました。やはり奨学金というからには、無利子であることが望ましいという思いには変わりがありません。

【さらなる追記】日本学生支援機構に電話をしてたずねようと思っていたのですが、実際に勤務されていたという方からご連絡をいただき、ご教授いただきました(ありがとうございます)。貸与終了時の書類には、確かに利率3パーセントのケースが記入されているようです。なぜなら金利が変動した場合、3パーセントまで行く契約をしたのだという事実を踏まえ、最悪の可能性を伝えているということのようです。私も奨学金の専門家ではなく、書類をみて驚きました。実際にこれまでは最大利息の3パーセントが適用されてはいないということにホッとしたと同時に(過去ギリギリでも2パーセントを超えていないので)、誤解を招いたとしたら謝罪いたします。学生さんでも3パーセントの利息が適用されているとおっしゃっている方がいらっしゃいましたが、この書類をみれば、確かにそう思うかたもいるでしょう(仮に本当に3パーセントの利率が適用されることがないという前提に立てば)。ほかの民間の奨学金が3パーセントの利率をはるかに超え、留年した場合に返還の猶予もない(したがって成績優秀者以外は恐ろしくて推薦できない)ことに比較すれば、日本学生支援機構は「良心的」な奨学金ということが可能なのかもしれない。とまで書いて、やはり、そう書かざるを得ない日本社会の現状にため息をつかざるを得ない気持ちが正直なところです(2016.02.13)。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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