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小保方晴子さんの「罠」 私たちはなぜ彼女に魅了されるのか

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
出版元の講談社によれば、小保方さんの手記は、現時点で26万部売れたという(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

小保方晴子さんの書いた手記『あの日』が、26万部超えだそうである。単純に電卓をはじいて、印税が3600万円以上だと類推してしまった自分はゲスい。しかしなぜここまで皆が小保方さんに魅了されるのかという疑問を抑えきれない。

近年は、罪を犯したひとが出版して印税を得ることに対して、世間の風当たりは驚くほど強い。小保方さんの本は、研究費で購入して読んだ(*1)。本のなかには、恨みや悲しみは綴られていても、反省の念はまったくといって出てこない。もちろん、事件に至った真相も、まったく解明されていない。「反省の念がない」「犯罪者が印税を得るな」「そもそも出版するな」と叫ばれた手記への反応と較べると、首をかしげたくなるような違いである。

と、ここまで書いても、「小保方さんは犯罪者なんかじゃない」「人を殺したひとと一緒にするのか」と、皆に叱責される自分の未来予想図が即座に頭に浮かぶ。私は一応研究者であるから、小保方さんのやったことは、信頼で成り立っていた学問共同体の根幹を揺らがす不正であり、高まった「リケジョ(理系女子)」への期待を裏切ったという意味で、女性研究者への侮辱であると認識している。はっきりいえば、怒っているのである。このこと自体が、理解されたり受け入れられたりするのは、難しいのではないかと想像しなくてはならないことに、眩暈がする。そして社会学者としては、あまりに不思議過ぎて今度は好奇心がおさえきれない。

ここで「リケジョ」を理系研究者の女子と書いていいのかどうか疑問に思い(理系だからといって「研究者」とは限らないが、「理系女子」っていうのも変な言葉だから)、ネットで調べてみると、「リケジョ」は『あの日』を出版した 講談社の登録商標だそうである。偶然なのか必然なのか。びっくり。

さて前置きは長いが、今回は「なぜ小保方さん批判がタブーなのか」「なぜ私たちはここまで小保方さんに魅了されるのか」について考えてみたい。

STAP細胞をめぐる不正があきらかになり始めたときに、某テレビ番組で、新潮社の出版部部長の中瀬ゆかりさんが、面白いことをいっていた。男性が女性をみるとすぐに、「STAP細胞はあると思う?」と聞いてくる。しかしそれは、「罠」であると。絶対にまともに答えてはいけない。だから自分はこういっている。「腹のタップタップ細胞ならあります!」。最後のオチは、もちろん彼女の冗談であるが。

まさしく小保方さん批判は、「罠」であった。STAP細胞の不正の疑惑がもちあがったときの世間の反応は、普通の学問の不正事件へのそれとは、かなり違ったものだった。「ブスのひがみ」「小保方さんが完璧すぎるから、嫉妬しているんだろう」(*2)。男性が小保方さんにかなり好意的であり、女性が小保方さんを批判することは、「ひがみ」や「嫉妬」であるとタブーだった。こういう質問は、多くの場合、男性から女性に向けてなされていたから。焦点はSTAP細胞という科学的事象よりも、小保方晴子さんという女性(に対する愛)だったのである。

当初私は、「小保方晴子さん批判のタブー」についての記事を書こうと考えていた。なんで、小保方さんを批判することにここまで及び腰なのか。批判が怖いから、適当なことをいって誤魔化しているのではないのか(*3)。

ところが、サイエンスライターでも研究者でもないひとたちのなかには、本当に小保方さんを愛しているひとが多くいることに気が付いた。いや、ひょっとしたら、研究者たちのなかにすらいないわけではない。それも今度は、多くが女性である。私には、驚くべき発見であった。そして彼女たちの言い分に耳を傾けていると、なるほどね、と思わされることがあった。

おそらく小保方さんは、彼女たち自身の投影なのである。「研究者」として小保方さんをみれば、「とんでもない」という、私のような気持になるかもしれない。しかし「若い女性」としてみれば、小保方さんは自分たち自身の社会でおかれた生きづらさや苦難と近いところにいる。

「若い女性」なのに、あんなに注目されてしまった。いや「若い女性」だからこそ、男性とは違って、注目された。そして研究者としての「未熟さ」(「未熟さ」では片付けられない「不正」だと研究者なら考えるが)を、多くの人から叱責され、批判されている。「若い女性」なのに可哀想ではないか。なんであんなに「若い女性」を批判の矢面に立たせるのか。本来だったら、上司が責任を取ってくれるはず。会社の責任だってあるはず(学問の世界では事情が異なる。研究者はある程度、独立した存在である。しかし、確かに一般の会社組織を想定するなら、そう思ってしまうのも無理はない)。それなのに「若い女性」の彼女にひとり責任を負わせて、トカゲの尻尾切り。本当に悪いのは、組織の理化学研究所なのではないか。男性は何をやっているのか。なんで彼女にひとり、責任を負わせるのか。「若い女性」があんな目にあったら、これからどうやって生きていけばいいのか。可哀想じゃないの。「未熟さ」くらい許してあげて。そして、もう一度チャンスをあげて。

小保方さんは、会社で働いたことのある若い女性の仕事上でぶつかる困難を投影するアイコンになったのである。そして仕事で成果をあげたようにみえても、失敗したときには一転して、ひとり批判されるのではないかという成功不安を投影する対象でもある。若い女性研究者の卵のなかにも、擁護するひとが皆無というわけではない。それは、将来への責任への不安と同時に、大学院できちんとした教育を受けていないという不満から来ているように思われる。

小保方さんを愛する理由は、私たちの心のなかにそもそもあったものなのかもしれない(*4)。

*1 小保方さんに140円近く支払った計算になるので、やはり記事を書くなりして還元しないと、研究費を使った責任を果たせないような気がする。

*2 ネットや雑誌やテレビによる報道や周囲を対象とした私の個人的な調査による。

*3 専門が近い利益関係者である理系研究者による批判の困難は、また事情が異なるだろう。またマスコミにも批判をめぐる別の政治があると思われる。

*4 とても1回では書ききれないので、また小保方さんについては別の記事で書きたいと思う。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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