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「保育園通った、日本万歳!」とは限らない理由。 待機児童批判の落とし穴?

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:アフロ)

「保育園落ちた日本死ね!!!」というタイトルのブログが、待機児童の解消問題を提起した。そのこと自体はとても意義があることである。しかしその一方で、こうした問題化により、拙速な待機児童解消を目標とした保育状況の悪化の可能性にも危惧をもっている

ブログの説得力は、「一億総活躍社会じゃねーのかよ」「どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」というところにある。現政権は、女性が輝く社会を目標に掲げ、女性活用を説いてきた。にもかかわらず、保育所などの制度が全然整っていないという矛盾の指摘は、実に理に適っている。

女性の就労は、「自己実現」というような言葉で語られていた時代がある。しかし待機児童はとくに、2008年のリーマンショック以降、爆発的に増え続けている。自治体は「少子化で子どもが減っていくから、新しい保育所は作れない」という決まり文句のようにいってきた。しかし少子化で子どもの数が減っていても、働くお母さんは増え続けている。夢とか希望とか自己実現などではなく、すでに「生きるために」働かざるを得ない時代に入ってきているのだ。

政府は2017年度末までに子ども50万人分の保育を確保することを目標としている。その実現には7万人以上の保育士が必要だという。保育士の資格をもっている人は多くいるにもかかわらず、多くのひとが資格を活用していない。その「潜在保育士」の数は、60万人以上だというのである「女性が輝く日本」の実現に向けて(抜粋) 4」内閣府HPより)。

保育士が確保できないのは、あまりに保育士の待遇が悪いからである。潜在保育士が復帰しない理由の第一は、条件が折り合わないからだ。これほど潜在保育士がいるにもかかわらず、政府は待機児童の解消のために、研修を受けた保育ママなど資格を持たない人での保育を認めるなどの規制緩和で乗り切ろうとしている。方向が間違ってはいないか?

保育や介護といったケアは、とくに(暗黙の裡に「女性だったら」)誰にでもできると思われている。しかし専門家は専門家なのである。自分の体験であるが3歳児検診のとき、子どもたちと遊ぶお手伝いのひとと、臨床心理士さんがいた。最初にお手伝いのひとと遊んでいるときには「おばさん」と呼んでいた娘は、同じような遊びを臨床心理士さんと始めたときには、「先生」と呼びかけた。同じようなことをしているようにみえても、3歳の子どもでも違いはわかるのかとびっくりした。

娘のその呼びかけは、保育園で育てられた経験から来ているのだろう。保育園では親でも気が付かないようなことまで(例えば娘は食べ物を「丸のみ」する傾向があるから、ひと匙ずつお皿に給食を載せて、噛む習慣をつけさせますなど)、丁寧に見てもらい、就労支援だけではなく、娘の育ちもサポートしてもらった。そのおかげで安心して働けた。

2000年代の小泉政権の「改革」の波のなかで保育園がいっせいに民営化したときに、多くの保護者が不信感を持ち、就労を辞めざるを得なかったことがニュースになった。株式会社が運営する保育所が、必ずしも悪いといっているわけではない。しかし、ある程度の質が担保されなければ、親は安心して働けない。量の問題だけではないのである。

収益を出すには人件費をカットするしかない。しかし子育てのようなひとを育てる気の長さを必要とするような職こそ、ゆったりとした気持ちで構える必要がある。保育する側のほうが、追い詰められていてはいけないのである。そもそも無資格でも保育士として就労が可能になったときに、苦労して保育士の資格をとろうと考えるひとは、たくさんいるだろうか。このような場当たり的な規制緩和は、なおさら保育士の不足に、拍車をかけないだろうか。

働いていないひとからみれば、保育所不足は(勝手に)働いている一部のひとだけの問題であるとみえるかもしれない。しかし保育所は、専業主婦であっても、保育に著しく困難をきたしたときに、緊急避難的に子どもを預かる機能もある。子育てをサポートするハブの機能もあるのだ。すべてのひとが、預けたいときに安心して預けられ、子育てをサポートしてくれる保育所の拡充を強く望みたい。

【追記】首相の発言を受けて。全職種平均より11万円も月給の低い保育士に2パーセントの給与を上乗せしても4-5千円、激戦の自治体の近隣の保育園に定員余裕があるとはとても思えない。絵に描いた餅である。実効性はほとんどないだろう。保育士の規制緩和は、この4月から始まる予定である(2016年3月12日)。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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