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児童擁護施設出身大学生の要望に「進学は自己責任」「女の子はキャバクラに行く」という赤枝議員発言の意味

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:アフロ)

自民党の赤枝恒雄衆院議員が、児童擁護施設出身の大学生が奨学金制度の拡充を要望する席で、「高校・大学は自分の責任で行くもの」。「親に言われて仕方なく進学しても女の子はキャバクラに行く」と発言したそうだ。

この発言には何重にも呆れる。

奨学金制度を要望した大学生がいた児童養護施設は、建前としては20歳まで居られることになっているが、現実には高校を卒業したら退去しなければならない。高校に進学しなければ、中学卒業と同時に児童養護施設も卒業である。全高卒者の大学進学率が半数を超えているのに対し、大学進学率は低く、児童養護施で高校に通う子で2割程度、児童養護施設児全体では1割強にすぎない。高卒の就職率が16.9パーセントであるのに対し、養護施設にいた子どもの高校就職率は、7割近くである*。

一般家庭に育つ子どもですら、半数以上が奨学金を利用して大学進学している状況である。児童擁護施設の子どもたちが進学するための費用は、奨学金がなければ、どこから出てくるというのだろうか。かつては国立大学は学費が安く、授業料免除も容易であった。しかし国立大学の学費ですら年間54万円程度であり、将来的には93万円程度になると文部科学省が試算している国立大授業料、54万円が93万円に 2031年度試算)。国立大学への運営交付金を減らすということは、困窮者の学費の免除もままならなくなるということだ。児童養護施で育つ子どもには、さらに厳しい状況が待ち受けていることは間違いない。

「親に言われて仕方なく進学」するのではなく、「高校・大学は自分の責任で行くもの」かもしれないが、その費用は、日本社会では通常、親から出てくるものである。進学しろといってくれる親すらいない子ども、進学しろといってあげられない親がいることを忘れてはいないだろうか。そもそも高校や大学に進学したいという希望すら最初からもてない子どもたちがいることが問題なのだ*2。

しかもなぜわざわざ女子学生だけを取り上げて、「とりあえず中学を卒業した子どもたちは仕方なく親が行けってんで通信(課程)に行き、やっぱりだめで女の子はキャバクラ行ったりとか」し、望まない妊娠をして離婚し、元夫側から養育費を受けられず貧困になるといわなければならないのか。アメリカなどの事例をみても、若い女性の不安定な妊娠は、金銭的、また親との関係を含む精神的貧困のなかでの自分の「居場所探し」の側面があり、貧困の結果であって、原因ではない。通信課程でも女子生徒が高校に進学することが、貧困をうみだすかのような言説は、いかがなものだろうか。義務教育を「しっかりやれば貧困はありえないと言いたいくらい大事」というのだが、大学・大学院卒の男性の賃金が40万ちょっとに対して、中卒男性で28万円、中卒女性で17万円である(厚生労働省 平成18年賃金構造基本統計調査(全国)結果の概況)。「しっかりやれば」とは、どういう状況をさすのだろうか。

赤枝議員は、司法修習生への経済的支援に賛同して、「犯罪や訴訟が複雑化、国際化していく中で、優秀な司法修習生が育ってくれる環境整備のため、司法修習生への経済的支援を望むものであります」ビギナーズ・ネット)という言葉を寄せている。この制度に異論を唱えるものではないし、揚げ足をとるつもりもないが、同じような想像力を経済的困窮者にも向けてはくれないだろうかと思う

*1 正確に言えば、全高卒者の大学等進学率(短大含む)は53.2パーセント、児童養護施在籍児で19.8パーセント、児童養護施設児では12.3パーセント。全高卒者の就職率は16.9パーセント、養護施設にいた子どもは、69.8パーセントである(社会的養護の現状について- 厚生労働省

*2 もちろん、進学することだけが重要ではない。しかし「自己責任」や「自己選択」を強調するまえに、進学したいという意欲や希望をもつところから、格差がついてしまっていることにもすでに問題がある。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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