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旅行会社の「東大美女が隣に座ってくれる」キャンペーン即日中止について、大学教員として考えること

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:アフロ)

『東大美女図鑑』の女子大学生たちのなかから好みのひとを選んで、フライト中「あなたの隣の席に座って」なにかについて「語って」もしくは「教えて」もらう権利があたるという旅行会社のキャンペーンが、批判を受けて中止になった。ネットで見かけてから、すぐに中止のお詫びを目にするという「即日中止」ぶりである(HISの「東大美女が隣に座ってくれる」キャンペーン 「セクハラ」批判受け即日中止に)。旅行会社はこのような批判を、事前に予想していなかったのか。

大学で、人権委員役職に選出される機会の多い教員としては、ホッとした。セクハラが起こるのは、大学の授業中ばかりではない。例えばサークルの合宿中、就職活動中、アルバイト先でなど、加害者が自分の大学関係者ではなく、対応に困る場合も多いのである。

とくに機内を暗くして睡眠をとる機会もあるためか、長時間にわたるフライトで、痴漢に合うことは実はよくあることである。暗くもならずそれほど長時間でもない「特急電車で不快な経験」も、とりたてて表立って語られていないだけのことだ。リスク管理という意味でも大丈夫なのか。そんなことはないと思いたいが、もしも起こってしまったら旅行会社はどう責任をとるのだろうかと、まず考えた。

なぜなら広告が「あなたの隣の席に座って」を、これでもかというほど強調しているからである。「美人女子大学生に隣に座ってもらう」ことが第一の目的としか思えない。例えば、立て板に水の茂木健一郎先生に脳科学について語ってもらうというのであったら、数時間のフライトも楽しいかもしれない。しかし「行先の街の成り立ち」の話題だけで、本当に何時間ももつのだろうか。「お笑いについて熱く語ってくれる」に至っては、申し訳ないけれど、接待とどれほどの違いがあるのだろうかと疑問に思う。結局は、本来のトピックとは関係のないお喋り接待も含まれるのは自明である。専門について距離を置いてレクチャーを受ける権利であったらまだしも、「隣に座ってもらう」という形態を取ることに、激しい違和感がある。

そもそもいくら東大生とはいえ、やはり大学生である。大学生に「夏休みの宿題を教えてもらう」のはアルバイトの家庭教師の延長であるから理解可能であるとしても、「教養のある雑学」は、(東大の非常勤講師を何度か経験した立場からいえば)、在学中にむしろ学生にこそ、学んでもらいたいものである。大学生ではなく、ぜひ大学教員を起用してもらいたい(言うまでもないが、もちろん冗談である)。そして『東大美女図鑑』の活動をしている学生とはいえ、勉学をしている学生に対する人気投票的なことは、あまり好ましくないとやはり思う。

社会学者として思うことはまた別に多々あるが、大学教員として思うことはこういうことだ。

最後に、このニュースとは直接は関係ないかもしれないが、「本人がセクハラだと思っているかどうか」についてのコメントが多々ついていることにかんして。「最近は、本人がセクハラだと思えば、セクハラですからねぇ」という過剰な主観主義に対する批判に、遭遇することが気になっている。

あたり前であるが、セクハラはセクハラ被害者の主観だけでは決まらない。「これは不快だ」「ひょっとしてセクハラなのでは?」と思う権利は誰にでも保障されている。ただそれを告発し、罰したいと考えるときには、とうぜん「セクハラ」の事実をめぐっての争いがある。ハラスメント加害者とされたひとの権利を考えても当然のことだ。例えば「あの人の存在が不快でセクハラです。私が思うからそうなのです」という主張が通る社会を想定すれば、恐ろしい。

本人の主観は、尊重されるべきである。しかし「被害者」の主観こそが正しいと考えるのもまた間違いである。それは、セクハラを不快と思わない女性がいたとしても、そのことによって、そのセクハラが他の女性に許されるわけではないのと同じである。

*このあたりも本来なら丁寧に議論すべき話であるが、とりあえずニュースを公開することを優先させる。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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