Yahoo!ニュース

離婚した親に求められる覚悟―親子断絶防止法の問題点(2)

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:アフロ)

親子断絶防止法に対する懸念が各方面から出されている。日米首脳会談ときに、オバマ大統領への日本側からの「手土産(当時の報道)」として、あまり審議されることもなく、ハーグ条約(国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)を締結したからには、国内法にも手を付けることになるとは思っていた。アメリカの「外圧」には逆らえまい。しかし今回の親子断絶防止法案は、あまりに現状を踏まえていない。「子どもの福祉」を理由とするならば、当事者の子どもの声を聴いたことがあるのだろうか

私の専門は家族社会学である。授業が終わるとコメントペーパーを提出してもらうのだが、ときに自分の経験を書いてくれる学生がいる。少なからぬ学生が(3組に1組の結婚は離婚に終わるのだから当然であるが)、「自分は離婚家庭の子どもである」と教えてくれる。しかしそこで、「別れた親に会えなくて辛い」もしくは「親に会えなくて自分の健全な成長が阻害されてしまった」と書いてくる学生に会ったことはない。むしろ、面会交流によって傷ついた具体的な経験がこれほどあるのかと、驚いた。なるほど面会交流というものは、親のほうも覚悟を問われるのだなと痛感した。私たちはそのことをどれぐらい理解し、覚悟しているだろうか。

まずもって子どもが傷つくのは、親の再婚である。離婚した親も、また新たな家庭を築くことは多い。若くして離婚すればなおさらだろう。そのときに、「新しい家族ができた、新しい子どもができたから、もうあなたとは会えない」と子どもにいうことは許されない。一度捨てられた子どもが、また捨てられることになるからである。再婚相手が「もう子どもに会わないで」といったら? 再婚した相手が、前の結婚でできた子どもに会うことで傷ついたとしたら?それでも面会交流を始めたのであれば、「新しい家族ができたから、もう君はいらないよ」とは決していってはいけないのである。

ましてや泊りがけで交流していた場合には、新しい再婚家庭にも泊まりに行くことにもなるだろう。例えば母親が再婚した場合は、見知らぬ男性のいるところに子どもを預けることになる。新しい新婚家庭に、突然子どもが来ることになる。相当ハードルは高いと感じないだろうか。少なからぬ子どもが、義父母との関係で、ときにはっきりといえば虐待によって、傷ついていることにいたましさを感じた。もちろん、義理の関係だから虐待が起こるというのはステレオタイプであり、義父母への侮辱でもある。しかし親になる経験を積む過程もないままに、前の結婚を思い出させる子どもの親になるということは、並大抵のことではない。もしくは、連れ子と揉めることもあろう。面会交流を義務化するということは、そういうことが至るところで起こる社会を、選択するということである。

またよく見られるのが、同居親への悪口である。「お前は、お母さん(お父さん)に洗脳されているんだ」というのは本当によくある。「あいつはダメな奴だった」というような悪口。「いまどうしているのか?」という探りを入れられる。つまりは、葛藤のある夫婦関係のまま面会交流を続けるということは、子どもをその葛藤の間に立たせ続けるということなのである。また養う親も、「公正証書まで交わしたのに、養育費を払わない夫の貯金残高を、子どもが教えてくれた。腹立たしい!」と知りたくもない状況を知ったり、「勝手にガールフレンドに会わせて。新しい恋人をつくるのは勝手にしてくれればいいけど、長続きするかもわからないのに、子どもを巻き込まないで欲しい」というのもある(養い親のほうは、個人的な調査による)。面会交流がなければいわずに済んだ相手の悪口を、子どもにいうこともある。

現在面会交流を行っていない親子は、6割だという。しかし養育費を支払っていない親は8割である。原則的に、面会交流の権利は、養育費の支払いとリンクしてない。つまりお金は払わないのに、子どもに会うというのは、違法でも何でもない。確かに裕福ではない親の面会交流権が侵害されてしまうから仕方ないのだが、子どもはこれにも微妙な感情を示す。「正直にいって、会わなくてもよかったから、きちんとお金を払って欲しかったです」。お金で愛情は買えないが、子供の成長のために必要なお金を払うというのは、立派な愛情表現である。それなのになぜ、この法案に養育費の規定がないのだろうか。

「たまに会いたいと思うときもある。けれど大抵のときは会いたくない(実際に面会交流をしている子ども)」。普通の人間関係もそうである。親しいときもあれば、ちょっと上手くいかないときには距離を置く。そうやって気持ちを整理したり、確かめたりしながら、よい関係を保っていく。それを「月に何回会うこと。何時間会うこと。それが望ましい」と国家が具体的に基準を決めて命令するというのは、私にはかなり違和感がある。また「監護権を持っている親に会わせる義務がある(履行されない場合は違約金を請求できる)」という形態にはなおさら違和感がある。国家がすべきなのは命令ではなくむしろ、面会交流をサポートすることなのではないか。おそらく上記の学生の意見には、「きちんと定期的に頻繁に会わないから、会いたくないなどという気持ちが起こるのだ。もっときちんと会う回数を増やして、絆を形成すること」といわれるのだろうけれど。

『Q&A 親の離婚と子どもの気持ち よりよい家族関係を築くためのヒント』(NPO法人Wink)では、子どもの立場から「会いたくない」という子どもの質問に対しての回答がある。本当に会いたいと思っている場合は、会ったほうがいい。しかし会いたくないと思っているケース。

私の場合、会いたいと思ったことは一度もありませんでした。母からはいつも「会いたくないの? 会いたければいつでも会えるよ」と言われてきましたが、何度聞かれても会いたい気持ちにはなれませんでした。…だから周囲の大人から「ほんとうは会いたいのに我慢しているの?」「強がらなくていいんだよ」などと言われることを、不愉快に思っていました。怒りすら感じていました。私は強がっているわけでも無理しているわけでもなく、ほんとうに会いたいという感情がわかなかったからです。

私のように本心から「会いたくない」「会う必要がない」と思っている子どももいるので、大人の想像だけで、子どもに無理に強要したりはしないでほしいと思います。私同様、幼いときに親が離婚した子どもの声を聞いてみても、答えはさまざまですが、大人が考えるよりもドライな意見が多かったです。…

会いたくないというほかの子どもたちに聞いても、「はじめは会っていたけれど、会いに来なくなった」…など、親のほうから先に関係を断っているケースが多くありました。親子関係を親のほうが放棄してしまうことは問題であり、そのような身勝手な親のせいで、子どもが無意識に自分の存在を否定してしまう恐れがあることを知ってほしいと思います(NPO法人Wink『Q&A 親の離婚と子どもの気持ち よりよい家族関係を築くためのヒント』より抜粋)。

この法案で徹底的に無視されているのは、子どもの意志である。

なかには「面会交流が楽しかった」という意見もある。それは、「ときどき父母と一緒にレストランでご飯を食べる。とても楽しい。そういえば最近はしていないけれど」というものである。離婚しても親同士が一緒に食事、よく言われるように、せめてお茶くらいは飲める関係であれば、楽しい時間が過ごせるのだなと痛感した。お互いの都合で、したいときに交流を実施しているというのもあるだろう。この素晴らしい関係を維持できているのには、ご両親の努力の賜物だろう。しかしこの関係は、単独親権で、面会交流を法律で命じていない現状で、可能になっているのである。どちらかが相手に恐怖を感じるような関係に命じるのは、無理である。

別れても共同で子育てすることは、うまくいけばとても素晴らしいことだと思う。一人で子育てをするよりは、責任を分かち合ってくれるひとがいるほうが、どれだけ心強いか。そういうことのできる相手や関係であれば、誰にも拒む理由はないのではないか。繰り返すが、それは現行の単独親権でも可能である。

法律を作成するときには、「うまくいかない最悪のケース」を想定して欲しい。葛藤のなかに子どもたちを投げ入れることを義務化するのではなく、国家には面会交流をサポート役を求めたい。こちらのほうは、まだまったくされていないからである。アメリカの共同親権や面会交流は、それをサポートする手厚い制度によってなんとか成立しているものだからだ。日本の現状では、この法案の実現はまったく無謀である

もうひとつ面会交流のメリットとしては、現実の親を知ることで、理想化することなく、「これなら離婚するのは仕方がない」と子どもが納得することも挙げられるかもしれない。メリットとして挙げてよいかは、迷うところだけれども。面会交流の過程で、親が約束を守らなかったり、いい加減だったりして、子どもが傷つくということは多々起きている。面会交流をするということは、「相手の悪口を言わない」をはじめとして、結婚当時はできなかったかもしれない「立派な親」になる覚悟を、両方の親に要求することでもある。(続く)

親子断絶防止法案の問題点―夫婦の破たんは何を意味するのかでは、DVによる子どもを連れての避難があることを認識しながらも、それに具体的な方策を講じることなく禁止し、共同親権という重大な民法上の変更を附則で盛り込んでいることについて、書かせてもらった。

*親子断絶防止議員連盟の総会で配布された要綱と法案、懸念などは、面会交流等における子どもの安心安全を考える全国ネットワークのHPで読める。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

千田有紀の最近の記事