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オーストラリアの親子断絶防止法は失敗した―小川富之教授(福岡大法科大学院)に聞く

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:アフロ)

配偶者に無断で子どもを連れて別居・離婚をしようとすることを禁止しようとする親子断絶防止法が、国会に提出されるかもしれません。別居する親との面会交流を、子どもと暮らす親に責任づけています。また附則で共同親権や子どもの居場所の特定などまでが入っている一方、DV(家庭内暴力)に対しては「配慮する」という文言があるだけ。各方面から、不安の声があがっています。

世界的には共同親権や面会交流をめぐってDVの問題が噴出し、むしろこれを再考・制限する方向に動いているなかで、なぜ日本は逆行する動きをしているのでしょうか。オーストラリアをはじめとする外国の家族法に詳しい福岡大学法科大学院教授、小川富之先生にお伺いしました。

ーオーストラリアでは、親子断絶防止法に似た法改正があったと聞いています。まず紹介していただけますか?

オーストラリアでは、直近で、2回の法改正がありました。まず最初は2006年の法改正。これはまさに今回の親子断絶防止法と重なる法律で、離別後も親子の面会交流を促進することが、「子の最善の利益に合致する」という考え方に立つ法律です。いわば面会する「親の権利」を強める法律です。これは子どもの養育にとって深刻な問題を生じさせ、見直されました。

5年後の2011年の法改正では方向を転換して、離別後の「子の最善の利益に合致する」ような子どもの養育環境を考えるという視点に変えました。「子どもの安全」を重視し、「親の権利」を抑制する法律へと転換したのです。

ー2006年法について教えてください。

オーストラリアでは、キリスト教の国でよくあることですが、家族のありかたが選挙の争点になります。父親の権利擁護の団体の強力なロビーイングによって、法改正が実現しました。それは「離別後の親子の交流は望ましく、しかも多ければ多いほうがいい」という考え方にもとづいています。

理論的支柱は大きくいって2つです。ひとつは「PAS(片親疎外症候群)、もしくはPA(片親疎外)」。子どもと同居する親が、子どもに別居親の虐待や悪口を吹き込み、子どもが洗脳されてしまうという考え方です。これはもはや科学的には完全に否定されており、研究者や実務家レベルで信じている人はほとんどいません。

もうひとつは、「フレンドリー・ペアレント」です。相手の悪口を言わず、親子の面会交流を促進するよう努めるのがいい親なので、そちらを子どもの同居親とし、主たる監護をゆだねるという考え方です。そうすれば面会交流が促進され「子の最善の利益に合致する」と考えたのです。

ー私自身も面会交流の価値は否定しませんが、これの何が問題だったのでしょう?

面会交流が多くの子どもの生育によい影響を及ぼすという考え方は、間違いではありません。理念としては、素晴らしいでしょう。重要なのは、その理念を実現するためにどのような法制度を採用するかという点です。「親の権利」を強めるような法制度を採用すると重大な問題が生じました。面会交流は「子どもの生命、身体、健全な育成に反しない」ような形で実現されなければなりません。オーストラリアの2006年法では結果として、「子の生命、身体、健全な育成」が脅かされる事態を招きました。

もちろんオーストラリアは日本と違い、万全の準備をして臨みました。家族関係センターを全国に作り、社会学・心理学・法律の専門家を置き、別居した当事者同士に面会交流の啓発・カウンセリングを施し、話し合いを促進しようとしました。利用者の初期費用は無料です。民間委託ですが、財政は国が全額負担しての運営でした。また、高葛藤の家族で面会交流を実施するためのコンタクト・センター、さらにダメなら、家庭裁判所のカウンセラーも利用できました。さらにDVや虐待の加害者に定期的に通ってもらい、治療する機関も。そしてすべての取り決めは裁判所を通し、スクリーニングもしていました。また制度を改善するための調査の予算をつけ、フォローアップも試みました。それでも問題が噴出したのです。

ーどのような問題が発生し、何が問題だったのでしょう?

まず、DV、虐待の問題の多発です。2009年には、ダーシー・フリーマンという4歳の女の子が、面会交流中に父親によって橋から放り投げて殺されるという事件が起りました。母親は事件が起る前から父親に対しての不安を訴えていたにも関わらず、痛ましい事件が起ったのです。父親は「母親を苦しめるために娘を殺した」と、これがDVの一環だと口にしました。面会交流によって、DVや虐待が継続してしまった。事件によってさらに、法改正の機運が高まりました。

またフレンドリー・ペアレント条項は、「虐待やDVについていくらそれが真実でも 口にすると、親権すら取れず、自分が面会交流を極端に減らされてしまうのでは?」という危惧を親にもたらします。虐待として認定されるハードルは高く、多くの親は子どもを失うことを恐れるあまり、実際にある虐待について沈黙せざるを得ませんでした。

また面会交流は、非同居親(多くの場合父親)の支払う養育費を抑制し、同居親(多くの場合母親)と子どもの貧困を作り出しました。子どもと過ごす時間を増やせば増やすほど、養育費負担を減らすことができます。ですから、養育費の抑制目的のために、子どもとの面会時間をより多く確保しようとする親がでてきました。しかし同居親として実質的に養育にあたっている親が、子どもの日用品を買ったり、教育に必要な費用、病気等での支出といったような、重要な経済的負担を負うという状況は続くわけです。結果的に、同居親の経済的負担は変わらないにもかかわらず、非同居親の養育費の負担が減ることになりました。親子断絶防止法も附則の共同親権まで実現していけば、最終的にはこうなるでしょう。

最も残念なことは、このような法律を作っても、面会交流は全体としては大きな増減はありませんでした。法律がなくても離婚後の取り決めが可能な争いのない人たち、このような人たちが多数派なのですが、彼らににとっては、法律の変更はあまり関係のないことだからです。逆に、葛藤の高い夫婦の比率が増し、問題解決の困難さが高まりました。言い換えると、高葛藤事例で、潜在的に様々な問題を抱えている人たちの面会交流が増えてしまったのです。

親の「権利」主張に法的根拠を与えたことになりますから、紛争性が高まっていき、「子どもの福祉」を損なうような状況を出現させ、またこれまでは円満に解決できていたようなケースまでも、自分が子どもと50パーセントの時間を面会交流をする「権利」をもっていると勝手に理解することにより、円満解決から遠くなるという副次的な悪影響を生じさせました。

ーそれでは2011年の法改正は何が変わったのですか?

2006年の法改正は、定期的で安定的な面会交流が子どもの福祉だという前提で法改正を進めました。このような観点に立つ法制のもとでは、親子の面会交流が好ましいにもかかわらず、同居親側の対応のために、面会交流ができていなかった親が子との交流を実現できるようになりました。これが利点の一つです。問題点は、子との面会交流を制限したり、禁止しなければいけないような親、子どもの生命、身体、健全な育成を脅かすような親が子と交流することを制限できない事態を生じさせたということです。

2011年の法改正は、子どもの福祉を優先することにしました。「子どもの福祉」に合致する場合には面会交流を認め、「子どもの福祉」に反する恐れがある場合には、制限するという考え方に変わりました。子どもとの面会交流を制限する必要がある場合の対応を優先し、仮に会うことが好ましいにもかかわらず子どもと会えない親が一人生じても、会わせてはいけない親が子どもと会ってしまうような事態を排除するという決断だといえるでしょう。

DV、子どもの虐待も含めた「ファミリーバイオレンス」という考え方に基づいて、同居親が子どもの虐待を主張したならば、子との面会交流を求める親の側が、子の福祉を害しないということを証明しなければなりません。

ー納得しない親御さんもいらっしゃるのではないでしょうか?

それでも、子どもの安全を優先させるという社会的な決断です。いわば日本の親子断絶防止法にあたる2006年の法改正は、手痛い失敗でした。オーストラリアではその失敗を受け止め、調査し、この失敗から他国が学んでほしいと積極的に公開することにしています。最重要視すべきことは、子どもの安全、子どもの福祉であり、非同居親の権利ではないということです。

ー日本の親子断絶防止法についてはどう思われますか?

このような法律は、議員立法の特別法で制定する性格のものではありません。それにまず驚きます。面会交流を促進するうえで重要なのは、離別に際しての親子の教育・啓発の充実です。協議離婚届けを取りに来た人たちに、市役所等で適切な情報提供をする。また、紛争性の高い夫婦は、家庭裁判所の調停の対象となるわけですから、家庭裁判所で、これらの人たちを対象としたプログラムを導入する必要があるでしょう。

現状の日本の民法では、766条で離婚に際して夫婦で子の監護について話し合うことを規定しています。必要があれば、離婚後に父母が協力して、共同での監護をすることも可能です。(共同)親権や(共同)監護問表現についても、理解を改める必要があります。21世紀に入ってからは、共同監護の問題性がとくに問題になっており、親の権利性の抑制、どのようにして軽減していくかということが大きな課題となっています。オーストラリアでも名称が、親権(Parental Authority)から共同監護(Joint Custody)、そして分担親責任(Shared Parental Responsibility)へと変わってきています。手を携えて共同(joint)での監護(Custody)を必要とする場面は否定しませんが、父親、母親、また監護親、非監護親、主たる監護と従たる監護といったような、さまざまな親の立場から子どもへの責任を分かち合う(share)という考え方への転換です。それなのに日本で共同親「権(利)」を目指すといったような、このような時代に逆行した動きが、なぜいま出てくるのか、それが大きな驚きでもあります。

また離婚原因をつくった有責配偶者からの離婚を認めないという有責主義的な規定がまだ残っている日本の離婚制度を、まず変えなくてはならないでしょう。一定の期間を別居すれば、夫婦関係の破綻が推定される「法定別居制度」が採用され、離婚のときに相手方の有責性を攻撃する必要のない国では、夫婦の葛藤を抑制できています。子どものいる夫婦は、自分たちが別居するときに、子どもの養育をどのようにするかについて、まず話し合いをすることが求められます。必要があれば、家庭問題センターといったような専門機関が関与し、家庭裁判所でのカウンセリングも受けられます。離婚の場面で夫婦間の葛藤を続けながら、子どもの養育問題については、協力していきましょうといったようなことは、簡単ではありません。

オーストラリアをはじめとする国々の貴重な経験を教訓にして、日本で「本当の意味での」子どもの最善の利益の実現を目指してほしいと思います。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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