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長崎ストーカー殺人、元妻はなぜ夫に子どもを会わせに行ったのか?

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:アフロ)

痛ましい事件が、起ってしまった。長崎市で、離婚後に2歳の子どもを元夫に会わせにきた元妻が刺殺され、その後に元夫が自宅で首をつって自殺したのである。元妻は、元夫からのストーカー被害を警察に相談し、「元夫からのメールの内容が怖い」と話していた。警察はストーカー規制法に基づいて元夫に警告できることを伝えたが、野中さんは「報復が怖い。とりあえず親族と相談する」と断っていたという(<長崎女性殺害>「元夫からのメール内容が怖い」県警に話す 毎日新聞1月30日)。

ストーカー規制法に引っかかるほどの被害にあるのに、報復が怖くて警告すらできない状態で、なぜ子どもを会わせたのだろう。ニュースを書くときには、だいたいの事情を記者さんに問い合わせてから書くことも多い。今回は、詳しい事情はわからないため躊躇っていた。しかし、被害者の落ち度であるかのように責めるような報道も出てくるに及んで、いてもたまらず書くことにした。

別れた妻が父親に子どもを会わせるーーそれは一般的には、「面会交流」と呼ばれる行為である。離婚後に別居する親に子どもを会わせるという面会交流への、社会的圧力が大きくなってきている。「養育費をもらいたいなら、引き換えに面会交流をさせるべき」*、「健全な子どもの育成のためには、面会交流が必要」、「子どもに会わせないのは、親のエゴだ」というような声が日増しに大きくなってきているなか、ずっと心配していた事態が起こった、のではないか。ショックである。

もしも、彼らが裁判所で調停や審判、裁判を受けていたとしても、おそらく面会交流が取り決められただろう。今の裁判所は、2011年に民法766条が一部改正され、離婚時に面会交流の取り決めを「協議で定める」という文言が入っただけで、面会交流の原則的実施論へと舵を切った。夫から妻(妻から夫)への暴力に関しては、「DVは夫婦の問題であって、親子の問題に関係がない」と判断され、子どもの虐待は相当の証拠が提示されない限り、認められない。どのような問題を訴えても、原則的に「面会交流をすべき」と判断されるのである。すでに多くの暴力被害者の親子が、面会交流の強制に、おびえ、苦しんでいる。暴力もないストーカーであったら、なおさら配慮されるとは思えない。「子どもに会わせれば、ストーカーはしなくなるのでは? だからこそ面会交流が必要だ」とさえ、いわれるのではないかと思う。モラハラやストーカーの扱いの難しさは、理解はされないし、ほぼ斟酌されない

これはこれからも、もっと頻繁に起こる出来事だろう。すでに何件も、離婚前後に暴力事件は起こっている。例えば、子どもの小学校で、9歳の男の子を道連れに父親が灯油をかぶり親子心中をはかった事件(子煩悩な父親なぜ無理心中?9歳次男に灯油かけ自分も焼死!妻と離婚協議中)。ファミレスで内縁の夫が、妻にも火をつけ炎上した事件(死亡したイラン人男は難民申請中 「子供に会わせてくれない。殺す」とも 茨城・土浦の男女炎上事件)。「子どもを失う悲しみから起こした事件だから、子どもを頻繁に会わせればよかった。親権をあげればよかった」と主張するひともいる。しかし自分の悲しみでいっぱいで、妻や子どもを殺すようなひとに、安心して子どもを託せないのが、普通の感覚ではないか。

今国会に提出されるかもしれない親子断絶防止法は、離婚後に子どもを育てる親に、面会交流の実施の責任を負わせ、別居するときにすでに、面会交流の取り決めをするように命じようとしている。無理だ。離婚(別居)のときには、家族が崩れるときの緊張が、極限まで達しているときである。家族は、愛情の場であるとともに、憎しみや葛藤や、そして暴力の場でもある。愛と憎しみ、愛と執着、そういったものは、多くの場合にむしろ、分離することはできない。そして多くの場合、関係がうまくいかないから、離婚をするのだ。

何度も繰り返すが、離婚後の面会交流は促進されるべきだと思っている。しかし、子どもの安心や安全が脅かされたり、命を懸けてまで、おこなっては決してならないと思う。面会交流の価値と、多くのひとにそれを命じることは別である。円満に連絡を取ることができ、子どものために感情を殺して協力できるひとは、これまでもしてきているし、これからも面会交流をするだろう。しかし、それをできないひとたちにまで、画一的に強制することはできない。親子断絶防止法は修正案が出て、DVや子どもの虐待には特別な配慮をするというが、それでも具体性、財政的裏付けは皆無である。その判断を行政窓口で行うことは、難しい。かといって家庭裁判所は、人員不足でパンクしており(「原則的実施論」の背景は、一説には人員不足だといわれている)、諸外国であるような、カウンセラーや臨床心理士、児童教育の専門家、児童精神科医、ソーシャルワーカーなどの連携の制度は皆無である。現在の制度設計で、特別な配慮といわれても、多くのひとが不安を抱くのは当然だ。しかし面会交流の実施を法律で規定するという方向に舵を切るなら、巨大な財政をそこに投入し(おそらくうまく面会交流ができない「高葛藤事案」に、安全のために大量の資金と人的資源を使うことになるだろうが)、日本社会の家族をめぐる制度を根幹から変更する覚悟が必要となるだろう

私はなぜ今回の事件が起ったのかを、知りたい。警察に相談するほどおびえる母親が、なぜ父親のもとへと子どもを会わせに行ったのか。父親に脅されたのか。なくても母親は、子どもを会わせるべきだと思ったのか。裁判所は介入していたのか。

このような悲惨な事件を、どうすれば防ぐことができたのか。きちんと報道して欲しい。この事件で、両親を亡くしてしまった子どものことを考えると、痛ましさで胸が詰まる。

*「養育費をもらいたいなら、引き換えに面会交流をさせるべき」というのは、間違いである。現在でも面会交流の実施は約4割。養育費の支払い2割。裁判所でも、面会交流の要件は養育費とは無関係のため、裕福でも養育費は払わないと主張しながら、同時に面会交流を申し立てるというひとは、実際にいる。ぎゃくに「養育費をもらえなくなると困るから」と、問題がある事案にもかかわらず面会交流をしている子どももいる。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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