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広島平和記念公園を訪れた、10代のポーランド、ウズベキスタンの代表選手たち。彼らは何を感じたのか?

柴村直弥プロサッカー選手
ポーランド、ウズベキスタンの両チームが原爆死没者慰霊碑へ献花。

17歳のポーランド人の若者たちは、真剣な眼差しでそれら1つ1つを真っ直ぐと見つめていた。

広島平和記念資料館内に展示されている物の数々だ。

真剣な表情で平和記念資料館内のパノラマを見つめるU-17ポーランド代表選手たち
真剣な表情で平和記念資料館内のパノラマを見つめるU-17ポーランド代表選手たち

「広島はこの後、何年で復興を遂げたんですか?」

1人のポーランド人の若者が近くのスタッフに聞いた。

ポーランドの首都ワルシャワの旧市街は第二次対戦後、廃墟と化してしまった。しかし、人々の努力により、街は復興を遂げ、レンガの割れ目1つまで忠実に再現したと言われるほど、元通りの街を復元。そして、ワルシャワ旧市街は、「破壊からの復元および維持への人々の営み」が評価された最初の世界遺産となった。

「おれたちは何度でも蘇る。」

ワルシャワで乗ったタクシーの運転手が私に誇らしげに話してきたことが思い出される。

この若者も、母国のワルシャワの歴史と広島の歴史を重ね合わせていたのだ。

各国を代表する10代の海外の選手たちが広島平和公園を訪れた

10日、U-17ポーランド、ウズベキスタン、両国の代表の選手たちは、広島県高校選抜、U-16日本代表チームと共に、広島平和公園を訪れた。

平和の碑への祈りと黙祷を行った後の全チームでの記念撮影
平和の碑への祈りと黙祷を行った後の全チームでの記念撮影

8月9日から広島市で行われている平和記念国際ユースサッカー大会 2015のプログラムの中の1つである、平和学習である。

大会初日の9日の試合では、素晴らしい試合を演じ、会場をおおいに湧かせたポーランド、ウズベキスタンの両国代表選手たち。

日付変わって10日。熱い試合から一転、彼らは神妙な面持ちで広島に落とされた原子爆弾について、また、当時の様子について学んでいた。

被爆した語り部の人から話を聴く、ポーランド、ウズベキスタン、両国の選手たち

両国の選手たちは配布された資料を熱心に読み込んでいた。

移動中も寺本さんの資料を読み込むポーランドの選手、スタッフ
移動中も寺本さんの資料を読み込むポーランドの選手、スタッフ

語り部の寺本貴司さんの被爆体験が書かれた資料だ。

語り部の寺本さんの話を広島選抜の選手たちと共に熱心に聴くポーランドの選手たち
語り部の寺本さんの話を広島選抜の選手たちと共に熱心に聴くポーランドの選手たち

寺本さんの話が終わった後も、ポーランド、ウズベキスタン、両国の選手たちが直接寺本さんに話を聴く姿も見受けられた。

心にくるものがあったのだろう。

チェルシーでプレーするU-17ポーランド代表主将のMFアダムチェクは、10日の平和学習を終えて、感想を述べた。試合のそれとはまた異なる真剣な表情だ。

平和学習を終えて取材に応じるアダムチェク
平和学習を終えて取材に応じるアダムチェク

「今回、広島で平和記念公園を訪れ、広島の原爆について知る、このような機会を与えていただき、本当に感謝している。僕たちも子どものころからアウシュビッツについて多く学習しているが、広島でも同じように戦争によって多くの方々が亡くなった。今日学んだことは自分の心に深く刻まれた。」

広島とポーランド。共感する想い。

2014年7月。私はウズベキスタンのFKブハラからポーランドのストミール・オルシティンに移籍した。その際、オルシティンのホテルに滞在していたときのことである。

ホテルのロビーでパソコンを使用していると、あるポーランド人の女性に声をかけられた。

「こんにちは。あなたは日本人ですか?私、来月から1か月ほど日本に旅行に行くのですが、兵庫から徳島に渡る橋が自転車で通れるかどうか知っていますか?」

聞けば、その女性は自転車で成田から九州まで渡る予定とのこと。

以前も一度同じように日本を自転車で縦断したことがあり、その際、本州から四国に渡るのにしまなみ海道を通ったと。

そして、そのしまなみ海道を自転車で渡ったことがとても気持ちよく、最高の気分だったため、他の橋でも四国に渡れないかと考えたという。

英語でインターネットで調べても調べられなかったようで、日本人である私をたまたま見つけて声をかけたということだった。

私も徳島に在住していたことがあるとは言え、鳴門大橋が自転車で通行可能かどうかは知らなかったため、その場で調べてみると、自転車は通行不可であり、四国に渡れる橋で自転車が通行可能な橋はしまなみ海道だけであった。

それを彼女に伝えると、彼女は、

「分かりました。他の橋が渡れないのは残念ですが、しまなみ海道はとても素敵だったので、またしまなみ海道を渡ろうと思います!」

と答え、続けざまに、

「ところであなたは日本のどこ出身なのですか?」

と聞いてきたので、

「広島です。」

と私が答えると、彼女の表情が真剣な表情に変わり、彼女はこう言った。

「広島出身なのですね。私も以前訪れたことがあります。平和公園に行きました。」

そして続けざまに

「私の出身地は、アウシュビッツです。」

と彼女は言った。

「私の出身地であるアウシュビッツもまた、広島と同じように戦争によって被害を受けた場所です。二度と同じような歴史が繰り返されないように願うばかりです。」

その瞬間、彼女との心の距離が近くなった気がした。

通りすがりの名前も知らない見ず知らずのポーランド人だったが、共感するものがあった。

このときの私の感情と似たものがきっとポーランドの選手たちにも沸き上がったのだと思う。

サッカーを通じた意義のある取り組み

先日私もオフを利用してアウシュビッツを訪れた。4時間をかけてアウシュビッツ、ビルケナウを廻ったが、実際に訪れてみて感じることもあった。

今回、広島平和記念公園を実際に訪れて、10代の各国を代表する若者たちは様々なことを感じたのではないだろうか。

試合をしてそれぞれのチームを強化すること。そして、時間を共有することで国際交流を図ることのみならず、こうした取り組みも行っている、この広島平和記念国際ユースサッカー大会。様々なことに対して非常に意義のある大会であると感じる。

プロサッカー選手

1982年広島市生まれ。中央大学卒業。アルビレックス新潟シンガポールを経てアビスパ福岡でプレーした後、徳島ヴォルティスでは主将を務め、2011年ラトビアのFKヴェンツピルスへ移籍。同年のUEFAELでは2回戦、3回戦の全4試合にフル出場した。日本人初となるラトビアリーグ及びラトビアカップ優勝を成し遂げ、2冠を達成。翌年のUEFACL出場権を獲得した。リーグ最多優勝並びにアジアで唯一ACL全大会に出場していたウズベキスタンの名門パフタコールへ移籍し、ACLにも出場。FKブハラでも主力として2シーズンに渡り公式戦全試合に出場。ポーランドのストミールを経て当時J1のヴァンフォーレ甲府へ移籍した

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