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驚異的なペースでゴールを量産しているレヴァンドフスキ。歩んできた軌跡、そしてその要因とは。

柴村直弥プロサッカー選手
EURO2016 QUALIFICATION(写真:ロイター/アフロ)

その瞬間、FCバルセロナで数々の偉業を成し遂げた名将グアルディオラですら、自身が後半からピッチに送り出した選手のプレーに、信じられないといった表情を見せた。

9月22日に行われたドイツ・ブンデスリーガ第6節、バイエルン対ヴォルフスブルクの試合の後半15分である。

右サイドから上がってきたボールを、27歳のポーランド人ストライカーは華麗なボレーシュートでヴォルフスブルクのゴールネットに突き刺し、この日、自身5ゴール目を記録した。

0-1でヴォルフスブルクにリードを許した状態で前半を折り返したバイエルンだったが、後半開始からピッチに投入された1人の選手の「足」によって、わずか15分間で5-1と、4点ものリードを奪ったのである。

1ゴール目からわずか9分間で5ゴール。途中出場選手の1試合5ゴールはブンデスリーガ史上初めてであり、ハットトリック(3ゴール)を記録した3分19秒も同リーグ史上最高記録である。

FCバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)所属のFWロベルト・レヴァンドフスキ。

直近の6試合の公式戦では15ゴール。

内訳は、リーグ戦3試合9ゴール、UEFAチャンピオンズリーグ1試合3ゴール、そしてポーランド代表でのEURO予選2試合3ゴールである。

世界トップレベルの試合の中で、これほどまでに驚異的なペースでゴールを決めていることは極めて異例だ。

いかにしてこの稀代のストライカーは育ってきたのか。彼が歩んできた軌跡、そしてポーランドのサッカー環境からその要因を探っていく。

ポーランド3部リーグからスタートしたキャリア

レヴァンドフスキがプロサッカー選手としてのキャリアをスタートしたのは、前述のヴォルフスブルクとの試合の観客(7万5千人)よりも少ない、人口約5万5千人(当時)ほどの街、プルシュクフをホームタウンとするポーランド3部リーグに所属するズニチュ・プルシュクフというクラブだ。

2006-2007シーズン、プロ1年目のレヴァンドフスキはポーランド3部リーグで15ゴールを挙げ、クラブの2部昇格に貢献した。

さらに翌シーズンは2部リーグで21ゴールを挙げ、1部リーグの強豪レフ・ポズナンへと移籍を果たす。

レフ・ポズナンでの1年目は14ゴール、そして2年目には18ゴールを挙げ、クラブのリーグ優勝に貢献するとともに、自身も得点王を獲得した。

翌シーズンはブンデスリーガ(ドイツ1部リーグ)のボルシア・ドルトムントへ移籍し、ここでもゴールを量産する。ドルトムントに在籍した4年間で、公式戦で103ゴールを挙げた。2012-2013シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは13試合に出場し10ゴールを挙げ、クラブの準優勝に大きく貢献した。中でも準決勝でレアル・マドリード相手に1人で4ゴールを挙げて4-1でレアル・マドリードを撃破した試合は記憶に新しく、世界を震撼させた。

2014-2015シーズンから所属しているバイエルンでも昨シーズンはリーグ戦17ゴール、UEFAチャンピオンズリーグで6ゴール、そして今シーズンは現在までにリーグ戦7試合で12ゴール、UEFAチャンピオンズリーグで2試合で3ゴールを挙げてきている。

さらにポーランド代表チームでも現在までに72試合出場32ゴールを挙げている。EURO2016予選では、6月15日のジョージア戦で4分間でハットトリックを記録し、10月11日に行われた最終戦のアイルランド戦ではチームを本戦に導くゴールを決め、同予選10試合で13ゴールを記録。同予選の歴代最多得点記録に並んでいる。

ここまで綴ってきたように、現在世界最高のストライカーとの呼び声も高いポーランド人ストライカーは、4つのクラブ、4つのリーグ、さらに、代表チーム、UEFAチャンピオンズリーグなどでも多くのゴールを挙げてきている。

リーグ戦でゴール数が一桁だったことすら、ドルトムントでの1年目の2010-2011シーズン(8ゴール)の1シーズンのみである。

これほどまでにチームやリーグを問わずに、かつプロデビューから常時ゴールを量産している選手は他に見当たらない。

例えばメッシやクリスティアーノ・ロナウドですらプロデビューから常時ゴールを量産していたとは言い難い。

デビューからの最初の4シーズンで3選手を比較すると、リーグ戦において、メッシは71試合出場31ゴール。クリスティアーノ・ロナウドは120試合出場21ゴール。それに対してレヴァンドフスキは117試合出場68ゴールである。

クラブやリーグの違いがあるため、一様に比べることはできないが、レヴァンドフスキはプロとしてのキャリアを歩み始めた1年目から、リーグやクラブが変わっても毎年ゴールを取り続けていることは事実である。

このように、いかなる状況下においても多くのゴールを決めることができる、レヴァンドフスキのようなストライカーはどのように育ってきたのか。

優秀なGKが生まれる土壌との互換性

以前、ポーランドのGKについて書かせていただいた下記の記事では、優秀なFWが生まれる土壌から優秀なGKが生まれていると、GK側の視点から綴ったが、FW側の視点からすれば、その逆もまたしかりである。

なぜポーランドは優秀なGKを輩出し続けることができるのか?

優秀なGKが生まれるがゆえに、優秀なFWも生まれる。GKとFWは日常的なトレーニングに大きく関連してくるため、いずれも表裏一体であると言える。

さらに、ポーランドのリーグは2009-2010シーズンに、レヴァンドフスキが1部リーグで18ゴールで得点王になったことからも分かるように、優秀なストライカーであってもゴールを量産することが容易なリーグではない。得点王となる選手のゴール数も、例年20ゴールに到達するかしないかといったところだ。

個を重視し、GKが優秀なポーランドの育成環境下の中で育ち、ゴールを挙げることが難しいリーグの中で磨き上げられてきた得点能力も、レヴァンドフスキが現在驚異的なペースでゴールを量産していることの要因であると言えるだろう。

ブンデスリーガ、UEFAチャンピオンズリーグ、そして来年行われるEURO本戦…

プロデビューから10年間のプロ生活で常時ゴールを挙げ続けているポーランド人ストライカーから、今後も目が離せない。

プロサッカー選手

1982年広島市生まれ。中央大学卒業。アルビレックス新潟シンガポールを経てアビスパ福岡でプレーした後、徳島ヴォルティスでは主将を務め、2011年ラトビアのFKヴェンツピルスへ移籍。同年のUEFAELでは2回戦、3回戦の全4試合にフル出場した。日本人初となるラトビアリーグ及びラトビアカップ優勝を成し遂げ、2冠を達成。翌年のUEFACL出場権を獲得した。リーグ最多優勝並びにアジアで唯一ACL全大会に出場していたウズベキスタンの名門パフタコールへ移籍し、ACLにも出場。FKブハラでも主力として2シーズンに渡り公式戦全試合に出場。ポーランドのストミールを経て当時J1のヴァンフォーレ甲府へ移籍した

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