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「待機児童完全解消」の財源1.4兆円は「相続税の拡大」や「被扶養配偶者優遇制度の限定」などで得られる

柴田悠京都大学大学院人間・環境学研究科 教授
(写真:アフロ)

「待機児童の完全解消」には新たにおよそ「1.4兆円」が必要

2013年時点の潜在的待機児童「約80万人」の解消のためには、消費税5%増税(5%→10%)によって確保される子育て支援財源0.7兆円(40万人解消分)に加えて、新たに「0.7兆円」(さらなる40万人解消分)が必要だ(※1)。つまり、待機児童を完全に解消するには、今後新たに0.7兆円の財源を確保する必要がある。

ただし、政府は、「低賃金が問題となっている私立認可保育所保育士の賃金を、5%だけ引き上げれば、現時点の計画である50万人定員増設によって2017年度末時点で不足する保育士9万人(「平成28年度当初予算(案)(保育対策関係)の概要」参照)を確保できる」と見立てているようだが、その見立ては甘すぎるように思われる。

おそらくは、「私立認可保育所の常勤保育士の年収(認可/認可外で同額と仮定して323万円)」を「全産業の民間常勤労働者の平均年収」(489万円)まで(つまり51%)引き上げなければ(平成27年賃金構造基本統計調査)、不足保育士を確保することはできないだろう。

そのように仮定すると、潜在的待機児童80万人解消(80万人分定員増設)の場合、上記の「0.7兆円」に加えて、さらに「0.7兆円」が必要となる。

というのも、私立認可保育所の常勤換算保育士数は、2013年時点で23.9万人だった。これに加えて、2017年度末までに認可保育所定員を80万人分増やすとすると、保育士の常勤換算必要増員17.5万人(※2)を仮にすべて私立認可保育所保育士で増員するとすれば、2017年度末で必要な私立認可保育所の常勤換算保育士数は計41.4万人である。

ここで、私立保育所保育士と全産業民間労働者の年収差(常勤)は、先述のとおり2015年時点で166万円だ。

よって、追加で年間(41.4×166÷10000=)「0.7兆円」あれば、私立認可保育所保育士全員の年収を全産業平均にまで引き上げることができる。それによって、潜在的待機児童の解消に必要な保育士を確保できるだろう。

これらを仮定すると、(0.7兆円+0.7兆円=)「1.4兆円」の財源を新たに確保できれば、潜在的待機児童を完全に解消できる(※1)(※3)。

「待機児童完全解消:1.4兆円」の財源確保策

では、この「1.4兆円」の財源を確保するには、どういう方法があるだろうか?

「消費税の増税」は、消費に(少なくとも一時的には)悪影響を与えるし、貧困世帯への逆進性も生じやすいので、「最後の手段」と考えて、ひとまずは避けておくのがよいだろう。

私が提案したいのは、(1)「相続税の拡大」、(2)「被扶養配偶者優遇制度の限定」、そして(3)「小規模ミックス財源」である。

(1)相続税の拡大

相続遺産は、毎年37~63兆円ほど発生しているとみられる(※4)。しかし、基礎控除が「3000万円+600万円×法定相続人数」「相続する配偶者には1.6億円」もあって、かなり大きな遺産でないと課税対象にならないため、相続税収は毎年1.9兆円ほどにすぎない。つまり、増税の余地はかなりあるといえる。

また、そもそも相続税は、「本来自分のものではない資産(相続遺産)の徴収」であるため、「被扶養配偶者への増税」などの他の増税策よりも、倫理的には望ましいと思われる。

たとえば、毎年発生する相続遺産の比較的新しい推計である「37.0~62.9兆円」(※4)を前提とすると、配偶者がいる場合の基礎控除を2000万円、子どもがいる場合の基礎控除を子ども一人あたり100万として、税率を一律20%とすると、少なくとも「2.8~7.9兆円」(5.4兆円前後)の追加税収を見込める。またこれを、配偶者基礎控除を1000万円とすると、少なくとも「3.9~9.0兆円」(6.5兆円前後)の追加税収を見込める。

なお、現行制度では税率は10~55%の累進性があり、上記の案も「一律20%」ではなく累進税率にすれば、工夫次第ではより大きな増収になるだろう。また、「一律20%」とすれば、低資産層にとっては増税になり、高資産層にとっては減税になるため、資産格差を拡大させてしまうかもしれない。ただ、高資産層にとって減税となれば、抵抗勢力になりがちな彼らからの支持が得やすくなり、さらに、タックスヘイブンへの資産逃避も減るかもしれない。税率の累進性をどの程度設定するのかは、今後に残された課題である。

たとえば、現在の累進性を維持するなら、基礎控除額を配偶者1000万円+子ども一人当たり100万円、追加税率を一律5%(累進税率に加えて、全員5%分多めに払う)とすると、平均1.4兆円~最大2.7兆円(およそ2.1兆円前後)の税収増が見込める。

なお、「相続世代の消費減少」「投資減少」というマイナスの副作用も考えられるが、「被相続世代の消費増加」「富裕層減税」というプラスの副作用も考えられるため、副作用についての議論は慎重に行うべきである。

(2)被扶養配偶者優遇制度の限定

「1.4兆円」であれば、「被扶養配偶者優遇制度」を下位60%の世帯に限定するだけで、確保できる。

というのも、「被扶養配偶者優遇制度」(所得税・住民税の配偶者控除・配偶者特別控除と国民年金・健康保険の被扶養配偶者保険料免除)を全廃することで増える政府収入は、「3.5兆円」と見込まれる(※5)。

したがって、被扶養配偶者優遇制度の対象世帯を、「世帯所得下位60%(世帯年収約700万円以下)の世帯」に限定するだけで、「1.4兆円」の財源を確保できると見込まれるのである。

「被扶養配偶者優遇制度」は、主婦・主夫を優遇する制度だが、主婦・主夫の労働参加を阻害する要因にもなってしまっている(いわゆる「103万円の壁」「130万円の壁」)。そのため、すでに自公政権の「平成28年度税制改正大綱」の7頁でも、「働きたい女性が就業調整を行うことを意識しなくて済むような仕組みを構築する方向で検討を進める」とあり、「被扶養配偶者優遇制度」は見直しが進みやすそうな状況にある。

なお、「被扶養配偶者優遇制度を低所得世帯に限定すると、高所得世帯の被扶養配偶者(裕福な専業主婦・パート主婦など)の一部がフルタイムで働くようになるので、待機児童が増えるのでは?」と思われるかもしれないが、「高所得世帯」の子どもの大部分は、すでに小学生以上になっていると考えられる。というのも、一人当たり世帯所得は、世帯主が40~60代の場合に最も高い傾向にあるからだ。

また、現状として、高所得者ほど、被扶養配偶者優遇制度の恩恵を受けている。したがって、優遇対象から外れた「高所得世帯」の被扶養配偶者の多くは、もともと生活に困っていなかったのだから、わざわざフルタイムで働くようになるとは考えにくい。

(3)小規模ミックス財源

ただし実際には、「相続税の拡大」や「被扶養配偶者優遇制度の限定」は、「法定相続人」や「被扶養配偶者」からの抵抗が大きい。また「相続税の拡大」については、遺産を完全に補足しにくかったり、タックスヘイブンへと遺産が海外流出するといった課題もある。さらに「被扶養配偶者優遇制度の限定」については、限定するだけでは「103万円・130万円の壁」そのものは解消されないため、その解消のためには控除額・免除額の段階化などの工夫が必要で課題も多い。

したがって、他の可能な財源確保策(「経済成長による税収増」「政府資産の活用」「所得税の累進化」「年金課税の累進化」「消費税の増税」など)とも合わせて、多様な財源確保策を小規模ずつで組み合わせるという「小規模ミックス財源」が、全体的な抵抗も小さく、副作用リスクも少ないだろう。

まとめ

潜在的待機児童80万人(2013年時点)を完全に解消するには、新たにおよそ「1.4兆円」が必要だ。

また、その1.4兆円の財源は、「相続税の拡大」(最大6.5兆円増収)や「被扶養配偶者優遇制度の限定」(最大3.5兆円増収)などの小規模ミックスで、十分に得られると考えられる。

政治家・官僚の方々には一度ご検討いただきたい。

※1:

この試算について、財政政策が専門で保育政策に詳しい経済学者・和泉徹彦さんから、ツイッター上で下記のご指摘をいただいた。

「財源2兆円は必要だと考えていたのだけど、やけに安い見積もり発見。そして間違い2つを見つけた。」(引用元

「0.7兆円で40万人解消というのは定員増であって、待機児童そのものではない。例えば中野区は新年度定員500人増だけど待機児童解消効果はその半数程度。待機の多い0~2歳定員だけ増やすのはできない。もう一つは施設整備費という投資的経費と年間運営費という恒常的経費を区別せず論じている。」(引用元

和泉さんのご指摘によれば、待機児童の多い3歳未満定員を十分に増やしたり、施設整備費と年間運営費の区別を考慮に入れると、待機児童を完全に解消するには、「1.4兆円」ではなく「2兆円」の追加予算が必要とのことのようだ。

貴重なご指摘に感謝したい。

なお、「2兆円」だとしても、「相続税の拡大」(最大6.5兆円増収)や「被扶養配偶者優遇制度の限定」(最大3.5兆円増収)などを小規模ずつ組み合わせれば、財源確保は十分に可能だと思われる。

※2:

2013年10月時点で、私立認可保育所の常勤換算保育士数は23.9万人、公立認可保育所の常勤換算保育士は13.3万人、合計37.2万人だった(平成25年社会福祉施設等調査・個別表・施設票)。そこから、2017年度末までに認可保育所定員を80万人分増やすとすると、2017年度末に必要な常勤換算保育士数は(「平成28年度当初予算(案)(保育対策関係)の概要」によれば保育所定員を40万人分増やすだけなら46.7÷37.8=1.235倍なので)2013年度の1.47倍にまで増やすことになるので54.7万人である。したがって、2017年度末までの保育士の必要増員数(常勤換算)は17.5万人である。

※3:

なお、保育サービスのための予算を、具体的にどのような方法で使うのかは、いろいろと検討の余地があるだろう。たとえば、「認可・認可外にかかわらず、すべての保育サービスの保育料を自由化した上で、低所得者の負担を減らすために、保育サービス(ベビーシッターや病児保育など多様なサービスを含む)のみで使える『保育クーポン』(引換券)を低所得者に政府が配布する」という方法(鈴木 2014: 194)も検討に値する。なぜなら、そうすれば、これまで認可保育所に入所しなければ公的補助を受けられなかった低所得者(しかも非正規雇用の場合はそもそも認可保育所への入所に落選しやすい)が、認可外保育施設に入っても公的補助を受けられるようになるからだ(鈴木 2014: 94)。さらに、これまで大量の公費投入によって守られていたことで非効率的に高コストだった認可保育所の運営費 (鈴木 2014: 192-3)を、効率化できるからだ。保育サービス予算を「保育クーポン」に集約することで、これらの問題が解決される可能性がある。

※4:

立岡健二郎「相続税の課税方式に関する理論的考察」『JRIレビュー』(日本総合研究所)第4巻第5号、2013年の102頁を参照。

※5:

「3.5兆円」の算出方法については、以前の記事の※5を参照。

京都大学大学院人間・環境学研究科 教授

1978年、東京都生まれ。京都大学総合人間学部卒業、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。専門は社会学、幸福研究、社会保障論、社会変動論。同志社大学准教授、立命館大学准教授、京都大学准教授を経て、2023年度より現職。著書に『子育て支援と経済成長』(朝日新書、2017年)、『子育て支援が日本を救う――政策効果の統計分析』(勁草書房、2016年、社会政策学会学会賞受賞)、分担執筆書に『Labor Markets, Gender and Social Stratification in East Asia』(Brill、2015年)など。

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