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残業代の存在意義~それでも残業代ゼロ法は必要ですか?~

嶋崎量弁護士(日本労働弁護団常任幹事)

残業代制度の存在意義を理解しよう!

労働基準法は、1日8時間・1週40時間を労働時間の最低基準として定め、この最低基準に反する時間外労働に対しては、割増賃金の支払いを義務づけています(労働基準法37条)。

この残業代に関する労働基準法37条の規定がなぜ存在するのかは、極めて重要なのに、あまり認識されていません。

結論からいえば、残業代の支払いを命じるこの労働基準法37条は、長時間労働を抑制して、労働者の命と健康を守り、家庭生活や社会生活の時間を確保するためです(ご存じでしたか?)。

具体的に考えてみよう!

◇労働契約の定め・・・1日8時間労働、賃金・時給1000円

◇ある日の労働時間・・・9時間労働(1時間の残業) 

このケースで、8時間を超える1時間分の労働に対して、使用者は、時給1000円を超える、1250円を支払う必要があります(午後11時~午前6時までの深夜労働、休日労働であれば、さらに割増賃金が増加)。

使用者が、8時間を超える残業について、時給換算分1000円相当を支払う義務がある理由は簡単です。1日8時間分しか約束(労働契約)していないのですから、約束分を超えて働いた賃金を支払わなければならないというだけです。 

問題なのは、割増賃金が加算された時給1250円(時給1000円→時給250円・25%増し)の時給を、なぜ支払わなければならないのかです。

ポイントは割増賃金による労働時間抑制

このような、割増賃金の支払いは、使用者には大きな負担です。ですが、これがポイント。

労働基準法の定める1日の労働時間(原則8時間)を超えて労働者を働かせる場合には、25%増しの賃金を支払うように命じる、いわば制裁を課して、使用者が労働時間を減らすようにしているのです。つまり、使用者に、労働時間削減のため真剣に取りくませるために、長時間労働を抑制するために、この割増賃金の支払いを義務づける規制が存在するのです。

しかも、この残業代支払いに関する規定は、とても厳しい規制です。違反した場合には、使用者は刑事罰まで科されうる犯罪行為なのです。残業代不払いの取り締まりを強め、長時間労働の抑制に実効性をもたせようとしているのです。

ですが、残念ながら、日本のあらゆる職場で、残業代不払いという違法が蔓延しています。あらゆる職場で、犯罪行為が放置されているのです。

そして、日本の職場では、長時間労働を原因とする、過労死は今も頻繁に起こっています。正社員労働者(日本の男性労働者の約7割とされる)の長時間労働は、一向に改善せず、これが女性に家事・介護・育児などの家庭責任を押しつけての要因となって、女性の社会での活躍の場を奪い、家庭生活との調和を不可能にして少子化の一因ともなっています。

今の日本社会に求められているのは、残業代不払いという犯罪行為をきちんと取り締まり、労使一体、社会全体で、労働時間削減に真剣に取り組むことでしょう。

今の日本に必要なのは、割増賃金を引き上げる(今よりも抑止効果があります)、残業代不払いを取締まる行政システムの充実といった、犯罪撲滅のための制度なのです。

それでも残業代ゼロ法は必要ですか?

現在、安倍政権は、実際に働いた時間と関係なく成果に応じた賃金のみを支払うことを基本とする制度を導入するとしています。対象労働者には、法定労働時間を超える労働(残業)と賃金との関係を切断し、長時間労働抑止のための労働基準法の規制を排除しようとしているのです(残業代ゼロ法)。

この残業代ゼロ制度を、成果に応じた賃金を支払う制度にするためだとか労働時間を削減するためだと説明されています。

ですが、まず押さえなければならないのは、日本の労働法は「時間と賃金が完全に連動している」制度ではないこと。労働時間と賃金が連動しているのは、残業部分だけなので、成果に応じた賃金制度を入れることは、今の制度でもできるのです。実際に、既に多くの労働者が成果主義の賃金体系で働いています。ですから、成果主義賃金を実現するために、残業代ゼロ法など必要ありませんし、両者に何の関係もありません。

労働時間を削減するために、残業代ゼロ制度が必要などという説明は、あまりに馬鹿げています。残業代支払いを命じる労働基準法が、そもそも労働時間を削減するために存在することが、世間に知られていないのを利用しているとしか思えません。 

「残業代欲しさに長時間労働している労働者がいる。そんな労働者は、残業代が払われなければ、長時間労働を辞める。だから労働時間削減に役立つ」

こういった説明で、残業代ゼロ法を評価する方もいます。

まず、こんな労働者が本当にいるのかという問題もありますが(特に、政府のいう年収1000万を超える労働者で。)、その点はひとまず置いておきます。

仮に残業代欲しさに無駄な残業をする労働者がいるとしても、使用者がきちんと指導して、残業を止めさせれば良いだけです。これは労務管理の基本だし、今すぐに実行できることです。だから、残業代ゼロ法などなくても、無駄な残業を止めさせることはできるし、残業代ゼロ法とは無関係に対応出来ることなのです。無駄な残業代をなくして労働時間を減らすため残業代ゼロを導入するなんて、全く馬鹿げた論調です。

むしろ、残業代ゼロ法が成立すれば、残業代による使用者への制裁という歯止めがなくなることの方が大問題です。使用者が労働者の能力を超えた成果を求め、今以上に長時間労働が蔓延することになるでしょう。もちろん、成果に応じて使用者が賃金を上げる保障など、どこにもありません。

労働時間の上限規制だけで十分なのか?

これに対して、長時間労働の予防策は、労働時間の上限規制を入れれば達成できるという方もいます。たしかに、労働時間の上限規制それ自体、長時間労働抑止にとって意味のある施策です。

しかし、サービス残業がこれだけ蔓延している社会で、労働時間の上限規制が、それ単独で「実効性」のある歯止めになるとは、到底考えられません。そんな歯止めが実現可能なら、残業代支払いという今ある歯止めによって、今すぐにでも長時間労働を抑止できるはずなのです(実態を直視すればわかることです)。

残業代不払いという犯罪の合法化

政府が推し進める残業代ゼロ法が成立すれば、日本の職場に蔓延する残業代不払いという犯罪行為を減らすことはできるでしょう。ですが、残業による長時間労働がなくなる訳ではありません。違法(犯罪行為)だったことを、単に合法化するだけ。

こんな手法での犯罪行為撲滅は、他の犯罪では許されるはずが無いのに(刑事罰は厳罰化傾向です)、なぜか残業代では犯罪行為の合法化が進めらているのです。

制定したばかりの過労死防止対策推進法と矛盾

今年の6月20日、過労死・過労自殺の対策を国の責任で進めると明記した、「過労死防止対策推進法」が成立しました。言うまでも無く、多くの方が過労死で命を落としている現状を踏まえて、成立した法律です。

「過労死防止対策推進法」が必要な社会で、過労死対策を国の責任で進めると明記した法律を成立させたばかりなのに、逆行する残業代ゼロ法を成立させるのでは、全く矛盾しています。

残業代制度は、「お金」の問題ではありません。多くの方が過労死で命を落としている現状において、命の問題として、真剣に長時間労働をなくすために取り組まなければならないのです。

労働者を命と健康を守る労働時間規制の改廃を論じるなら、今ある法制度の存在する意味をきちんと理解し、日本で働く労働者の現状を直視して、考える必要があるでしょう。

そうすれば、残業代ゼロ法が本当に必要なのか、自ずと答えはでるはずです。

弁護士(日本労働弁護団常任幹事)

1975年生まれ。神奈川総合法律事務所所属、ブラック企業対策プロジェクト事務局長、ブラック企業被害対策弁護団副事務局長、反貧困ネットワーク神奈川幹事など。主に働く人や労働組合の権利を守るために活動している。著書に「5年たったら正社員!?-無期転換のためのワークルール」(旬報社)、共著に「#教師のバトン とはなんだったのか-教師の発信と学校の未来」「迷走する教員の働き方改革」「裁量労働制はなぜ危険か-『働き方改革』の闇」「ブラック企業のない社会へ」(いずれも岩波ブックレット)、「ドキュメント ブラック企業」(ちくま文庫)など。

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