Yahoo!ニュース

細貝萌、日本復帰の理由

島崎英純スポーツライター
柏レイソルへの移籍を決めた細貝萌(写真は今インタビュー時のものではありません)(写真:アフロ)

ドイツ・ブンデスリーガ2部のVfBシュトゥットガルトからJ1リーグの柏レイソルへの移籍を決めた直後の細貝萌選手に、日本復帰の理由を聞きました。

柏で自らの経験を活かしたい

――シーズン半ばでシュトゥットガルトから柏レイソルへ移籍を決めた理由はなんだったのでしょう?

細貝萌(以下、細貝)「去年の12月の段階ではシュトゥットガルトから移籍することは考えていなかったのですが、2017年に入ってから何かの変化を加えなきゃいけないというのが自分の中のテーマにあって、方向性を模索していました。今季はシーズン中に3度も負傷してしまい、その都度戦線離脱してリハビリをする期間が続いていました。そして新しい選手を獲得したりすることで、チーム内での自分の序列も変わっていったこともあって、6年ぶりに母国でプレーしたいという気持ちになった。チームが結果を出す中でベンチ入りすらできない状況は何よりも厳しかったです。当然この状況は、自らの環境を変えたいと思う一番の理由になりました。もちろんケガをして戦列を離れたことも厳しい立場に立たされた理由のひとつだと思っていますけども、それだけでもないですよね。若返りを図って1年での1部昇格を目指すシュトゥットガルトの中で、30歳の僕がチームを支えるだけの力を発揮できなかった。今は、その自分の至らなさを痛感しています。僕自身の実力不足です」

――Jリーグの柏レイソルからのオファーを受けた理由は?

細貝「今回、いくつかのクラブが僕に興味を示してくれました。でもドイツを含めたヨーロッパ4大リーグの移籍期間は1月31日でクローズしていて、Jリーグも3月31日の移籍期間終了が迫っていました。その中で、Jリーグ各クラブのキャンプが終わり、リーグが開幕する前のタイミングくらいから話をしてきました。その上で、今の自分の年齢や僕の力を必要としてくれているクラブであると思い、今回柏レイソルという素晴らしいクラブからのオファーを受けて移籍を決断しました。今の柏の印象はとても若いチームということ。その中で、シュトゥットガルトではなかなか叶わなかったのですが、今回は自分の経験を活かしてチームに貢献したい思いが募りました」

――ヨーロッパのドイツから日本へ戻ることになりました。今の心境は?

細貝「僕は2011年の冬に日本からヨーロッパへ移籍しました。そして6年間、いろいろなことを感じて、とても有意義な経験をさせてもらいました。ドイツだけでなくトルコでもプレーさせてもらえましたしね。ただヨーロッパでプレーしている間も、いつかは日本に戻ってサッカーをすると思っていて、今回はそのタイミングが来たのだと思います。僕自身も意地を張ってヨーロッパに残り続けたいと思っていた訳ではありません。もちろんドイツを離れることに対して寂しい気持ちもありますけど、いつかはここを離れる時が訪れる。日本へ帰っても、僕のプロサッカー人生はまだ続きます。また最近ではヨーロッパで活躍した日本人選手がJリーグに戻るケースもありましたしね。だから今は悲しいというよりも、これから始まる柏でのプレーに対する期待感の方が勝っています」

育ててくれた浦和と、新天地・柏への思い

画像

――今回、移籍に際して誰かに相談はしたのでしょうか?

細貝「それほど多くの方に相談したわけではありません。もちろん家族には同時進行で話をしていましたが、現役選手では同期で、共に浦和レッズでプロキャリアをスタートさせた赤星貴文選手にはよく相談に乗ってもらいました。彼は最近までポーランドリーグのクラブに所属していて、今シーズンからタイのクラブ(ラーチャブリーFC /タイ)に移籍しました。彼は僕以上に厳しい環境の中で様々な経験をしてきた選手なので、貴重なアドバイスをしてもらいましたよ。また、チームメイトの浅野拓磨はもちろん、同じくかつて浦和で共にプレーしてヘルタ・ベルリンでも同僚だった原口元気選手や、シュトゥットガルト近郊のアウクスブルクでプレーしている宇佐美貴史選手、オーストリア・ザルツブルクの南野拓実選手とは最近ドイツ国内で会食もしました。他にもフランクフルトでは長谷部誠選手(フランクフルト/ドイツ)、香川真司選手(ドルトムント/ドイツ)、武藤嘉紀選手(マインツ/ドイツ)とも食事をして、いろいろなことを話しました。

ただ彼らには何となく今の自分の厳しい境遇のことを話したりはしましたが、詳しい経緯や移籍に際する相談などはそこまで詳しくはしませんでした。彼らも今はドイツで必死にプレーしているわけですし、迷惑は掛けられないですしね。赤星選手以外にはあまり弱みを見せるのは恥ずかしかったのもあります(笑)。他にも柏レイソルでプレーしたことのある狩野健太選手(川崎フロンターレ)や酒井宏樹選手(マルセイユ/フランス)とも話したりしましたよ。彼らと会っていた2月下旬から3月上旬の時期は僕のドイツでの生活が最後になる可能性も高いと思っていて、積極的に彼らと連絡を取って会うようにしていたのもありますけどね」

――シュトゥットガルトのチームメイトである浅野拓磨選手とは、どんな話をしていましたか。

細貝「拓磨とは日常的に話す機会が多く、家族ぐるみで付き合いをしていますから、何かと話していましたね。彼は今、日本代表の試合でUAEに遠征しているのですが、今回の移籍の件は電話で伝えました。拓磨は去年、初めて海外移籍をしてシュトゥットガルトに来ましたけども、すでに半年以上が経ってチームにも溶け込んでいますし、ハネス・ヴォルフ監督の信頼も厚いですから何の心配もないです。これからの活躍が楽しみです。彼はとても明るい性格なので、コーチ陣やチームメイトとのコミュニケーションも問題ない。何より彼には素晴らしい才能、能力がありますから、今後もシュトゥットガルト、そして将来は所属元であるイングランドのアーセナルで活躍して欲しいと期待しています。今、ドイツの僕の自宅には余っている沢山の洋服などがあるので、それを整理しているんです。この後、シュトゥットガルトの自宅を引き払って日本へ引っ越しするのですが、拓磨が日本代表の活動を終えてシュトゥットガルトへ戻ってくるときにはすでに僕は柏へ行っているので、僕よりも遅れて帰国する妻に拓磨への伝言と、彼がドイツで生活する上で役立つ洋服や物を託そうかと思っています」

――細貝選手はプロデビューした浦和レッズではなく、柏への移籍を決めました。今の心境をお聞かせください。

細貝「僕は2011年の冬に浦和レッズを出て、ドイツ・ブンデスリーガのバイヤー・レバークーゼンと契約し、直後にレンタル移籍で当時2部のアウクスブルクでプレーしました。僕がドイツでプレーできることになったのも、前橋育英高校から浦和に加入して、浦和というクラブ、チームで温かく育ててもらったからです。僕にとって浦和は今でも特別なクラブです。ただ今回の僕の状況、移籍のタイミングなどを考えた際に、本当に悩みました。今の浦和の試合も観ていますし、所属している選手のこともよく知っています。今季の浦和も間違いなくJリーグで優勝を狙えますし、ACLのタイトルも狙えます。ただ今の浦和は僕がチームに加わる、加わらないを別として、すでに多くの実力ある選手が活躍していて、素晴らしいサッカーをしています。チーム内での役割、チームスタイルなどを加味した時、今の僕には柏でのプレーの方が頭の中でイメージできた。プロサッカー選手としては個人の感情を抜きにして、様々な項目を客観的に考慮して自らがプレーするチームを決めなくてはならない。今回、僕は柏のチームの中で上から4番目の年長者になります。そうなれば若い選手を牽引していく役目も当然担うわけです。その中で、今の柏はJリーグで3連敗中です。そんなチームに微力ながらも貢献したい、手助けしたいという思いが強まっています。

実は僕、浦和に在籍していた時代に柏のホームスタジアムである日立台でプレーした経験がないんです。かつてのレイソルは浦和戦の時に国立競技場でホーム戦を開催していたんですよね。だから僕は日立台のピッチに立ったことがない。スタンドからピッチまでの距離が近い、あの日立台でプレーした時に、僕はどんな思いを抱くんだろう。今は、その時が早く訪れてほしいと願っているし、そこで柏レイソルサポーターが僕をどう迎えてくれるのかを、とても楽しみにしています」

細貝萌オフィシャルウェブ(http://hajime-hosogai.net/)でも、本移籍に関するコラムを掲載しています。

スポーツライター

1970年生まれ。東京都出身。2001年7月から2006年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当記者を務めた。2006年8月よりフリーライターとして活動し、2018年3月からドイツ・フランクフルトに住居を構えてヨーロッパ・サッカーシーンの取材活動を行っている。また浦和レッズOBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信。浦和レッズ関連の情報やチーム分析、動画、選手コラムなどの原稿も日々更新中。

島崎英純の最近の記事