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“土下座スイマー”の汚名晴らせなかったパク・テファンの落日と韓国水泳界の驚愕すべき実態

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
4度目のオリンピックで惨敗に終わったパク・テファン(写真:ロイター/アフロ)

リオデジャネイロ五輪の開幕前から何かと注目を集めていた男子競泳のパク・テファン。だが、その結果は散々なものだった。

エントリーしていた自由形100m、200m、400mのすべてで予選落ち。1500mもエントリーしていたが、「練習していない」ことを理由に棄権し、早々と帰国してしまったのだ。北京五輪でアジア初の自由形400m金メダルに輝き、2012年ロンドン五輪でも200mと400mで2つの銀メダルに輝いた“マリンボーイ(パク・テファンの愛称)”が、かつての輝きを放つことはなかった。マリンボーイ沈没と言っても過言ではない。

もっとも、その結果はあらかじめ予想できたことだったのかもしれない。2014年9月に禁止薬物使用が発覚したことで国際水泳連盟から18カ月間の選手資格停止処分を受けて以降、国際大会出場はおろか、まともな練習もできなかったという。

全盛期はSKグループから年間15億ウォン以上もの支援があり、5人の専門コーチがつく “チーム・パク・テファン”体制でオーストラリアでの10カ月以上の海外キャンプもできる充実環境にあったが、謹慎中は一般プールで練習したり、コーチ陣も自費で雇い入れなければなかったらしい。

ただ、それも身から出た錆であり、パク・テファンと言えば日本ではすっかりダーディーなイメージに染まってしまった。検索サイトで「パク・テファン」と入力すると、「土下座」「号泣」といった言葉がついてまわってくる。

■土下座スイマーもかつては国民的アイドルだった

たしかに国際水泳連盟からの出場停止処分が満了したとはいえ、禁止薬物投与の事実は消えないし、CAS(国際スポーツ仲裁裁判所)の仲裁を受けて大韓体育会が出場を許可したとはいえ、一連の騒動の波紋は大きかった。土下座してまで出場を訴える姿は、「そこまで五輪にこだわるのか」と映った。韓国の一部には今も彼に否定的な人たちが多い。

ただ、そんなパク・テファンも数年前までは韓国の誰もが認める“国民的英雄”だった。

忘れられないのは8年前の2008年北京五輪だ。パク・テファンは400m自由形で韓国競泳史上初の金メダルを達成。その模様はKBS、SBS、MBCと韓国の地上波TVすべてで3局同時中継が行なわれたほどだった。ちなみに合計視聴率は42%台。まさに国民的ヒーローだった。

テレビでは特別番組が組まれ、CM出演依頼も殺到。そうした中で日本の漫画『スラムダンク』のファンで日本のアニメソングなども聞いているなど、意外な素顔も明らかになった。

(参考記事:国民的英雄から“土下座スイマー”になってしまったパク・テファンの意外な素顔

■パク・セリやキム・ヨナらに匹敵した影響力

芸能界に友人も多く、K-POPアイドルとの熱愛説が報じられたこともある。

特に有名なのは、韓国屈指の人気女性アナウンサーであるチャン・イェウォンとの熱愛説だった。チャン・イェウォンは190倍の競争を勝ち抜いて女子アナになり、“日本の加藤綾子アナ”に匹敵するほどの人気を誇るが、彼女とのデート現場らしき場面を盗撮報道されたこともある。パク・テファンはまさに韓国屈指のスポーツアイドルだったのだ。

個人的に彼の影響力の凄さを垣間見たのは、 “第2のパク・テファン”を夢見て子供たちを水泳教室に通わせる父兄が激増したことだった。

韓国では“カナヅチ”のことを“ビール瓶(ビール瓶のように水に沈んでしまうという意味)”と呼ぶのだが、パク・テファンに憧れて水泳を始める子供たちも増えたのだ。その現象は、かつて朴セリが巻き起こしたゴルフ英才教育ブームや、キム・ヨナによって火がついた“フィギュア・ブーム”を連想させるほどだった。

(参考記事:イ・ボミ、キム・ハヌル、パク・インビら“朴セリ・キッズ”の共通点

(参考記事:韓国のフィギュア女王キム・ヨナは今、何をやっているのか

それだけに“土下座スイマー”の汚名を晴らすためにも、プライドを捨ててまで出場を望んだリオ五輪で結果を残してもらいたかったが、それも前述した通り、無残な結果で終わってしまっている。

一部メディアは大会前から「メダル獲得なら奇跡」としていたが、奇跡どころか惨敗だっただけに「そもそもパク・テファンはリオ五輪に出場する必要があったのか」と首を傾げる記事もある。

■日本とは雲泥の差にある韓国の水泳事情

もっとも、個人的にはそもそもパク・テファンのようなスイマーが韓国で誕生したこと自体が奇跡ではなかったかとも思う。

というのも、韓国水泳事情は恵まれているとはいえないのだ。民営のスイミングクラブどころか、プール設備を備えた学校も少なく、そのほとんどが市や道(日本の県にあたる)が運営するプールで施設数は2000カ所弱。韓国水泳連盟に登録されている競技者人口も、小学校から一般まで合わせてたったの3755人(2014年)にしかならない。

全国各地に日本水泳連盟公認プールや民営のスイミングクラブがあり、競技者人口は愛好者も含め22万人に達すると言われる日本と比べても、韓国の水泳環境は雲泥の差がある。それだけに韓国でパク・テファンのような選手が出現したこと自体が“奇跡”だった。

にもかかわらず、韓国水泳界はその“奇跡”の裏側で不正を繰り返していた。今年3月には水泳連盟の幹部5人が横領・背任の疑いで起訴されている。パク・テファンの惨敗の原因は、もちろん禁止薬物使用で陽性反応が出た彼自身の過ちにもあるが、長らく続いてきた韓国水泳連盟の根深い不正にも少なからず問題があったと言わざるを得ないだろう。

(参考記事:賄賂、横領、選手選考にも不正があり逮捕者も…汚れすぎている韓国水泳業界

パク・テファンは帰国後、韓国記者たちに囲まれてこんなことを言ったという。

「現時点で東京オリンピックのことを決めることはできないが、もしも東京五輪に出場することになれば、リオ五輪のような失敗はしない。小さな隙間もないくらいのしっかりとした準備して臨みたい」

4年後の東京オリンピック開催時、パク・テファンは31歳になる。今回のリオ五輪で23個目の金メダルを獲得したアメリカのマイケル・フェルプスも31歳だったことを考えると、パク・テファンが東京オリンピックのプールで泳ぐことも決して不可能ではないかもしれない。

ただ、そのためにはパク・テファン本人もさることながら、韓国水泳界全体が変わらなければならないだろう。リオ五輪で輝いた “トビウオジャパン”の爪の垢でも煎じて飲むほどの覚悟と改革が今、パク・テファンと韓国水泳界に求められている。

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

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