Yahoo!ニュース

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1

篠田博之月刊『創』編集長

2014年3月13日に東京地裁で行われた「黒子のバスケ」脅迫事件初公判で、渡辺博史被告が読み上げた冒頭意見陳述の全文をここに公開します。当初は月刊『創』の次号に掲載しようと考えていましたが、この事件について多くの人に考えてもらうために、全文を早く公開したほうがよいと思いました。

法廷では時間の関係で全文朗読されなかったのですが、読み上げなかった部分に重要な記述もあります。例えば、昨年、脅迫を受けた書店が次々と出版物を撤去していった時期の後に、被告は書店への放火を計画していたという内容です。実行前に被告は逮捕されたわけですが、これは実行されていたら、深刻な事態を引き起こしていたと思われます。

この公判の内容は新聞・テレビで報道されていますが、ごく一部のみ切り取って報じられているため、内容が正しく伝えられていない気がします。アベノミクスで景気回復などと庶民の実感と乖離したことが喧伝される一方で、格差が拡大し、自分の将来に何の希望も持てない人たちが日本社会に存在していることを、この事件は示しています。被告の短絡的な発想が目立つことは否めないとはいえ、現在の日本社会の深刻な断面も、この事件は浮き彫りにしているような気がします。

以下、渡辺被告の冒頭意見陳述の全文です。 

※追補 ここで公開した冒頭意見陳述については、書いた本人が後日加筆修正し、最終的に著書『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫人の全真相』(創出版刊)に収録しました。引用などをする際にはそちらを使っていただきたいので、このブログに公開した者は、最初の部分を除いて非公開とします)

「黒子のバスケ」初公判被告人冒頭意見陳述

「黒子のバスケ」脅迫事件の犯人の渡邊博史と申します。このたびは意見陳述の機会を与えて頂けましたことに心から謝意を表させて頂きます。起訴されてない事案も含めまして「黒子のバスケ」脅迫事件とされる一連の威力業務妨害事件は全て自分が一人でやりました。全ての責任は自分にあります。そして、どのような判決が下されようとも、それを受け入れて控訴しないことと、実刑判決を受けて服役する場合には、仮釈放を申請せずに刑期満了まで服役することをこの場で宣言を致します。

取り調べについてですが、自白の強要や暴力的な言葉による威圧などは全くありません。自分は刑事さんや検事さんより望外の公平な扱いを受けています。ネット上では「喪服は恐い刑事さんからきつい取り調べを受けて涙目になっているんだろうな。ざまあwwww」などと言われているかと思いますが、そのようなことは全くありません。自分に対する取り調べは民主警察・民主検察のそれそのものです。

さらに申し上げれば、自分の国籍や民族的アイデンティティについて勝手な憶測がネット上などに氾濫しているかと思いますが、自分の両親も祖父母も曾祖父母も日本人です。帰化して日本国籍を取得した日本人でもありません。「黒子のバスケ」脅迫事件の犯人である渡邊博史は残念ながら日本人です。

動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。そして自殺という手段をもって社会から退場したいと思っていました。痛みに苦しむ回復の見込みのない病人を苦痛から解放させるために死なせることを安楽死と言います。自分に当てはめますと、人生の駄目さに苦しみ挽回する見込みのない負け組の底辺が、苦痛から解放されたくて自殺しようとしていたというのが、適切な説明かと思います。自分はこれを「社会的安楽死」と命名していました。

ですから、黙って自分一人で勝手に自殺しておくべきだったのです。その決行を考えている時期に供述調書にある自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」を全て持っている「黒子のバスケ」の作者の藤巻忠俊氏のことを知り、人生があまりに違い過ぎると愕然とし、この巨大な相手にせめてもの一太刀を浴びせてやりたいと思ってしまったのです。自分はこの事件の犯罪類型を「人生格差犯罪」と命名していました。

自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」について列挙しておきますと、上智大学の学歴、バスケマンガでの成功、ボーイズラブ系二次創作での人気の3つになります。あと、取り調べでは申し上げませんでしたが、新宿出身というのもあります。公判のために必要な事実関係は全て供述調書になっていますので、ここでその詳細については申し上げません。上智大学への自分の執着につきましては、自分が上智大学出身者だけにのみ強烈なコンプレックスを抱くようになったきっかけは、19年前にささやかな屈辱を味わったことに端を発します。バスケマンガと二次創作につきましては、色々な出来事が複雑にリンクしています。31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケのユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります。また、新宿につきましては、16年前に自殺をしようとしてJR新宿駅周辺を彷徨し、11年前にJR新大久保駅周辺を歩き回ったことがきっかけです。いずれも昨日今日に端を発することではないのです。自分にとってはとてつもなく切実であったということだけは申し上げさせて下さい。ネット上などに流れた「黒子のバスケ」の熱狂的ファンによるファン感情の暴走による犯行説は全く間違いです。 そして今さらながら申し上げますが、自分が犯行初期を中心に出した犯行声明文の中の藤巻氏への怨恨を匂わす下りは全てデタラメです。自分と藤巻氏は全く面識はありません。自分は藤巻氏より何かされたということは一度たりとてありません。藤巻氏には全く落ち度はありません。この事実ははっきりとさせておかなくてはならないと思います。

自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと「10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた」ということになります。これで間違いありません。実に噴飯ものの動機なのです。

しかし自分の主観ではそれは違うのです。以前、刑務所での服役を体験した元政治家の獄中体験記を読みました。その中に身体障害者の受刑者仲間から「俺たち障害者はね、生まれたときから罰を受けているようなもんなんだよ」と言われたという記述があります。自分には身体障害者の苦悩は想像もつきません。しかし「生まれたときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。自分は犯行の最中に何度も「燃え尽きるまでやろう」と自分に向かって言って、自分を鼓舞していました。その罰によって30代半ばという年齢になるまで何事にも燃え尽きることさえ許されなかったという意識でした。人生で初めて燃えるほどに頑張れたのが一連の事件だったのです。自分は人生の行き詰まりがいよいよ明確化した年齢になって、自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分の人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。ただ「何か」の正体が見当もつかず、仕方なく自殺だけをしようと考えていた時に、その「何か」の代わりになるものが見つかってしまったのです。それが「黒子のバスケ」の作者の藤巻氏だったのです。ですから厳密には「自分が欲しかったもの」云々の話は、藤巻氏を標的として定めるきっかけにはなりましたが、動機の全てかと言われると違うのです。

自分が初めて自殺を考え始めてから今年がちょうど30年目に当たります。小学校に入学して間もなく自殺することを考えました。原因は学校でのいじめです。自分はピカピカの1年生ではなくボロボロの1年生でした。この経緯についてここで申し上げても詮ないので、詳細については省略します。自分を罰し続けた何かとは、この時にいじめっ子とまともに対応してくれなかった両親や担任教師によって自分の心にはめられた枷のようなものではないかと、今さらながら分析しています。

自分は昨年の12月15日に逮捕されて、生まれて初めて手錠をされました。しかし全くショックはありませんでした。自分と致しましては、「いじめっ子と両親によってはめられていた見えない手錠が具現化しただけだ」という印象でした。

自分は犯行の最終目標を「黒子のバスケ」の単行本とその他の関連商品全ての販売中止とアニメの放映の中止と関連イベントの中止と定めていました。ただし永久に脅迫を続けることもできませんから、それを一瞬でも達成できたら、犯行終結宣言を出して、事件を終わらせようと思っていました。「黒子のバスケ」が自分の人生の駄目さを自分に突きつけて来る存在でしたので、それに自分が満足出来るダメージを与えることで自分を罰する「何か」に一矢報いたかのような気分になりたかったのです。それを心の糧に残りの人生を無惨に底辺で生きて行くなり、自殺して無惨な人生を終わらせるなりしようと思っていました。ですから自分はとても切実な動機で事件を起こしているのです。いじめられっ子である自分が、いじめっ子の「黒子のバスケ」の暴力から必死になって逃れようとしていたというのが、自分の主観的な意識です。

自分は都内の路上で警視庁の捜査員から任意同行を求められた時に「負けました」と申し上げました。この言葉のせいで自分がゲーム感覚の愉快犯であるという説が世間一般に流れたようですが、それは断じて違います。自分は確かに「負けました」と申し上げましたが、これは自分の人生をギブアップしたという意味で申し上げました。自分は警察に捕まった時点で人生の負けの確定を宣言したのです。一部報道で自分が「ごめんなさい、負けました」と捜査員に言ったと報じられましたが、自分は絶対に「ごめんなさい」などとは申しておりません。「ごめんなさい」の部分は完全に誤報もしくは捏造です。しつこく申し上げますが、自分はこの事件を決してゲーム感覚などでは起こしておりません。どこかの臨床心理士が新聞紙上で「好きなキャラ云々」などと真相にかすりもしないプロファイリングを披露して悦に入ってましたが、そんなしょぼい話ではないのです。専門家も人間ですから間違えることもあります。しかし、こちらが違うから、犯行声明で「違う」と言っているのに「図星だから感情的になって反論した」などと、自身の能力への懐疑と謙虚さが完全に欠如した恥の上塗り的な強弁を平然と新聞紙上にできる人物が、臨床心理士と名乗っていることに改めて慄然とします。

自分が逮捕されて2日後の朝に勾留されている警視庁麹町署から東京地検に出発しようとした時には、署の前にたくさんの報道陣が押し寄せて来ました。この時に自分の顔は笑っていました。これについて「有名になれたことに喜んでいる」というのが、世間一般の説であると聞いていますが、そんなことがあるはずがありません。カメラのフラッシュの洪水を浴びながら、「『何か』に罰され続けて来た自分がとうとう統治権力によって罰されることになったのか」と考えると、とめどもなくおかしさが込み上げて来て、それによって出た自嘲の笑いなのです。後日、弁護士さんにニュース映像をプリントアウトしたものを見せて頂きましたが、確かにあの顔は気持ち悪いです。人の怒りの感情を喚起させる気持ち悪さです。しかし、自分の心象風景とは乖離しています。自分がもう笑う資格がない人間であることぐらいは、自分も理解しています。

また一部マスコミ関係者に自分がグリコ森永事件に関与しているとの説があるようですが、それははっきりと否定します。

これだけの覚悟をして事件を起こしたのですから、反省はありません。反省するくらいでしたら、初めからやりません。また謝罪も致しません。もし謝罪するのでしたら、それこそ尾てい骨の奥から罪悪感がとめどもなくあふれ出て来て、全身から力が抜け、目の前が真っ暗になって、前後不覚に陥るような状態にならなければ、謝罪しても意味がないと考えます。残念ながら、自分は逮捕されてからそういう心理状態に一瞬たりともなったことがありません。自分はサイコパスと呼ばれるタイプの人間なのかもしれません。あと自分の犯罪の力が足りず「黒子のバスケ」というコンテンツに大してダメージを与えられなかったと自分は思っているからです。

ただ責任は取りたいと思っているのです。反省・謝罪と責任は違います。責任というとまず浮かぶのは、自分が起こした事件により生じた金銭的な被害を弁済するということです。これは単に被害金額だけではなくて、詫び料とでも言うべき金額を上乗せして初めて成り立つものであります。

これにつきましては、自分には当事者能力がありません。自分は昨年の10月に学園祭に対する襲撃予告を上智大学に送りました。これにより上智大学は警備体制の強化を余儀なくされました。約50万円の費用がかかったと聞きます。自分が起こした膨大な事件のうちの1件でこれだけです。被害総額はいくらになるか想像がつきません。自分のこれまでの人生での総収入額は1000万円に満たないです。年収が200万円を超えたことは一度もありません。月収が20万円を超えたことも数回しかないです。自分には金銭的な責任を取ることができません。

自分としては、犯罪によって一生をかけても払いきれない損害を生じさせたら、それはもう首を吊るしかないと考えております。実刑判決を受けて刑務所での服役を終えて出所して、できるだけ人に迷惑をかけない方法で自殺します。また自分の死が広く伝わるような手段も取ります。やはり「犯人が死んだ」という事実は、自分が起こした犯罪によって迷惑を被った方々に対して一定の溜飲を下げさせる効果はあるでしょうし、何より再犯がないと安心して頂けると思うのです。自分にはこのようにして「感情の手当」を行うしか責任を取ることができません。ただ同時に、自分の命の価値など絶無であって、自分の死も大して意味がないことも充分に理解しております。

自殺についてですが、自分は自己中心的な動機でも自殺したいのです。自分の連行に使用される捕縄を見るたびに首を吊りたくなります。この瞬間でも自殺させて頂けるのでしたら、大喜びで首を吊ります。動機も男として最もカッコ悪い種類の動機ですし、それが露見してしまったので、もう恥ずかしくて生きていたくないのです。それに自分は「負けました」と言って自分の人生の負けの確定を宣言したのです。つまり自分の人生は終わったのです。それなのにまだ生き永らえていることに我慢がならないのです。留置所と拘置所と刑務所は自殺が禁止された空間です。自分は下されるであろう実刑判決の量刑の長さを「自殺権を剥奪され、自殺をお預けにされる期間」と理解します。

取り調べで刑事さんや検事さんから「社会復帰」という言葉が出て来たことがあります。自分は先ほど申し上げました通りに刑務所から出所後にすぐ自殺しますので、社会復帰はしません。犯罪は程度の差こそあれ社会に迷惑をかけるものです。その迷惑が限度を超えた犯罪者を社会から永久追放するために無期懲役が、世の中から追放するために死刑が刑罰として存在します。自分は結果としては大した罪にはなりませんでした。しかし、明らかに社会の許容限度を超えた事件を起こしたと認識しています。職業窃盗犯の更生とは意味が違うのです。自分みたいなのが社会復帰しては絶対にいけませんし、それを許す甘い社会であってはならないと思います。取り調べで刑事さんから冗談めかして、「出所したら物書きにでもなったら? 喪服の死神の前歴を生かすならそれしかないよ」と言われました。自分は「冗談じゃない! 自分はもう物を言ったり書いたりする資格のない人間なんだよ」と叫びたくなりましたが、黙っていました。(以下、省略)

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

篠田博之の最近の記事