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田代まさしさんに関する報道があまりにひどいので一言書いておこう

篠田博之月刊『創』編集長
3月の会見時の田代さんとダルクの近藤代表

7月10日に突然降って湧いたように始まった田代まさしさんの盗撮報道だが、疑問も多いし、なかにはひどいものも少なくない。私も幾つか取材を受けたが、当初は全貌が判明するまではコメントはしないでおこうと考えていた。事実関係を確認もしないで憶測で物を言うのは事態を混乱させるだけだと思ったからだ。しかし、ネットなどに出回っている情報があまりにひどいので、敢えて少しだけ書いておこうという気になった。

例えば昨日アップされた日刊SPA!の記事など、今回の事件の背景に薬物があるかのような印象を与えるもので、3月に取材した時、「手は震えて目はキョロキョロとせわしなく、貧乏ゆすりも止まらない」と指摘した後で「いわゆる薬物の禁断症状ですが」って、つまり田代さんが薬物もやっているのではないかと誤解させるような内容だ。1回インタビューした時の印象だけで、それを断定するのはどう考えてもまずいだろう。

私はもうつきあいが長いから言うのだが、田代さんは何もなくても緊張してしまう人で、目がキョロキョロしたり貧乏ゆすりくらいは珍しいことではない。実際、今年の3月18日の会見の時だって、自分でこう言っていた。「僕はもともと緊張しいなんで、震えたり、滑舌悪かったりするのは、僕の中ではしょうがないことなのかなと思っています」

確かに初対面の人が緊張している田代さんを見ると誤解してしまうのかもしれない。典型だったのが2008年7月16日の出所会見。これはいまでも映像が出回っているけれど、田代さんはろれつが回らず、会見の途中で記者から「そのろれつが回ってないのは薬物のせいですか」などと質問が出たりした。

しかし、この時も、私は司会をしただけでなく、その会場にタクシーで田代さんを連れて行ったからよく知っているのだが、薬物とは全く関係がない。田代さんはその何日も前から病院に検査入院していて、その日も点滴を受けた後に病院から直行していた。そういう状況で薬物をやっているわけはないだろう。でも田代さんは緊張していたようだし、見ているほうはどうしても「薬物依存の田代まさし」のイメージがあるものだから、すぐに薬物と結び付けて考えてしまうのだ。

さて、今回の盗撮騒動だが、私は田代さんの妹さんや、ブログを管理している北村さん、それにダルクの近藤代表などに話を聞いているが、結論的に言うと、田代さんは現状で盗撮の容疑を認めていないし、証拠もあがっていないということのようだ。どうして遠回しの言い方になるかというと、田代さんは騒動後、家にも帰らない状態が続いており、本人ないし弁護士から詳しい説明がきけていない。妹さんたちもメールのやりとりしかしていない状況のようだ。私もメールを送ったが返信がない。というか田代さんの携帯そのものが最近まで押収されていたようだ。もちろん盗撮画像が残っていないか確認するためだが、今のところ証拠となるような画像は検出されないとして携帯は返却されている。ただ当然、警察は、騒ぎになった時点で田代さんが消去したことを念頭に置いてさらなるデータ解析を行っている可能性はあるだろう。

では、なぜそれなのに、玉川署で事情を聞かれた田代さんが容疑を認めたというマスコミ報道になってしまったのか。第一の疑問はそこだろう。特に一般紙は必ず報道に当たって警察側の確認をとっているはずで、少なくとも警察が、最初の事情聴取で本人も容疑を認めたという認識を持っていることは確かだろう。

ちなみに詳しく読むと、朝日も読売も毎日も「田代さんは容疑を認めているという」という伝聞調になっているが、スポーツ報知は「盗撮を認めている」、スポニチは「田代氏が盗撮を認めた」と断定している。報道のニュアンスはまちまちだ。またネットでも指摘されている通り、田代さんは逮捕されたわけでもないから、報道に「田代さん」とか「田代氏」と敬称がついている。

警察が最初の事情聴取で本人も認めたという認識を持っていることについては、推測だが、マスコミに公表はしないし、認めたほうが簡単にすみますよといったことを田代さんは言われたのではないだろうか。事件があったのは6日だが、報道が始まったのは10日。その間に4日もたっている。実際に警察が発表したわけではないようで、一説には、現場で通報を行った人物がマスコミに情報提供したのではないかとも言われている。

ちょっと気になるのは、田代さんの2000年9月の最初の盗撮事件との類似点だ。当時の経緯について、田代さんは著書『審判』(創出版)の中でこう書いている。

《最初のつまづきは2000年9月24日のことだった。駅で女性のスカートの中を盗撮していたというのだった。今でも勘違いする人が多いのだが、あの時は俺は逮捕されたわけじゃなくて、任意同行を求められ、厳重注意で帰されたのだ。》

《警官が駆けつけた時は盗撮されたという女性も既にいなかったし、近くの交番で事情を訊かれた時に、俺だということを警官もわかったので、穏便にすまそうということになったのだった。でもそれが週刊誌に漏れたらしく、『女性セブン』が報道して大騒ぎになったのだった。今でも俺は不信感を抱いていて、あれは警察の誰かがリークしたのではないかと思う。

そして、その騒ぎを見てか、警察が「もう一回調べ直させてくれ」と言ってきた。それでもう一回調べ直した最終的な結論が、都迷惑防止条例違反で5万円以下の罰金というものだった。略式で終わったのだが、俺は謹慎処分になった。》

最初は簡単にすむはずだったのが、マスコミ報道によって大騒動になっていったというわけだ。今回も同じ展開で、事件の前に田代さんは法務省のイベントで講演したりしていたから、法務省の顔に泥を塗った、などという言い方までされる始末になっている。

さて、現在まで田代さん本人も弁護士も取材を受けずにコメントも出していないのは、今は警察検察がどんな判断をするのか見守ったほうがよいし、不起訴に持って行くことに全力を費やすべきだという弁護士の判断からなのだろう。無罪主張をすることを警察サイドは「反省していない」とみなす怖れがあるというのは、痴漢冤罪などでよく指摘されていることだ。

ただ私は、さすがにこれだけ大きく報道され、しかも「本人も認めている」と報じられているのだから、本当はどうなのか、発言できる範囲で、基本的な事実については公表したほうがよいのではないかと思う。そう思って、ダルクの近藤代表にもメールと電話で進言した。

最終的には弁護士の判断になるのだろうが、何も言わずに沈黙という戦術は、これほどマスコミ先行の騒動の場合は、限界があるのではないかと思う。仮に不起訴となって無罪放免とされても、この間の大報道で流布されたイメージは今後、影響を及ぼす怖れがあるからだ。

田代さん本人は精神的にかなり落ち込んでいるらしい。それはそうだろう。事実がどうかということと別に、ダルクにも迷惑をかけたし、打撃は小さくない。もともと前回の逮捕事件の後に、これは相当深刻な事態だと認識して、田代さんをダルクにつないだのは私だった。だから今回の騒動は、私としてもとても残念だ。

最初に書いたように、まだ断片的な事柄しかわかっていない状況で、私も普通ならこの段階でこんなふうに書いたり発言したりはしない。しかし、この間の報道やネットでの論調には強い疑問を感じたし、それを尾ひれをつけて拡散していくことに対しては、とりあえず何かせねばいけないという気持ちになった。だからこの一文を書いた。そう遠くない時期に真相は明らかになっていくと思う。それについては改めて、訂正修正を兼ねて書いていくことにしよう。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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