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安保法成立を報じるメディア界こそ深刻な状況かもしれない

篠田博之月刊『創』編集長

戦後の日本の基本的枠組みを変えてしまう安保法がとうとう成立してしまった。民意を無視した決定の仕方は、憲法も民主主義も壊してしまったという感じだが、この間の抗議のなかで学者や学生が「これぞ民主主義」と言えるような動きを示したのが、今後の希望につながるわずかな救いだ。既に「これで終わったわけではない」と、違憲訴訟を含め、様々な次への動きも始まっているようだ。

と書いたうえで、今朝の新聞各紙を見て、ちょっと深刻な気持ちになった。9月20日付の産経新聞が安倍首相の単独インタビューを載せているのも「おいおい」という感じだが、これはまあ予想の範囲内だ。このところの産経は、もうジャーナリズム陣営から抜け出てしまった印象さえ与え、逆に大丈夫なのか、と心配してしまうが、気になったのは読売新聞だ。

一面は「安保法成立」という見出しとともに「日米同盟を深化」。つまり安保法を評価するという姿勢の表明だ。それはある程度予想の範囲内として、今回の法案審議についての危惧の念くらい表明して多少のバランスをとったかと思ったら、中面の国会審議を報じた「採決 スクラム戦術」という記事が徹底して与党寄り。社説も「残念だった『違憲論』への傾斜」だ。読売は産経に比べて多少はバランスをとった紙面であることも少なくなかった気がするのだが、20日付紙面を見る限り、2紙ともほとんど戦前の新聞に戻ってしまったかのような印象だ。政権を監視するのがジャーナリズムの役割、という前提は既になくなってしまったかのように見える。

このブログで以前、8月26日の学者の会と日弁連の会見で、上智大の中野教授が「学者も法曹界も声をあげた。では報道はどこにいる」とジャーナリズム界に呼びかけを行ったことを紹介したが、結局、メディア界は逆に今回、深刻な状況をさらけ出したまま終わったという印象だ。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20150829-00048948/

その8月の会見で、最後に質問に立った産経新聞の記者が、日弁連が安保法案反対という一方的な立場に立ってしまってよいのかという質問を行い、その場の空気の読めなさに驚きの声があがったことも紹介したが、その後わかったのは、これが単に空気が読めないという話ではなかったことだ。産経新聞はその後、8月31日付の一面を使って「強制加入の日弁連 『政治的活動』に若手反発」と、その会見の話を紹介しつつ、日弁連を批判する記事を載せている。会見の最後に質問した記者は、最初からこういう記事を書くことを想定して来ていたのだろう。

もちろん、この間報じられているように、安保法については、朝日・毎日・東京などの反対の論陣は健闘したし、地方紙を含めれば圧倒的な数の新聞が批判的だから、在京紙が割れていることをもって「メディア界は二分されている」と言うのは誤りだという声も多い。しかし、それはそうだとしても、メディア界の状況はいささか深刻だと感じざるを得ない。個人情報保護法などが言論報道の自由を侵すものだと反対運動が起きた約10年前と比べて、明らかに政治権力に対する批判の力を弱めている。10年前だったら、安保法案審議の最終局面で、テレビキャスターやジャーナリストたちの反対を表明する共同会見などがなされ、中野教授の呼びかけに応えられる状況は出きていたと思う。

安保法の成立で、確かに「これで終わったわけではない」。ただ、これからは、今回のように国会前に大勢の市民が集まって声をあげるといったことに対しても様々な規制がかかり、政権からの報道に対する圧力もさらに強まることだろう。安保法の成立というのはそういう日本の歴史の転換であり、言論や報道に関わる人間が、ある種の覚悟を持たざるをえない状況が到来しつつあるということだけは認識すべきかもしれない。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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