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発表された犯罪白書の性犯罪データに驚き、奈良女児殺害事件を改めて思い起こした

篠田博之月刊『創』編集長
法務省の発表した犯罪白書について報じた読売新聞

法務省が11月13日に発表した「犯罪白書」について各紙が報じているが、読売新聞が13日の夕刊で大きく報じたのは、性犯罪の再犯防止への取り組みがどんな成果を上げているかという話だ。朝日新聞も13日夕刊で犯罪白書について報じた後、14日の朝刊で改めてその問題を取り上げていた。

何しろ、ちょっと驚くべきデータなのだ。読売夕刊の見出しを紹介すると「性犯罪後の講習効果 再犯率1/5に」。つまり再犯防止プログラムを受講した性犯罪者の再犯率が受講しなかった者の5分の1に減ったというのだ。この成果を受けて法務省は、今16%しかいないプログラム受講者を増やすための措置を検討し始めたという。

こういうのはデータの取り方にもよるからもう少し仔細に検証しないといけないが、でもプログラムを導入してそれほど顕著に再犯率が減ったとしたら、驚くべきことではないだろうか。

この問題に私が興味を抱いたのは、ほかでもない。このプログラムは2006年に導入されたのだが、そのきっかけとなったのが2004年に起きた奈良女児殺害事件であり、私はその事件と深い関わりを持っているからである。小学生の女児をわいせつ目的で拉致し殺害したとされた小林薫死刑囚は、2006年に死刑が確定。2013年に執行された。私は2005年11月に彼に接見したのをきっかけに死刑確定まで頻繁に関わった。2006年2月号から彼は『創』に手記を連載し、裁判と同時進行で、自ら控訴を取り下げ、死刑を確定させるまで、揺れ動く自分の気持ちを毎月書いていった。小林死刑囚は、もう死んでしまいたいという思いから一貫して死刑を望み、裁判では起訴内容を全て受け入れたのだが、『創』には事件の真相は異なると告白していたのだった。

当時、通りすがりの女児をいきなり拉致して殺害したという凄惨なその事件は、性犯罪をめぐる大きな議論を巻き起こし、「ミーガン法」の導入を求める論調も多かった。そして法務省は、本格的な性犯罪に対する再犯防止プログラムを導入する方針を決め、2006年から刑務所などにそれが導入されていった。それがどのくらい成果を上げているのか、初めての調査データが今回発表されたというわけだ。

ちなみに2006年、真っ先に導入を決めたのは、小林死刑囚が拘留されていた奈良少年刑務所だった。私は当時、毎月何回かのペースで開かれる公判のたびに奈良に通い、小林死刑囚に接見するために奈良少刑を訪れていたから、そのプログラムがどんなふうに実践されていくのか、ぜひ話を聞きたいと思っていたが、結局その機会はなかった。

小林死刑囚自身は、自分の事件がきっかけになったそのプログラムの対象になることはなかった。彼はもう更生の可能性がほとんどないとして死刑を宣告されたからだ。再犯防止プログラムとは、あくまでも懲役刑などに服してまた社会復帰する性犯罪者を対象にしたものだ。性犯罪については再犯率が高いと以前から指摘されていたからだ。

その性犯罪者の再犯の問題を再び考えるきっかけになったのは、今年の夏に発生した寝屋川中1男女殺害事件だった。この事件は、防犯カメラなどに写った男女の中学生のあどけない姿が連日、テレビで映されたこともあって大きな社会関心を呼んだ。逮捕された容疑者は容疑を否認し、黙秘を続けているようで、その後続報がほとんど途絶えてしまった。だから現時点で彼を早計に犯人と決め付けるわけにはいかない。ただ気になったのは彼に今回の事件と似た前刑があったことや、今回の逮捕前に職務質問を受けた際に、スタンガンや手錠、注射器を持っていたという既に報道された内容だ。

既に一部については起訴されている寝屋川事件の被告人と奈良女児殺害事件の小林死刑囚には、その生育環境などよく似た点が多い。小林死刑囚は情状鑑定の結果、「小児性愛」及び「人格障害」と診断された。性犯罪については奈良事件の前から再犯を繰り返していた。彼は私のもとへいろいろな資料を送ってくれたのだが、それらの資料から彼の性犯罪の経緯をたどっていくと、いつか殺人事件に発展するような事態に至る可能性は十分に感じられた。私は、出所した性犯罪者の情報を公開せよというようなミーガン法導入には反対で、そんな短絡的な発想でなく、もっと再犯防止のための現実的な対応を法務省が導入しないといけないと小林死刑囚の事件について感じていた。

この問題については、発売中の『創』12月号に「寝屋川中1殺害事件と奈良女児殺害事件の類似性」というレポートを書いたので、興味ある方はぜひご覧いただきたいのだが(同じ号に渋井哲也さんの「性犯罪再犯防止のための取り組み その最前線を探る」というレポートも掲載されている)、その中で小林死刑囚の性犯罪について書いた一部をここで紹介したい。

小林死刑囚は前科も多いが、決して意識して殺人を犯すタイプではなかった。しかし、その犯歴を仔細に見ていくと、いずれ殺人事件に発展する可能性があることは否めなかった。少女にわいせつ行為をするために人影のない場所に連れ込み、騒がれそうになって首を絞めるといった事件も起こしていた。

2004年の少女殺害事件では、たまたま通りがかった小学生を車に連れ込んで、自宅へ連れて行っている。そんなことをすれば犯行発覚を恐れて少女殺害に至ってしまう可能性も否定できないのだが、彼は少女を誘拐している段階でその先のことまではあまり考えていない。計画的でなく場当たり的な犯行なのだ。

性犯罪の特異性を見るために、ここで小林薫死刑囚の事例を紹介しよう。鑑定書や公判記録から私が整理した彼の前歴はこうだ。

◎高校2年の夏休み、写真部の合宿で鳥取砂丘に行った時、下校中の小学女児の後をつけマンションの踊り場で抱きついて体を触ったが、騒がれそうになって逃走した。その前にアニメビデオ「くりぃむれもん」を見て、子どもとのセックスに興味を持ったのが動機という。ただ当時、小林死刑囚はナンパをして知合った同年代の女性とも性的関係を持つなどしていた。

◎1989年4月から5月にかけて、5歳の女児の陰部に触る事件を二度起こし、6月に逮捕。同時期に起こした窃盗とあわせて懲役2年執行猶予4年の判決が出た。

◎1991年7月、帰宅途中の5歳の女児に団地の階段の踊り場でわいせつ行為をしようとしたが、女児が泣き出したので頸部をしめたところを住民に発見され逮捕。10月、懲役3年の判決が出た。

◎出所後、2003~04年頃から出会い系サイトで知り合った複数の女性と性的関係を持った。その中には13歳の女児もいたが、家出して自分の家に来ることを執拗に求め、けんかになった。

◎2004年9月、5歳と6歳の女児の陰部を触ったり、上半身の撮影を行い、女児の父親が警察に被害申告。

◎同年11月17日、帰宅途中の女児を誘拐し、死にいたらしめる。これが奈良女児殺害事件である。

これら性犯罪以外にも彼は万引きや窃盗などを重ねているから、社会規範を遵守するという意識が希薄なのは確かだろう。そしてそれは恐らく彼の小学生の頃からの生育環境に規定されているのだと思う。

小林死刑囚の性犯罪の経緯を見るとやはり次第に犯行がエスカレートしている印象は否めない。1991年の事件など鑑定書にはこう書かれている。

「事件当日は酒を飲んで気が大きくなり、子どもが大人とセックスするビデオを見たことから、また少女を触ってみたいという気持ちが起こり、団地に赴いて少女を発見し、その背後から抱きつき胸や陰部を触った。少女が泣き出したため黙らせようと思い、また『失神させてももっと触りたいという気持ち』であったため同女の首に手をかけて絞めているところを発見され逮捕されたという。被告人自身はそれほど強く絞めているつもりはなかったというが、結果的には頸部圧迫で被害者の眼球が腫れ上がり、窒息寸前であったという」

小林死刑囚本人は殺害するつもりはないようなのだが、実際には殺害寸前まで行っている。懲役3年の実刑で服役して、出所後また同じような犯行を重ねている。こうして犯歴をたどっていくと、いずれ重大な事件に至ってしまう怖れは強いと言わざるをえないのだ。そして実際に、2004年の少女殺害事件に突き進んでいくことになったのだった。

性犯罪に再犯性が高いことはしばしば指摘される。その結果、前述したようにミーガン法を導入して性犯罪の前科のある者を公開せよ、といった主張も出されるわけだ。しかし、繰り返して言うが、私はその主張はかなり短絡的だと思う。無茶な運用によって人権侵害が引き起こされる可能性が高いし、一度性犯罪を犯した者をさらに追い込むことになりこそすれ、更生にはつながらないのではないかと思うからだ。

法務省もミーガン法といったことよりも当面取り組むべきこととして、性犯罪の受刑者に再犯防止のためのプログラムを受けさせるという試みに踏み切ったのだった。

小林死刑囚の起こした奈良女児殺害事件は、本当に凄惨な事件だった。彼が女児の遺体を損壊した詳細などは当時の報道においても伏せられていたし、今後も明らかになることはないかもしれない。小林死刑囚は鬼畜のように世間の非難を浴びたのだが、ただ約1年間彼とつきあってみて、私はこの事件の背景がそう単純ではないと思うようになった。そして彼自身が、もう自分は生きていても仕方ないと思い、自らの手で死刑を望んでその通りに処刑されたのだが、そんな結末が、本当にあの事件を解決したことを意味するとは到底思えなかった。

わずかな救いがあるとすれば、彼の事件をきっかけに法務省が性犯罪の再発防止のためのプログラムに本格的に取り組むことになったことだった。そして今回、奈良女児殺害事件から約10年を経て、その結果が発表された法務省の「犯罪白書」に書かれた内容は、冒頭に書いたように、いささか驚くべきものだった。本当にそんなに顕著に成果が出るものなのか、という思いは拭いきれないのだが、取り組みが前進していることだけは評価したいと思う。

なお、奈良女児殺害事件がどういうものだったか、また小林死刑囚の処刑に至るまでの経緯については、以前書き下ろした『ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)に大幅加筆した『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま文庫)がこの12月に刊行されるので、それをご覧いただきたい。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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