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シリアで拘束された安田純平さんについて我々に何ができるのか考えてみたい

篠田博之月刊『創』編集長
動画公開を報じた新聞(東京新聞)

3月16日、シリアで昨年6月に行方不明になったジャーナリスト安田純平さんの動画がネットに公開された。昨年1月の後藤健二さんらの動画公開も衝撃だったが、今回の安田さんも別の意味で衝撃だ。公開した側の意図は明らかで、日本政府に身代金を要求してきたものの「テロリストと交渉しない」という政府方針ゆえに膠着が続いたため、再度揺さぶりをかけようとしたものだろう。

動画での安田さんの発言は極めて意味深だ。

「妻、お父さん、お母さん、兄弟、みんな愛している。いつもみんなのことを考えている。みんなを抱き締めたい。みんなと話がしたい。でも、もうできない。私に言えるのは、どうか気をつけて。私の人生は42年で、おおむね順調。特にこの8年間はとても幸せだった」

もしかするとこれが家族へメッセージを送れる最後の機会かもしれないことを認識し、別れの挨拶と自分の覚悟を伝えたものだ。安田さんは、多くの戦場ジャーナリスト同様、生命の危険にさらされることは覚悟していたし、その時に自分が政治的な駆け引きに使われるのを潔しとしない意向も表明していた。今回もまた日本では「自己責任論」なるものが言われているが、こういう局面で助けを請うのでなく、死ぬ覚悟はできているという姿勢は、フリーランスのジャーナリストの多くが持っていると思う。だから今回のメッセージは、安田さんのそういう意思を改めて表明したものだろう。

安田さんとはそう深いつきあいではないが、長いつきあいだ。最初に『創』に原稿を書いてもらったのは、2003年、彼が信濃毎日新聞記者を辞めた時だった。イラク戦争を自分の目で見て自分で取材したいと申し出て、会社から拒否された安田さんは、会社に辞表を出して戦場へ赴いた。彼のジャーナリストとしての覚悟を示した行動だった。その後、イラクで取材中にゲリラに拘束されてしまうのだが、無事に帰国したその時にも、『創』に登場してもらった。直近ではちょうど昨年2月に、「後藤健二さんの死を悼み、戦争と報道について考える」というシンポジウムを開催したのだが、その時にパネラーのひとりとして発言してもらった。その時も、安田さんは、プロのジャーナリストとして戦場取材に行く際の覚悟や心構えを語っていた。そしてそれから半年もたたない時期に、シリアで消息を絶ち、今回動画が公開されたものだ。

安田さんの覚悟は動画でのメッセージにも明らかだ。だから、彼の関係者や親しかったジャーナリストの間では、自分たちがどうすべきか、どう動けばよいのか難しいという声が多い。救出に動くべきだと政府に要求することはできるが、それが果たして安田さんの意思を尊重することになるかどうか微妙だからだ。

しかし、そういう状況を理解したうえで、来る4月19日(火)に「安田さんの生還を願い、戦場取材について考える」というシンポジウムを開催することにした。もしそれが政府に救出を要求するような集会なら自分は協力できないかもしれない、と言った関係者もいた。だからこのシンポジウムでどういう意見が出てどんな結論になるのかわからない。でもまず多くのジャーナリストや報道関係者、それに市民が集まって、議論することが大切だと思った。市民と一緒に議論すべきだと思ったのは、そもそもジャーナリストがどうして危険な戦場に行くかといえば、戦争の真実を市民に伝える、あるいは市民に替わって戦場で何が起きているか知るためだ。結論はどうなるかわからないが、私たちが安田さんの問題に無関心でいて良いわけがないだろう。

いったい安田さんの置かれた状況をどう考えればよいのか。それに対して私たちに何ができるのか、あるいはどうすればよいのか。そんなことを皆で考え、議論したいと思った。

昨年のシンポで発言中の安田純平さん
昨年のシンポで発言中の安田純平さん

昨年の後藤さんの問題についてのシンポジウムでも論点のひとつになったが、戦場取材におけるフリーランスと組織ジャーナリズムの関係は多くの問題をはらんでいる。戦場で殺されているのは圧倒的にフリーランスが多い。危険な地域で取材をした彼らの映像やニュースを、大手メディアが報じるという構造だ。イラク戦争でバグダッド陥落の時、日本の取材陣のうち大手メディアは一部を除いてほとんど現場から撤退し、残っていたのは大半がフリーランスと海外メディアだったというのも、よく言われることだ。福島の原発事故でも同じことが指摘された。そういうフリーと組織ジャーナリズムの関係をどう考えるべきなのか、このままで本当によいのだろうか。

今回の動画公開後、逸早く声明を発表したのは新聞労連だ。

http://www.shinbunroren.or.jp/seimei/160322.html

そこには、安田さんはもともと信濃毎日新聞の記者で新聞労連の仲間だったという一文がある。一方、信濃毎日新聞は3月17日、「安田さんはかつての我々の同僚であり、無事であることを願っている」というコメントを発表した。組織ジャーナリズムであれフリーであれ、安田さんの問題を考えて行こうという意向を表明したものだ。

今回の動画公開をめぐっては、いろいろなメディアが報じたが、例えばシンポジウムのパネラーの一人、藤原亮司さんは3月18日付の東京新聞で、安田さんを拘束しているヌスラ戦線の仲介人にこの1月、トルコ中部で接触したことを語っている。またもう一人パネラーとして登壇する川上泰徳さんは、WEBRONZAで3回にわたって「安田純平さんを救出するために」という記事を書き、その中で、今回動画をフェイスブックに投稿したシリア人ジャーナリストと直接電話で話した内容を紹介している。

http://webronza.asahi.com/politics/articles/2016032200005.html

それによるとこのシリア人は、藤原さんがトルコで接触したヌスラ戦線の代理人と思われる人物から動画を送られ、フェイスブックに投稿したという。川上さんは同時にそのWEBRONZAの記事の中で、「テロとの戦い」で日本が同調してきたアメリカ政府が、その問題について方針転換を行ったことを紹介し、日本政府もこのままでよいのかと疑問を呈している。

また昨年来、独自に安田さん救出を願って動いていたのがジャーナリストの常岡浩介さんとテレビ制作会社ジン・ネットの高世仁さんだ。彼らがどんなふうに動いてきたかについては、高世さんが1月15日に開催された「ジャーナリストはなぜ戦場へ言うのか」で発言した。それを『創』は3月号に収録している(ヤフーニュース雑誌で閲覧可能)。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160309-00010000-tsukuru-soci

高世さんは、ご自身のブログ「諸悪莫作」でも安田さんの件についてたびたび書いている。ぜひご覧いただきたい。

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20160117

http://d.hatena.ne.jp/takase22/

前述した安田さんが信濃毎日新聞記者を辞めた後に『創』に書いた手記から一部を紹介しよう。10年以上前の原稿だから、安田さんがもし今公表されることを知ったら、「ちょっと待ってよ」と言うかもしれないが、戦場に行って取材することの意味を模索していたことがよくわかる文章だ。

《「イラクの戦争など長野県と関係ない。取り上げる必要もない。そうした取材はもういっさいさせない。休みで海外に行って記事を書く記者が多いが、今後は書かせない方針を決めた」

2003年1月初め、ある編集幹部に「社としての方針」としてこう聞かされ、「もう辞めるしかないか」と心が動いた。

私は2002年12月、先延ばしにしていた夏休みを使って約10日間、イラクを訪れていた。市民グループ「イラク国際市民調査団」に参加し、バグダッドや南部のバスラをまわり、91年の湾岸戦争以降も米軍が続けてきた空爆の被害者や、劣化ウラン弾の影響とみられるがん患者を取材。活気のある街の風景や、貧しいながらも元気よく生きるイラク人の表情、米国のイラク攻撃に反対する日本の若者の活動をカメラに収めた。帰国後、これについての記事を書こうとした矢先、強硬なストップがかかったのだ。

米英両国が国連安全保障理事会に提出したイラク大量破壊兵器査察・廃棄決議案が11月初めに採択され、すでに査察が始まっていたが、このころの新聞やテレビは、いずれも査察の状況や各国の外交について述べるばかり。戦争が迫っている国の人々の表情などは、ほとんど見えてこない状態だった。》

《私は、戦争が近づいているといわれている国の人々がどのような表情をして暮らしているのか、そうした場所にいるということがどういった心境なのかを知りたいと思った。また、そうした人々の声を伝えるのが記者の役割だと考えていた。91年の湾岸戦争のとき、高校生だった私は、テレビゲームのようだったバグダッドの映像を見て「あの下にも人が住んでいるのだな。それはどのような心境なのだろうか」と感じていた。それは、さまざまな人々の境遇に触れる事のできる記者を志した原点の一つでもあった。》

《月並みな感想だが、どのメディアも、イラク市民の様子はいまいち伝わってこない。息遣いや生生しさを感じない。爆撃に対する恐怖も覚えない。戦況を伝えることは重要だが、あくまで基礎情報であって、それによって市民に何が起こっているのかを伝えるのが報道の使命のはずだ。そのためにはイラク市民の側の現場に身を置くしかない。

1月の段階で、メディア情報にはこうした最も重要なはずの部分が欠落することは予想がついていて、歯がゆい気持ちで日本でそれを見ることになるのはつらいと思った。アフガン攻撃でも、現場がどうなっているのかが見えてこず、焦燥感でいっぱいだったからだ。戦前にイラクに行っていながら記事にすることができなかった苛立ちと失望の中で、そうした情報に晒されるのは我慢できないだろうと思い至った。

戦争中に私がバグダットなどで訪れた病院は、地と膿と消毒液の混ざった生臭いにおいが充満し、路上に放置された民間人の遺体は強烈な腐臭を放っていた。空爆跡地は血だまりも残り、騒然とした空気が漂っていた。人々が発する怒りや嘆きも感じた。一方で、戦争のさなかにも人々は笑い、何気ない暮しをしていた。そうしたメディアからでは得られないものを全身で感じ、戦争とは何かを叩き込みたかったがため、私は現場へ向かうことを選んだ。そして、もちろん現場で取材できることの限界にもぶつかった。それらはフリーにならなければできないことだった。》

最後に、4月19日のシンポジウムの概要も書いておこう。

「安田純平さんの生還を願い、戦場取材について考える」シンポジウム

日時:4月19日(火)18時15分開場、18時30分開会(予定)、21時半終了。

会場:文京シビック小ホール(2階)

http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/civiccenter/civic.html

入場料:1000円

【発言】川上泰徳(中東ジャーナリスト/元朝日新聞記者)、藤原亮司(ジャパンプレス)、野中章弘(アジアプレス)、新崎盛吾(新聞労連委員長)、原田浩司(共同通信編集委員)、志葉玲(ジャーナリスト)、雨宮処凛(作家)、他

昨年のシンポジウムには500人を超える人が来てくれたが、今回は定員が360人ほどなので確実に座席を確保したい方は創出版ホームページの予約フォームから予約をお願いしたい。

http://www.tsukuru.co.jp/

壇上から一方的に話すだけのシンポジウムでなく、会場に来ているジャーナリストや市民と議論を交わしたいと思っている。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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