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いま話題の映画監督、是枝裕和さんと森達也さんの対談を公開します

篠田博之月刊『創』編集長
是枝裕和監督(左)と森達也監督(右)

是枝裕和監督の映画『海よりもまだ深く』と森達也監督の『FAKE』が大きな話題になっている。いずれも前からおつきあいがあるお二人なので、『創』7月号の映画特集で対談をしていただいた。いろいろ作品をめぐる議論が出ているので(特に『FAKE』について)、その話題に供するためにお二人の対談をネットに公開することにした。ヤフーニュース雑誌にアップしたのでぜひご覧いただきたい。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160705-00010000-tsukuru-peo

森さんの映画は時期をあわせて『A2完全版』も公開されている。オウムをテーマにした映画『A2』はかなり前に公開されたものだが、実は試写段階まで含まれていた麻原三女の映像が、本人の申し出で全面カットになっていた。私は試写で見て、彼女の登場シーンがすごく印象に残ったのだが、その後、それを全面カットしたと聞いて大変残念に思った。試写会を終えてから大事なシーンを全面カットするというのは、映画界でも異例のことだし、森さんはよほどの事情でない限りそういう申し出に応じないタイプだから、まさに断腸の思いだったろう。三女は、実はオウム事件の後、1997年初めの『創』に素顔でグラビアデビューをしているのだが、その後、いろいろ辛い思いをし、周囲のアドバイスもあってプライバシーをいっさい公開しないことにしたのだ。

その三女のシーンが復活したのが『A2完全版』だが、どうしてそのシーンが解禁になったかというと、彼女がオウム事件20年の昨年、自著『止まった時計』を出版してカミングアウトしたためだ。それによって映画のシーンを封印しておく理由もなくなった。森さんの映画監督としてのデビュー作は『A』『A2』だが、まだその映画を見てない人は、この機会に『A2完全版』を見ることをお勧めしたい。

この後、7月16日からは是枝さんのドキュメンタリー映画『いしぶみ』も公開される。広島の原爆をテーマにした、これも『海よりもまだ深く』と違った意味で是枝さんらしい映画だ。ちなみに『海よりもまだ深く』は是枝ワールド全開で、私は是枝さんの映画の中でも好きな作品だ(『そして父になる』は映画館で泣いてしまったが)。

森さんの『FAKE』は、言うまでもなく大きな話題になっており、渋谷の映画館ユーロスペースでは「ドキュメンタリー映画でこれだけ客が入ったのは『行き行きて神軍』以来だ、と言っているらしい。いやもちろん観客動員や興収ではドキュメンタリー映画はもともと苦戦して当たり前だから、『海よりもまだ深く』と比べれば1桁小さい世界だろうが、それでも森さんの作品としては『A』『A2』をはるかにしのぐ実績を記録しつつあるようだ。公開後、一時は満席で入れない人が出るほどだったらしい。

『FAKE』についてはいずれ少し踏み込んだ批評を書いてみたいと思っているが、ここでちょっとだけ書いておくと、佐村河内さんを告発したライターの神山典士さんとも私はかなり前からの知り合いだ。だから神山さんの『FAKE』批判については『創』にも話があって、森さんと神山さんの対談といったことも検討してみようかと考えたのだが、簡単じゃなさそうなので、当面は見送った。神山さんはフェイスブックで森さんが対談を拒否したと書いていたが、そうでなく私が企画を検討し、双方に打診している段階で、これはすぐにというわけにはいかないなと判断したものだ(森さんには正式に対談の企画を申し入れる前に感想を聞いた段階で難しそうだなと思った)。

『FAKE』はいわば森さんの以前からの視点が凝縮された映画で、私は試写を見ながら、初めて『A』を見た時と同じ印象を受けた。佐村河内さんの自宅にカメラを据えて、そこにやってくるテレビ局の人を映すというのは、『A』にあったシチュエーションとそっくりだ。

ただ『FAKE』が『A』と違うのは、そもそも佐村河内問題というのは、マスメディアが佐村河内さんを「現代のベートーベン」と持ち上げ、虚像を作り上げたという前段階があって、神山さんと新垣隆さんがそれをひっくり返してみせた事件だ。佐村河内さんはマスコミによって持ち上げられていたのを一転してペテン師呼ばわりされ、袋叩きされていたのだが、それに疑問を投げかけたのが今回の『FAKE』だ。

「現代のベートーベン」と持ち上げたのも間違いだが、その後の袋叩き報道も実はマスメディアの取り上げ方は同じ構造を抱えていた。つまり白と黒を実態以上にわかりやすく色分けし、白となれば異常なまでに真っ白に、黒だとなるとこれでもかと真っ黒に描くことで悪のイメージを作り上げる。たぶん現実はどちらでもないのだと思う。『FAKE』はそれを衝いた映画で、だから単純に佐村河内さんの名誉回復を図ったものではないし(佐村河内さん自身はこの映画で名誉回復をと考えたろうが)、それゆえタイトルが『FAKE』なのだと思う。

そこが『A』との違いで、佐村河内さんの一度ひっくり返されたイメージをまたひっくり返しているわけだ。この構造は『FAKE』という映画の特徴で、実はそれゆえに微妙な問題にも踏み込むことになっている。例えば、神山さんも新垣さんも『FAKE』の出演依頼に応じなかったとされているのだが、もし彼ら2人がこの映画に積極的にコミットしていたら、果たしてこの作品はどうなっていたのか。

実は映画の中で、佐村河内さんがフジテレビの出演依頼を断って、実際にオンエアされた番組を森さんと一緒に見るというシーンがあって、その時のふたりの会話がなかなか面白い。実際にオンエアされた番組には新垣さんが出演していて、佐村河内さんに断られたら今度は新垣さんを出すというそのテレビの節操のなさに佐村河内さんは憤るのだが(たぶん観客も「あ~これがテレビだよ」と見ていて思ったろうが)、森さんはそこで、もし佐村河内さんが出演していたらたぶん違う番組になっていただろうとコメントする。この佐村河内さんと森さんのやりとりは、『FAKE』を理解するうえで大事な場面のように思える。

私は神山さんとは以前からの知り合いで、彼が一昨年、佐村河内さんを追及していた時期に『創』でも二度にわたって神山さんの話を取り上げている。二度目は阿佐ヶ谷ロフトAでの神山さんや新垣さんらのトークを2014年8月号に収録したのだが(「佐村河内騒動とメディアの責任」)、この時のトークは今でもかなり良くできた中身だったと思っている。で、神山さんたちが2年前に行ったひっくり返しと、森さんが今回『FAKE』でやったひっくり返しが互いにどんな関係で、どんな位相にあるかというのは、興味深いテーマだ。

今回『FAKE』が話題になったのは、佐村河内という人物のキャラクターやイメージが、もともと極端でわかりやすかった(言い換えればテレビ的だった)のが、映画の中でもう一度ひっくり返されていくというプロセスで、森さんの真骨頂ともいえる手法がものすごく生きているためだと思う。だから観客が「ああ佐村河内さんという人は本当はいい人だったんだ」と勘違いして劇場を出てしまうとこれも問題なのだが(たぶん神山さんたちが気にしているのはそこだと思う)、映画『FAKE』はタイトルからもわかるようにそう単純ではない。

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そのあたりについてはいずれ整理してみたいと思うが、とりあえず今は、一人でも多くの人に映画を見て議論してもらいたい。そのために、森さんと是枝さんの対談をヤフーニュースに公開することにした。

以下、少しだけポイントとなる部分をここで紹介するが、ぜひヤフー雑誌にアクセスして全文をお読みいただきたいと思う。

是枝裕和×森達也 対談「映画で表現された『怒り』と『悲しみ』」(ごく一部)

森 『FAKE』については取材がすごく多いんです。『A』『A2』の時にも多少あったけれど、これほどではなかったと感じています。作品を発表した以上、言葉で補足や解説はしたくない。だから基本的にインタビューは受けたくないので断ってくれと配給会社に言っていたのだけど、今はどんどんなし崩しになってしまっています。まあ受けないことにはパブリシティが出ないので、悩ましいけれど仕方がない。

ただやっぱり訊かれる質問はほぼ同じだし、訊く方もちょっと困っているのがよくわかる。是枝さんの場合は、今回は作品がほぼ同時期に2本発表ですね。今回に限ったことではないけれど、一番多く訊かれる質問って何ですか?

是枝 この作品を通して伝えたいメッセージは何ですかと訊かれて困ることがありますね。

森 何と答えていますか?

是枝 優れた映画というのはたぶん、監督が意識してないものも、たとえば役者の肉体を通して表現されていたりするものなので、監督が「この作品を通して伝えたいメッセージはこうです」と言ってしまうことは、僕が意識していない部分の解釈を排除してしまう。そこは見る人が受け取ればいいんじゃないかなって。作品は、決して作り手と受け手がメッセージをやりとりする箱ではないので……と説明したんですけど、たぶん分かってもらえない(笑)。

森 以前、想田和弘さんから、「僕はそういう質問に対しては、あなたはどう感じましたか?と訊き返すことにしています」と言われました。それで相手が「私はこう感じました」と答えれば、「はい、それでいいです」って言えばいいって(笑)。

是枝 森さんはどんなふうに答えているんですか?

森 気分によって変わってしまう。この間もテーマについて説明を求められたので、究極の純愛映画ですって答えました。

最初に佐村河内守さんに「映画の被写体になってほしい」と言ったとき、彼だけではなく、奥さんを撮るということも条件でした。お願いしながら条件付けるってありえないと思われたかもしれないけれど。

かつて放送されたテレビ番組には、奥さんがチラチラ映っている。ところが彼女の存在については、なぜかすべて、全く言及せずに全部切り捨てている。まあ彼女が言及されることを嫌がったからかもしれないけれど、もしダメならこの撮影はあきらめようと思っていました。

篠田 撮影に入る頃には、彼女は撮られることに納得していた?

森 『FAKE』のファーストシーンは、カメラをテーブルの上に置いて、僕と佐村河内さんが対面して話すカットで始まります。あの段階ではOKが取れていなくて、奥さんは映せなかった。でも自分としては、絶対に撮れると勝算はあったけれど。

是枝 森さんは最初の方で「佐村河内さんの怒りではなく悲しみを撮りたい」と話していますが、佐村河内さんには、新垣隆さんなりメディアに対して怒りをぶつけたいという気持ちがあったのかな?

森 あったと思います。彼が映画に出るモチベーションとしては、世間の思い込みへの反論と同時に、二人にシンボライズされるメディアを許せないとの気持ちがあったはずです。つまり怒り。

でも特定の方向に向かうだけの怒りでは普遍性を獲得できない。悲しみなら多くの人が共有できる。そう考えました。

そのときは「佐村河内さんの名誉を回復するつもりは全然ないから」とも言いました。「あなたを僕の映画で利用したいと思うけど、それでも良ければ出て下さい」と。……そして「嫌です」と言われたんだけど。(略)

「観客の想像性を信じる」

森 『海よりもまだ深く』は、自身の子供時代も含めてプライベートな部分、ディテールを出したかったと、是枝さんはインタビューで言っています。カレーうどんや団地とか。テレサ・テンの歌にしても、『歩いても 歩いても』からつながっていて、きっと子供の頃に聴いていた曲なんだろうと思う。 

でも、特に前半は、海外では全くわからないだろうなと思ったんです。ディテールにこだわればこだわるほど、日本の文化を知らない海外の人にはわからない部分が増えていく。その辺は悩んだのかな? たぶん悩んでないですよね。

海よりもまだ深く(c)フジテレビ バンダイビジュアル AOIPro.  ギャガ
海よりもまだ深く(c)フジテレビ バンダイビジュアル AOIPro. ギャガ

是枝 悩んでない。

それは『歩いても 歩いても』を撮った時にも言われたんです。描かれている人間関係も、人間描写にしても、ドメスティックすぎるって。

森 『海よりもまだ深く』の前半に、ドリフのコントがどうとかっていう会話があったでしょう。これ、海外で上映する時にどう翻訳するんだろうって思った。

是枝 ドリフはわからないだろうから違う訳にしましたし、あとカルピスもわからないだろうなとか、いろいろある。

でも不思議なもので、意外とその辺の、個別性にこだわって作ったものは越えて行くんです。今回意図的にわからないものを作ったつもりはないけど、そこでこれは伝わるかどうかというのは考えなかった。そこは大丈夫だという確信があるんです。

森 『FAKE』も海外で展開していきたいけれど、誰もが言うのが、さすがにオウム事件は知られているけれど、佐村河内騒動については誰も知らないから説明しなければならないと。例えば「交響曲第一番 HIROSHIMA」っていう曲がどんな曲かということも、最初に説明を入れなきゃいけないって。僕はその必要はないと思ってるけれど、その意見は多い。

橋本 今回、海外のテレビ局との共同制作に持ち込もうと思って、BBCやフランスのテレビ局の人たちにトレーラーを見てもらったんです。そうすると、みんな興味はあるけれど、佐村河内騒動のそもそもの説明をどうするかという話になる。たとえば「NHKスペシャル」ですごく有名になったプロセスや彼のこれまでの作曲活動を、解説してもらわないと理解しづらいというのが彼らの答えでした。この映画は、そういう事を敢えて一切省いてますから。

森 何かのインタビューで是枝さんが、「観客の想像力を信じる」ということを言っていたけど、そもそも映像やモンタージュって観客の想像力で成り立っているものです。そこを僕らは信じながら編集している。だから予備知識がなくても、本編の中で十分に普遍的なものは出していると思うし、理解できると思ってる。

『A』『A2』の時にもよく言われたのが、この映画はオウムがどれだけ残虐なことをやったのかを描いていないから、10年後、20年後に非常に危険な作品になるって。でもたぶん、それは直接的に描いていなくても、作品を見れば想像できることだと思うし、あまり僕はそこで悩んではいないんだけど。実際にもうすぐ20年経ちますけれど、作品の意味はもっと強くなっていると思っています。(略)

是枝 それから、一点気になったのは、佐村河内さんの弁護士が出てきて、ひとつテープが残っているって言ってますよね。森さんはそれを聴いてるの?

森 聴きました。

是枝 それは映画で使うという選択肢はなかったの?

森 撮ったけど、使わなかった。

例えば初期の「鬼武者」の場合、かなり彼がメロディを作っているんです。それを新垣さんに渡して、新垣さんがアレンジしてスコアを書く。だからそういう意味では、佐村河内さんが曲を作ったという証拠にはなるんですよね。でも途中から、実際に曲を作ったか作らなかったかとか、耳が聞こえるか聞こえないかということはどうでもよくなってしまった。あまりそっちに分け入りたくないなという思いがあったんです。(以下略)

※対談の全文は下記で読めます。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160705-00010000-tsukuru-peo

※初出は『創』7月号の映画特集。特集にはそのほかに『ヤクザと憲法』を製作した東海テレビの阿武野勝彦さんや、『ひそひそ星』の園子温監督など、『創』らしいというか、注目すべきいろいろな人が登場しています。

http://www.tsukuru.co.jp/

「創」7月号表紙も是枝・森両氏
「創」7月号表紙も是枝・森両氏

それぞれの映画の公式ホームページは下記。

http://gaga.ne.jp/umiyorimo/海よりもまだ深く

http://www.fakemovie.jp/FAKE

http://ishibumi.jp/いしぶみ

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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