Yahoo!ニュース

獄中のくまぇり宛の「23歳障害者1級ひきこもり」男性のメッセージがなかなか感動的だ

篠田博之月刊『創』編集長
『創』9月号のくまぇりの連載マンガ

10年の懲役で服役中のくまぇりこと平田恵里香さんに、このところたくさんのメッセージが寄せられている。くまぇりは連続放火犯として逮捕されたのだが、それまでの人生で、いじめにあって中学で不登校になり、パニック障害も抱えていた。中学校への放火といった一連の犯行は、彼女のそうした生い立ちと関わっているのだが、そういう事情が明らかになって、自分も辛い目にあってきたというメールや手紙を彼女に送る人が増えているのだ。このヤフーニュース個人のブログで彼女の近況などを紹介したことが多くの人の目に触れているようだ。

発売されたばかりの月刊『創』9月号では、この1年間ほどで寄せられたそうしたメッセージのうち何人かを紹介しているのだが、その中からここで「23歳精神障害者1級のひきこもり無職ニート」というリョウ君のメールをぜひ紹介したい。『創』に読者メッセージを掲載しようと思ったのも、6月に届いたそのリョウ君のメールがなかなか感動的だったからだ。

くまぇりも事件当時から障害を抱え、投薬を続けないといられなかった女性で、逮捕後一番心配したのはそのことだった。警察などで安定剤として処方される薬は決められていて、今まで処方してもらっていた薬が入手できなかったのだ。だから事件後2007年に彼女と接するようになって、最初に頼まれたのはネットで薬について調べることだった。

しかし不思議なもので、その後、彼女は刑務所で長年過ごすうちに、薬なしでいられるようになったらしい。逮捕前はたびたび発作に見舞われたその障害は、もしかすると彼女が精神的に追い詰められ、連続放火に向かっていったという当時の精神状況と関係があったのかもしれない。

さて、それはともかく、ここで紹介するリョウ君は、統合失調症と診断されて通院していると自分で書いているのだが、それがホントなの?と思わせるくらい、いい文章だ。自分を客観的に見ることもできているし、母子家庭で障害を抱えた息子を育ててきた母親への気持ちも素直に吐露されている。発売後さっそく掲載誌を郵送したが、母親も喜んでくれて、息子の文章の載った雑誌を家宝にすると言っているという。

7月26日未明に起きた相模原の障害者虐殺事件の後だけに、障害を持った人がこんなふうにポジティブに生きようとしている姿に励まされる人も多いと思う。そういう思いを込めて、ここにリョウ君のメッセージを全文紹介することにした。

そういえば、さっきこの原稿を書く前に、ネットでくまぇりについて検索してみたら、相変わらず事実と異なる情報がたくさんアップされている。4月時点で「今週にも出所するらしい」と書いている人もいたが、いったいどこの情報なんだか(苦笑)。10年ぶりの社会復帰は、本人にとっても家族にとっても大変なことで、なるべくそっとしておいてほしいと思うし、『創』でも出所時期やその後の生活などの個人情報は公開する予定はない。

くまぇりにメッセージを送りたい人は『創』編集部宛に手紙をくれてもよいし、創のHPに彼女へのメールへの記入フォームも開設している。

以下紹介するリョウ君のメッセージも、そこに書き込んできたものだ。彼からはごく最近2通目の長文のメールも届いており、それもさっそく、くまぇりに転送することにしている。

同じく不登校だった23歳、精神障害者1級のひきこもりニートより

はじめまして、僕は三重県に住む23歳です。そして精神障害者1級のひきこもり無職ニートです。

恵里香さんが事件を起こしてテレビや新聞でセンセーショナルに報道されていた頃はまだ小学生だったと記憶しています、当時は恐ろしい事件だと子供心に感じたことを覚えていますが世間ではさまざまなニュースがありすぐに貴方の事件も忘れていきました。

しかし、最近この雑誌の編集長さんが書いていたネット記事を読んで、あなたの起こした事件の背景を知って親近感を覚えたのです。

テレビや雑誌は放火してブログに投稿していたということしか報道せず、あなたが不登校だったことやあなたの心の寂しさについて誰も報道せず、社会的な「異常者」としてのあなたしか報道しませんでした。真実など知る由もありませんでした。

僕も中学から不登校になりました。妄想や幻聴の無いタイプの統合失調症と診断され、今も精神科に通っています。

不眠症にもなりました。10代の頃はそんな病気の自分を受け入れられず精神が安定せず死にたいと何度も自殺未遂をしましたし、母子家庭で育ったのでたった一人の家族である母を傷つけました。「私は何のために産まれたのだろう、人に迷惑をかけるだけに産まれてきたのか」と毎日自問自答した10代でした。

自分もあなたのように中学時代の卒業アルバムを燃やしたことがありました。なぜあんな事をしたのか今になって思うと寂しかったのだと思います、記憶を抹消したかったのだと。中学時代にはけっして戻れないのにあのアルバムだけは中学時代の自分が生きていたからです。

そんなことしても母と祖母は僕を受け入れて、そのままでいいと許してくれたのです。自分が生きていることが何よりだと言ってくれたのです。

20歳になる頃には精神状態は安定してきて、少しづつではありますが、やっと自分を受け入れられるようになりました。

どんな背景があろうと、あなたの起こした放火事件で人を傷つけたのは事実です。僕に言われずとも10年間の服役でずっとそれと向き合い続けたあなたが一番わかっていることだと思います。

これから出所して第二の人生を歩むあなたはもう罪にとらわれる必要はないと思います、茨の道かもしれません。

人生は華々しい幸せばかりではないことを僕は知っています、僕は今ささやかな幸せというものを感じて生きています。

猫を2匹飼っているのですがその2匹が幸せそうに寄り添いながら寝ているところを見るだけでとても幸せを感じることができます、自分の障害者年金と母の仕事で生活してけっして裕福ではありませんし僕は他人から見たら社会の穀潰しかもしれません。

それでも母と2匹の猫と暮らす生活は平和で幸せなのです、自分の病気は治ることはほぼ無い病気だと言われていますがそれでも自分を受け入れてくれる母と2匹の猫との暮らしはとても素晴らしいと考えるようになれました。

恵里香さんも出所して必ず幸せを見つけられる日が来ると思います、穏やかで平和な幸せが出所した恵里香さんを待っていることを忘れずないでほしいと思います。

『創』の編集長の記事を読んで、きっと優しい人なんだと感じました。寂しさがあなたを襲ったのだと、けれどあなただけではなく誰しもが少なからず持っている闇なのだと思います、自分もその可能性があったと思います。家族の愛がそれを防いでくれたと。

恵里香さん、本当は辛かったですよね、寂しかったですよね。あなたの辛さや寂しさや悲しみがあの事件につながった…

罪は償いました。これからはささやかでも、小さくても幸せを探して生きていってほしいと思います

僕の辛い時期を支えてくれた精神科医の先生が言っていた言葉です「人は80年生きるんだよ、人生には山があるんだよ、それが君みたいに早くから来る人も居るんだ」

僕はひとつ山を降れました。その山は途方もないものに見えましたが降ってみるとたくさんの素晴らしい小さな幸せが咲いていることに気がつきました。

恵里香さんの第二の人生に幸せがたくさん咲いているといいなと願っています。

恵里香さんと友達になれるといいなとも思います、もしも出所して辛いことがあっても僕のメッセージを覚えてくだされば幸いです。

2匹の猫ちゃんを紹介してあなたの話を聞くことくらいはできます、人生はけっして捨てたもんじゃないんだって恵梨香さんに伝えたいです。

同じく不登校だった身として、出所した恵里香さんが元気に幸せに生きていけたらいいと心から願っています。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

篠田博之の最近の記事