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憲法改正で日本が「ブラック国家」化ー表現の自由弾圧、拷問フリー、戦争に行かなければ死刑

志葉玲フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)

憲法も参院選の重要争点の一つだろう。政権発足以来、経済を中心とした政策を進めてきた安倍政権だが、参院選後は間違いなく憲法改正へと力を注いでいくと観られる。問題は、その自民党の憲法「改正」案があまりに酷いことだ。自民党案の通り、憲法が「改正」されることになれば、日本はブラック企業ならぬ「ブラック国家」化することになるだろう。

◯自民党は日本を国連から脱退させるつもりか?

自民党の憲法「改正」案の問題部分や関連文書、それに絡む政府要人の発言を、わかりやすく意訳すると以下のようになる。

「基本的人権?そんなもん当たり前にあると思うな」*自民党憲法改正Q&A

「拷問は一応控えるけど、絶対じゃない」*自民党憲法改正草案36条

「表現の自由はある。国の都合次第だけど」*自民党憲法改正草案21条

「お前らが平和に生きる権利なんてない」*憲法前文の変更

「戦争に行けという命令に背くなら死刑か懲役300年」*TBS出演番組での石破発言

「仮に日本が攻撃されなくとも、米国様に手出そうとする奴はブッ殺す」

*集団的自衛権の行使を認める。自民党憲法改正Q&A

「非常事態宣言で内閣の好き勝手に法律つくるよ」*自民党憲法改正草案98条、99条

「俺らのつくった憲法に従え」*自民党憲法改正草案102条

まるでどこかの独裁国家のような内容だ。無論、上記のような表現で草案条文が書かれているわけではないが、そこに含まれている意味を読み解けば、上記のようなものとなるということだ。例えば、自民党の公表している政策パンフレット「日本国憲法改正草案 Q&A」には、

「今回の草案では(中略)天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直しました」

と、臆面もなく書かれている。これは本当に、本当に驚愕すべきことだ。天賦人権とは、「人間は生まれながらにて自由・平等であり、幸福を追求する権利がある」という理念。国連憲章や世界人権宣言、国連人権規約も、全てこの天賦人権論に基づくものだ。つまり、第二次世界大戦後の「人権尊重」という国際スタンダードの根底部分であり、これを否定するならば、それこそ国連を脱退するつもりかというレベルのことである。国際スタンダードの否定は日本国憲法第97条が自民党憲法「改正」案から削除されていることからも読み取れる。

日本国憲法第97条:

「第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

97条の削除について、安倍首相は討論番組などで、「(基本的人権についての記述は)11条に吸収してある」と語っている。だが、97条にあって、11条にないのは「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ」の部分。つまり、基本的人権という概念が、夥しい数の死体の山を積み上げ、血の海をつくり、人類がようやく辿りついたものである、という理解が、安倍首相や自民党の憲法草案起草チームには無いのだ。

◯国家の都合で人権を守らなくてもよいという発想

自民党の憲法「改正」案に一貫して色濃く現れている特徴が、国家の都合で人権を守らなくてもよいというものだ。「表現及び結社の自由」についての自民党憲法「改正」案の21条には、わざわざ以下のような条文が付け加えられている。

自民党憲法改正草案21条2

「2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」

この「公益及び公の秩序」が何を示すのかという解釈でいくらでも表現の自由を抑制できることになりかねない、非常に問題のある条文だ。例えば、自民党は福島第一原発事故後も原発推進にきわめて積極的で、参院選の公約でも原発再稼働を掲げている。今後の展開によっては、脱原発デモに参加したり、脱原発に絡む言論をしただけで、「公益及び公の秩序を害する」とみなされる可能性があるだろう。

現在の憲法では、個人の権利を抑制するのは、個人の行動が、憲法で保障されている別の権利と衝突する場合であり、「公共の福祉」とは、そうした意味で使われる。いわば、「調整機能」だ。その憲法で保障された権利間の調整に、いきなり「公益及び公の秩序」という国家の都合が割り込んでくるのは、全体主義的であり、非常に不気味なことなのである。

「公益及び公の秩序」という文言は、自民党憲法「改正」案の他の条文にも出てくる。「憲法が国民に保障する自由及び権利」についての12条でも、「常に公益及び公の秩序に反してはならない」という文言が追加され、また「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」についての13条でも「公益及び公の秩序に反しない限り」との文言が加えられているのだ。繰り返すが、国家の都合で個人の権利を抑制することは、現在の憲法の「公共の福祉」とは全く別の次元の話なのである。

不気味といえば、自民党憲法改正草案36条だ。現在の憲法の「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」の「絶対に」の部分が抜けているのだ。憲法においては、権利の抑制などの調整可能な相対的な権利と、調整を許さない絶対的な権利がある。

「拷問されない権利」というのは、国際的に認められた、絶対の権利なのだ。そこから「絶対」を抜くということは、国家の都合で拷問を行うこともあり得るということを意味する。

◯「戦争に行かないなら死刑」の衝撃、米国の戦争に巻き込まれる

自民党の憲法「改正」案の特徴として、看過できないのが、平和主義の否定だ。日本国憲法前文からも以下の部分が削除されている。

日本国憲法前文:

「日本国民は、恒久の平和を念願し(中略)平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に 除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

中でも「平和のうちに生存する権利」の部分は、「平和的生存権」と呼ばれるもので、戦争で殺されたり、戦争に加担させられたりしないで生きられる権利のこと。自衛隊イラク派兵違憲訴訟での名古屋高裁の判決で認められ、改めて注目を浴びた権利だが、自民党は国民の平和的に生きたいという権利すら、気に食わないようだ。

「平和的生存権」の否定は、最近の政府要人の発言にも現れている。石破茂・自民党幹事長は、TBSの報道番組中で以下の様に発言した。

「これは国家の独立を守るためだ。出動せよ、と言われたときに、いや行くと死ぬかもしれないし、行きたくないなと思う人がいないという保証はどこにも ない。だからそれに従えと。それに従わなければ、その国における最高刑に死刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役三百年なら三百年。そんな目に遭うぐらいなら、出動命令に従おうっていう」。

自民党の憲法「改正」案では、自衛隊を「国防軍」とし、軍に「審判所」を置くとしている。上記の石破発言はこれに絡んだものだ。現在の自衛隊法では、命令拒否は最長で懲役7年。これでは軽すぎると石破幹事長は言いたいらしい。だが、良心的兵役拒否は国際的に認められた権利であり、社会奉仕など代替の活動に従事すれば良いとするのが国際的な流れだ。思想信条に反する行為を強要するのは、人権侵害とみなされるのである。国を守るための自衛官なら戦争に行って当たり前、という意見もあるかもしれない。だが、本当に日本を護るためならまだしも、米国の戦争の片棒担ぎのために、戦地に送られる可能性が高いのだ。「日本国憲法改正草案 Q&A」を読んでみると、自民党の「自衛権」の概念について、「集団的自衛権が含まれていることは、言うまでもありません」と書かれている。この集団的自衛権というのは、要は「米国の戦争への参加義務」。例え、日本が攻撃を受けていなくとも、米国が攻撃を受けた(或いは受ける恐れがある)場合、米国の反撃(或いは先制攻撃)に日本も一緒になって参加する、というものだ。ありもしない大量破壊兵器情報で難癖をつけられ、戦争を仕掛けられたイラクでは11万人以上の民間人が犠牲となったが、米国が主導したイラク戦争に、イギリスも参戦したのも、この集団的自衛権によるものだ。同戦争では、179名の英軍兵士が戦死している。その後のロンドン地下鉄テロを見ればわかるように、米国の戦争に参加すれば、日本の国民もテロの脅威にさらされることになるだろう。

◯独裁的、全体主義的な自民党憲法「改正」案

独裁的、全体主義的な傾向も自民党憲法「改正」案の特徴だ。同案には、以下の条文が新設された。

「第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」

これは、日本国憲法のコンセプトと全く逆だ。戦前・戦中と国家権力が個人の人権を無視し、多くの人々が戦争に駆り出され、或いは戦争に反対したために投獄され、拷問されたという反省から、日本国憲法は立憲主義、つまり、「国家権力の暴走を抑え、国家権力から国民を守る」ことを、基本的なコンセプトとしている。つまり、憲法に従うのは、国家権力であって、国民ではない。

自民党憲法「改正」案98条、99条も見過ごせない。これらも新たに加えられた条文で、戦争や社会の混乱、大規模な自然災害などが起きた場合に、首相が「非常事態宣言」を発令し、法律と同じ効果を持つ政令を好き勝手に出していい、というもの。

自民党憲法改正草案 第98条(一部抜粋):

「第 九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、 特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」

自民党憲法改正草案 第99条(一部抜粋):

「第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる(以下略)」

「3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も(中略)国その他公の機関の指示に従わなければならない。」

法律は、国民の代表である国会議員が審議して決める。それが議会制民主主義の大原則だ。ところが、自民党壊憲案では、首相に「全権委任」というべきフリーハンドの権限を与え、国会の承認も事後で良い、国民は首相の指示に従え、としているのだ。これにより、通常なら国民の反発が強くて通せないような法律も簡単に制定できる。つまり議会制民主主義の否定である。また、「社会秩序の混乱」が何を意味するのかが、 気になるところ。脱原発の国会包囲行動なども、「社会秩序の混乱」とみなされ、非常事態宣言が乱用されるかもしれない。

◯自民党の解党が論議されるべきレベルの酷さ

自民党の憲法「改正」案は、もはや憲法と言えないものだ。人類が夥しい数の死体の山を積み上げ、血の海を流し、ようやく辿りついた人権の国際スタンダードを否定し、やはり膨大な犠牲の下、生まれた国民主権や立憲主義、平和主義を否定している。またそれは、自民党が、我々国民を人間扱いしない、個人として権利を全て奪うのであろう、ということでもある。このようなものを党の方針と進めるならば、自民党の国会議員は全員バッジを外し、党を解散すべきだろう。私達、有権者も、まるで大日本帝国時代の亡霊のような者達に、現代の日本の政治に関わる資格があるのか、大いに考える必要があるのではないか。

フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)

パレスチナやイラク、ウクライナなどの紛争地での現地取材のほか、脱原発・温暖化対策の取材、入管による在日外国人への人権侵害etcも取材、幅広く活動するジャーナリスト。週刊誌や新聞、通信社などに写真や記事、テレビ局に映像を提供。著書に『ウクライナ危機から問う日本と世界の平和 戦場ジャーナリストの提言』(あけび書房)、『難民鎖国ニッポン』、『13歳からの環境問題』(かもがわ出版)、『たたかう!ジャーナリスト宣言』(社会批評社)、共著に共編著に『イラク戦争を知らない君たちへ』(あけび書房)、『原発依存国家』(扶桑社新書)など。

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