【ガザ侵攻現地ルポ】悲しき再会、破壊されつくしたガザ最激戦地シュジャイヤ地区
ガザ侵攻の停戦交渉が本格化し、避難先から戻った人々が目にしたのは、この戦争で死なないですんだという喜びも薄れる過酷な現実であった。筆者の知人もまた、あまりに多くのものを失っていた。
- 本記事にはやや刺激的な写真が含まれます。
ファディ・イスリームさんと出会ったのは、昨年春のガザ取材の時。2012年11月に行われたイスラエル軍による大空爆被害を取材するため現地入りした筆者だが、空爆取材にとどまらず、地元の人々の生活も垣間見ることができた。通訳から、「親戚の結婚祝いのパーティーやるから、撮影に来ないか」とすすめられ、そのパーティーで会ったのがファディさんだ。英語も話すファディさんとは、その後もフェイスブックでも交流が続いた。今回再会することが出来たが、心労のためか、ファディさんの頬はこけ落ちていた。そう、彼の家は今回の最激戦地の一つ、ガザ市東部シュジャイヤ地区にあったのだ。
「まさか、ここまで酷いことになるとは思わなかったよ…。今回の攻撃で、7人の親戚が殺された。病院に駆けつけたけど、酷かった。人が人のかたちをしていなかった。イスラエル軍はシュジャイヤ地区を徹底的に破壊した。僕の家も原型とどめないまでにやられたよ。今、僕達家族は親戚の家に居候させてもらっているけど、この先どうしたらいいかわからない…」(ファディさん)
イスラエルとの境界に近く、赤十字の救急隊員ですら近づけない程の猛攻撃を受けたシュジャイヤ地区。何百という家々が、ぺしゃんこに潰れ、瓦礫の山となっていた。「津波のあとみたいだろ?」。変わり果てた自宅前で座り込んでいた住民が大きなため息をつく。崩れ落ちた家々の下には、回収しきれていない遺体が埋まっているらしい。死臭があたりにただよう。1800人以上が犠牲となったとされる今回のガザ侵攻だが、瓦礫の下から遺体が見つかることで、死亡者数はさらに増えるのかもしれない。ガザ市の主要病院であるシファ病院のビラル・ダブール医師は「シュジャイヤ地区への攻撃が行われている時が、我々医師にとって最も多忙な時だった」と振り返る。「わずか数分の間に、100人以上の負傷者が運ばれてきた。正に大虐殺と言うべき状況だった」(ビラル医師)。
昨年春にガザを訪れた時の写真をファディさんと観ていたが「彼も殺されたよ」と言う。結婚パーティーの会場で踊っていた面長の男性。確かに見覚えがある。結婚式の会場となった地域もまた、今回の攻撃で破壊されつくしたという。皆が心から楽しそうに歌い、踊っている様子が写る写真。わずか、1年余り前のことなのに、現在の状況はあまりにあの頃と違いすぎる。
「わざわざ訪ねてくれて有難う」。別れ際、ファディさんはそう言うと、かすかに笑った。だが、その目は最初から最後まで暗い陰を宿したままだった。
(了)