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日本代表を狙うアルヘンティーナ

林壮一ノンフィクションライター
4~6節は出場機会に恵まれていないが、その鬱憤を爆発させてほしい(写真:アフロスポーツ)

J2に目を向けてみる。

現在、首位であるC大阪に勝ち点9差をつけられている京都。巻き返しを図るには、やはり、背番号10、エスクデロ競飛王の爆発力が期待される。

競飛王の父(元浦和レッズ)は語る。

「もっともっとチームに慣れてくれば、彼らしい仕事を見せてくれると思います」

日本育ちの競飛王について、実父に振り返ってもらった。

「うちの息子は4歳、幼稚園の時に日本のチームに入りました。5歳の時は少年団の一年生、二年生と一緒にトレーニングしました。正直に言えば、私が練習を見に行った時に、あまりよくなかったんですね…。見ていて、『これはプレーヤーとして伸びるかどうか?』と。はっきり言えば、練習がよくないので、帰ってからに自分でサッカーを教えたりとか、少年団が終わった時にちょっと軽く教えたりとかしました。でも、結局、ずっと自分の仕事もあったから、一回はアルゼンチンに帰ろうと思いました。自分の息子のために、プレーヤーとして伸びるためには絶対アルゼンチンで育てた方がいいんじゃないかなと思って4年間、戻りました」

アルゼンチンには選手をきちんと育てていく環境が用意されているが、日本には無かった----。そう、父は話したのだ。ゴールデンエイジとされる8歳で、競飛王はサッカー王国、アルゼンチンで生活した。

「競飛王がアルゼンチンで暮らし始めた頃は、ベビーフットボールをやらせました。その試合では、フィールドプレーヤー5人・キーパー1人。狭いコートで20分ハーフの公式戦です。20分ハーフ×2の計40分間です。40分間で当然、ボールタッチは200回以上になります。8人制や11人制はボールの触り方とかタッチ数はかなり少ないと思います。そうやってアルゼンチンの子はサッカーを体で覚えていくんですよ」

先日、アルゼンチンに渡ったある選手が言っていた。

「やっぱり、選手の"気持ち"が違う」と。

果たして、それは日本という国で育めるものなのか? 

競飛王は北京五輪の日本代表候補だが、当時のチームメイトである、本田、長友、岡崎には"闘う気持ち"が備わっているように見える。しかし、一般的なジャパニーズには、なかなか体得できないように思えるのだ。

そのあたりは、また時間をかけて競飛王の父に語って頂く…。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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