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辰吉のライバルだった男

林壮一ノンフィクションライター
ジョニー・タピアを下してWBAバンタム級タイトルを手にしたのは、99年6月26日(写真:ロイター/アフロ)

1998年8月23日。男は25戦全勝の戦績で横浜アリーナに乗り込み、日本で最も人気のあったボクサー、辰吉丈一郎に挑戦した。

第7ラウンドの途中で辰吉が右目尻をカットし、ドクターストップがかかる。試合続行不可能と判断されたこのWBCバンタム級タイトルマッチは、6ラウンドまでの採点で勝敗が決まった。

3-0で辰吉の勝利。

彼――ポーリー・アヤラは胸を掻き毟りながら、故郷(アメリカ、テキサス州ダラス)へと戻る。

その10カ月後、アヤラはWBAバンタム級王者のジョニー・タピアに挑む。両者共に、ファーストラウンドから最終ラウンドまで、まったくペースの落ちない激闘を繰り広げた。

“ペレア”制し、アヤラは新チャンピオンとなった。

私は同ファイトをリングサイドから目にしたが、鳥肌が立つほどハイレベルな闘いだった。アヤラの闘志のみならず、敗れたタピアの闘いぶりも美しかった。マーベラス・マービン・ハグラーは「BoxingはARTだ」と語ったが、これぞBoxingと呼べる最上級のファイトであった。

18年が経過した今も、感動が残っている。

試合後、アヤラは言った。「辰吉は偉大な選手。素晴らしい技量を持っていた。絶対に再戦したい。勝算はある。統一戦が組まれたらいいのに…。辰吉とやれるなら、喜んで日本に行くよ」

そんな爽やかさも、アヤラの魅力だった。

2004年に引退したアヤラが現在取り組んでいるのは、パーキンソン病患者への支援である。

「ご存知のようにモハメド・アリが苦しんだよね。フレディ・ローチ(パッキャオのトレーナー)や、テリー・ノリスも引退後にこの病に悩まされている。自分が出来ることをやろうと思ってさ」

引退後、50パウンド(22kg強)も太ってしまったと笑うアヤラは、来月47歳になる。彼のスピリッツは健在だ。

アヤラもまた、いい歳のとり方をしている。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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