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ジョージ・フォアマンの残したもの

林壮一ノンフィクションライター
97年11月22日、判定で敗れたが、間違いなくフォアマンは勝っていた(写真:ロイター/アフロ)

元世界ヘビー級王者のなかでも“伝説”と称されるのは、ほんの数名。ジョージ・フォアマンは、間違いなくそのうちの一人である。フォアマンの足跡については、拙著『マイノリティーの拳』で詳しく記しているので、ここでは割愛する。

フォアマンのラストファイトは、1997年11月22日だった。当時、”BIG”ジョージは48歳。相手は25歳の伏兵、シャノン・ブリッグス。

会場は、ドナルド・トランプ現アメリカ合衆国大統領が経営していたタージ・マハールHotel&Casino(ニュージャージー州アトランティックシティ)であった。

私も含め、リングサイドの記者席から取材した全員がフォアマンの判定勝ちを主張したが、何故か”BIG”ジョージは敗れ、引退したーー。

ブリッグスは、次戦でWBC王者のレノックス・ルイスに挑むが、5回TKO負け。後にWBOやWBA-NABA同級タイトルを手にしたこともあるが、TOPファイターとは呼べなかった。

そのブリッグスが、フォアマンを意識しながら現役を続けているという。45歳となったブリッグスは、5月上旬に69戦目のリングに上がるらしい。しかも、空位となっているWBAヘビー級王座決定戦だという。

「フォアマンが世界ヘビー級タイトルを奪還した年を越えて、俺も王座に就いてみせる! 自分はフォアマンを下したファイターなんだ!!」と話している。

フォアマン戦を目撃した人間とすれば、滑稽な発言に聞こえるが、フォアマンに触れたことで、ブリッグスも人間力を高めたのか。ブリッグスの試合を目にしたくなって来た。

ジョージ・フォアマンという人は、本当に人間として”BIG”だ。どんなに凹んでいても、彼に会うと背筋がシャキッとする。久しぶりに、”BIG”ジョージに会いたい。ヒューストンに飛びたいものだ…。

ノンフィクションライター

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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