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AKB48に根ざす体育会系気質:峯岸みなみ丸坊主騒動の論点〈2〉

松谷創一郎ジャーナリスト
(写真:アフロ)

体育会系文化が問われる中での丸刈り謝罪

 前回は、AKB48のリアリティショーとしての側面に注目したが、今回は峯岸がとった“坊主”という行動について考える。

 やはり今回の一件でことさら衝撃的だったのは、峯岸みなみが謝罪として行った頭を丸めたことにあった。周知の通り、それは主に日本の男性が自らの失敗を詫びるためのパフォーマンスである。それを若い女性が、しかも女性性を売るアイドルがやったからなおさら驚かれた。

 また、タイミング的にも最近のふたつの出来事に接続される要素を持っていた。無論のこと、大阪・桜宮高の体罰自殺問題と、柔道女子代表チームにおけるパワハラ・暴力問題である。

 峯岸みなみ自身は、あくまでも自主的に坊主にしたと述べているが、多くのひとが批判するのは、彼女が坊主にまで追い込まれてしまった環境にこそある。そして、そこに桜宮高校と柔道女子代表チームと同じ問題の芽を見て取っている。

 無論のこと、その問題とは日本の体育会系文化である。AKB48が極めて体育会系気質なのは、これまでに公開されたドキュメンタリーを見れば明らかだ。そして、この組織を現場で牽引しているのが、現在は総監督という地位にもある高橋みなみである。

 ところで、私はあるひとから、AKB48の某メンバーのこんなエピソードを聞いたことがある。

 仕事でAKB48メンバー(仮にAとする)といっしょになったそのひとは、仕事後に廊下で彼女と挨拶をし、出口に向かって歩いていた。その廊下はけっこう長かったが、Aは彼が廊下を曲がって姿が見えなくなるまでの数十秒間、微動だにせずずっと頭を下げていたという。

 過剰にも思えるAの行動は、もしかしたら体育会系気質のポジティブな側面かもしれない。カメラに写らないところでも礼儀正しくスタッフに接するという話は、さまざまに耳にする。

 だとすれば峯岸の一件は、この体育会系気質のネガティブな側面が表れたと言えるだろう。この一件が「気持ち悪い」と捉えられ、ニュースでも取り上げられるほど注目されたのは、まさにいま日本の体育会系文化が問われているからである。

 総合プロデューサーの秋元康は、AKB48をしばしば高校野球に例えてきた。プロ野球ほどの実力はないが、一生懸命に努力する姿が高校野球の魅力であるように、AKB48もその未完成な姿こそがファンの心をうつのだと秋元は自己分析する。その認識はおおよそ的確なものだろう。

 が、ゆえに、問い直さなければならないのは、その体育会系気質が果たしてどれほど正しいのかということである。

放置されたままの高校野球

 私は、峯岸みなみが坊主になったことを問題視するならば、甲子園で行われる高校野球選手権のあり方も再考する必要があると考える。高校生が、無茶なスケジュールで連日試合をさせられる状況は、誰が見ても明らかにおかしい。高校球児のほとんどが、いまだに丸坊主だという文化も明らかにおかしい(註1)。それは、これまでにも数多く指摘されてきたことだ。

 だが、それが手つかずのまま、高野連とともに夏の甲子園は朝日新聞社、春の甲子園は毎日新聞社が主催し、NHKが全試合を放送している。そんな国で、体育会系気質のアイドルグループのメンバーが丸坊主になるのは、(女性だという点は大きな驚きだが)論理的に十分ありうる話である。というか、実際に起きたのだ。

 一方で、日本のサッカー文化は昔と比べ大きくリベラルなものになったと言われている。Jリーグがユースチームを創り、高校サッカー選手権とはべつに高円宮杯を構築することで、従来の体育会系気質は相対化された。サッカーは目を覚ましたのである。

 だが、高校野球があのようなひどい状態のままでは、いつまで経っても部活動での体罰はなくならず、AKB48においての丸坊主騒動もこれ以上の問題視はなされることもないはずだ。こう書くと、アイドルと高校野球をいっしょにするなと言われるかもしれない。たしかにそうかもしれない。AKB48はプロで、高校野球はアマチュアだからだ。

 ならばより問題視すべきは、プロのアイドルではなく、学校教育の一環である高校野球のほうだ。高校野球が現在のようなグロテスクな形で存続する以上、AKB48の体育会系気質も決して止むことはないだろう。

体育会系問題の本丸は高野連

 体育会系文化は、その世界を知らない者が考えている以上に根が深い。体罰やしごきが当たり前の精神論が蔓延る世界だ。大相撲などは、しごきで死者まで出した。

2月3日のTBS『サンデー・モーニング』では、スポーツコーナーで元プロ野球選手の張本勲と広澤克実が、柔道女子代表チームのパワハラ・暴力問題に言及した。その際、両氏の歯切れはとても悪いものだった。彼らは自らが体罰が当然の世界で育ったことに触れ、張本にいたっては、若手時代に東映フライヤーズの水原茂監督から試合中に体罰を受けたことを懐かしそうに話していた。

 体育会系世界の成功者や、その思い出を心の糧に生きている者は、概してこのような反応する。もしそれを否定するならば、自らの過去を否定することにも繋がりかねないからだ。かように、体育会系文化が根深いのは、その出身者があまりにも多いからである。

 その点で言えば、同じく元プロ野球選手の桑田真澄はとても勇気ある決断をしたと言えるだろう。彼は、明確に体罰を否定した。桑田は、自分の過去よりも社会の未来を考えてあの態度表明をしたのである。しかしその一方で、彼に追従して声をあげる元スポーツ選手はなかなか出てこない(陸上の為末大くらいだろうか)。残念ながら、これが日本の現実だ。

 そんな中で、AKB48や柔道界、あるいは大阪・桜宮高校のみを問題視するだけでは、単にトカゲの尻尾切りに終わるだけだ。そしてこれらの問題がひと段落した頃に、春の甲子園で丸坊主の少年が肩を壊しながら連投する光景が始まるのである。

ハッキリ言うが、峯岸の丸坊主も含めた一連の体育会系問題の本丸は、高野連である。高野連が高校野球のあり方を改善しない限り、日本から悪しき体育会系文化はなくならない。

 ここまでの事態が起きているのに、われわれはこれからも問題だらけの高野連を放置し続けるか?

AKB48の「恋愛禁止」ルール:峯岸みなみ丸坊主騒動の論点〈3〉に続く】

註1:私は、高校野球の全国大会を辞めるべきだとは思っていない。ただし、現行制度はスケジュールや登録メンバーなど、改善する余地が数多くある。

・関連

リアリティショーとしてのAKB48:峯岸みなみ丸坊主騒動の論点〈1〉

〈追記〉

コメントしました→朝日新聞2013年2月6日朝刊「(探)丸刈り謝罪、誰のため? AKBファン『僕らが追い込んだのか』」

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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