「映画製作委員会」の現状と未来

『永遠の0』製作委員会の構成

今年の映画界を賑わしているのは、『永遠の0』の大ヒットである。昨年末の公開時から爆発的なヒットを続け、ここまで興行収入は80億円を突破。670万人以上が劇場に足を運んでいる(3月4日まで)。日本の実写映画では、興行収入で歴代10位以内に入る大ヒットである。

さて、『永遠の0』のクレジットを見ると、「製作」に多くの会社名がクレジットされていることに気づく。以下に列挙とするとこうなる。

「永遠の0」製作委員会

東宝、アミューズ、アミューズソフトエンタテインメント、電通、ROBOT、白組、阿部秀司事務所、ジェイ・ストーム、太田出版、講談社、双葉社、朝日新聞、日本経済新聞社、KDDI、TOKYOFM、日本出版販売、GyaO!、中日新聞社、西日本新聞社

「製作」(≠制作)とは、この映画の製作費を出資した会社を意味する。つまりこの19社の出資によってこの映画は創られ、それらをまとめて「製作委員会」と呼ぶ。製作委員会の記載は概して出資額に順じており、筆頭にくるのが最大出資者=「製作幹事」なのがほとんどである。

『永遠の0』のように19社が「製作」に加わることも、決して珍しいことではない。この映画の場合は、VFX(CG)に十分な予算を必要としたためにここまで増えたのではないかと思われる。

重要なのは、これらの企業は単に出資しているだけではないということだ。原作から公開後の二次使用まで、『永遠の0』という“コンテンツ”になんらかの関与をする企業が製作に参加している。その多くは、さまざまな媒体のメディア企業で、自媒体を使って映画を宣伝する。

このケースにおいて、それぞれの役割を時系列順に表すと、以下のようになる。

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たとえば原作や派生マンガの出版社は本を増刷し、取次の日販とともに書店でのさらなる宣伝展開をする。たとえ映画がヒットしなくても、「映画化」という話題性によって原作本が売れれば、十分に売上に繋がる。事実、『永遠の0』は映画化によって原作本がさらに売れ、累計で450万部を超える大ヒットとなった。

こうした製作委員会方式は、多額の予算を必要とし、なかなかヒットが生まれない映画ビジネスにとっては、そのリスクを分散・低減する役割となる。ひとつの会社が大きなリスクを持たず、同時に出資各社が媒体を持つために、宣伝的にも有利となる。

『永遠の0』のケースで意外に見えるのは、テレビ局が参加していないことだ(最近のテレビ局は、以前ほどは自社の企画作品以外には出資しない傾向にある)。製作委員会方式は、しばしばテレビ局を中心としたメディア企業連合として認識されていた。それはたしかに誤りではないが、『永遠の0』ようにテレビ局が参加しない製作委員会も当然ある。それは同時に、テレビでの大量宣伝によってこの映画の大ヒットが導かれてはいない、ということも意味する。

「製作委員会」の長所と短所

製作委員会方式は、いまだに日本映画の“悪の根源”かのように批判されることがままある。そこで指摘された問題点は、おおよそ以下のようにまとめられる。

1 :各出資社のチェック(スタッフ、脚本、キャスト等々)が入るので、大胆な作品が生まれにくい

2 :テレビ局が製作参加している場合は、地上波テレビ放映を前提とした表現に留まってしまう

3 :各メディア企業が参加するので、認知度の高い人気原作の企画ばかりが優先され、オリジナルの企画は通りにくい

こうした指摘は、状況認識としては決して間違ってはいない。ただし、これらの指摘には、長所の部分が隠されている。たとえば、この三点は以下のように書き変えることもできる。

1':各出資社のチェック(スタッフ、脚本、キャスト等々)が入るので、監督やプロデューサーのひとりよがりの珍妙な作品が生まれにくい

2':テレビ局が製作参加している場合は、地上波テレビ放映を前提とした一般性の強い映画が創られる

3':各メディア企業が参加するので、一般にも支持される認知度の高い人気原作が採用されやすい

かように、製作委員会には短所もあれば長所もあるのだ。それはひとつの方法論でしかなく、この方式をどう運用するかはプロデューサーの手腕にかかっている。ここの舵取りに失敗すると映画もおかしくなる。ただし、それは製作委員会方式でなくとも同じことである。駄作は製作委員会方式であってもなくても生まれるのだ。

たとえば、1982年に東宝が創立50周年記念作品として送り出した橋本忍脚本・監督の『幻の湖』は、短期間で上映を打ち切られたカルト映画だった。1984年の『さよならジュピター』もそうだろう。80年代の日本映画は“底抜け超大作”の宝庫だった。製作委員会方式を“悪の根源”かのように批判をする者が概して無視するのは、こうした自説に都合の悪い過去でしかない。もちろん製作委員会方式からも、『北京原人 Who are you?』(1997年)や『少林少女』(2008年)のようなトンデモ作品は生まれる。なんにせよ、ダメな作品は生まれてしまうのである。

日本映画最低迷期の1980~1990年代

また、製作委員会方式を無闇に批判をする者が等閑視するのは、80~90年代が日本映画産業にとっては最低迷期だという事実である。確実に言えることは、2000年代に入ってから日本映画産業は復活したということだ。それは下のグラフを見ればわかるだろう。外国映画も含めた総入場者数も1億6000万人前後で推移し、日本映画のシェアも2006年以降は外国映画を上回っている。つまり、製作委員会方式が一般化してからヒットする日本映画が増えたのである。

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もちろんこうした成果は、テレビ局と出版社に依るところが大きい。

テレビ局は自メディアを使って大量のパブリシティをうち、宣伝において大きな役割を果たした。同時に、テレビ局にとってはBSも含む自局での番組コンテンツを持つことができる。出版社は、人気作品の映画化によって原作の増刷を図れる。過去に映画化権料の低さを指摘する声もあったが、これは映画化権料を抑える代わりに、増刷による印税でそれをカバーするスキームだったからだ。

一方、80~90年代の最低迷期を振り返ると、この頃若者の多くは日本映画などろくに観ていなかった。当時、(アニメ以外の)日本映画を観るのは熱心な映画マニアくらいだった。

バブル期には、『敦煌』(1988年)や『天と地と』(1990年)とブロックバスターが送り出され、記録的には大量の動員をした。しかし、その実態としては前売り券を自社や出資者が買い上げ、それを無料で配りまくっていたにしか過ぎない。そしてこのバブル崩壊とともにこの前売り券興行も終わり、1993年に映画館数は史上最低となり、1996年の総入場者数は当時の日本の人口を下回る1億1958万人と、史上最低を記録する。

こうした状況が改善されたのは、2000年代に入ってからだった。そのもっとも大きな要因は、大店法の改正によってシネコンが激増したことだが、作品的にも一般に支持される映画が多く公開されるようになった。90年代後半からのテレビ局の積極的な映画参加と製作委員会方式は、それに大きく貢献したと言えるだろう。

2010年代に入ってからは、2000年代中期の延長にある状況が続いていると見ていいだろう。2012年、日本映画の動員だけで1億人を突破した。これは1973年以来のことである(その一方で外国映画の落ち込みはひどく、それはまた大きな問題なのだが)。この結果から、日本映画は好調を維持していると考えていい。同時にこの状況は、製作委員会方式がさらに洗練されているとも捉えられる。

モアベターな製作委員会方式

一方、製作委員会方式以外の方法論はあるのだろうか? 他国に目を移すと、この手法が日本独特であることが見えてくる。

たとえばハリウッドや韓国では、映画専門の投資会社が存在する。しかし、この方法論であれば、投資会社は作品内容に口を出さず自由に映画を創られる、ということでは決してない。投資会社は、キャストや脚本に口も出し、映画の結末に何パターンか創り、スニークプレビュー(完成前の一般向け調査)をするのも珍しいことではない。地味な企画だったので出資がなかなか集まらなかった、という話もよく耳にする。もちろんこうした方法論も十分に検討されるべきだが、必ずしも万全な策でもないのである。

また、ファンドという手段もあり、多くはないがこれまでにもさまざまな例がある。しかし、シネカノンの製作作品に出資していたJDC信託が、史上はじめての免許停止措置を受けて倒産するなど、ほとんどこの道は閉ざされてしまった。

こうしたことを踏まえると、海外市場をほとんど持たず、テレビ放映やビデオ販売など二次使用マーケットが他国に比べて比較的大きい日本においては、各種メディア企業を巻き込んだ製作委員会方式が現状ではモアベターだという結論に落ち着くのであろう。

才能をマンガと小説に奪われている映画界

もちろん、こうした現状維持が未来にとって最善とは言いきれない。

たとえば、2000年代人気マンガ原作に頼ってきた日本映画は、その資産がほぼ枯渇した状況に陥っている。今後は年末と来年2部作で公開される『寄生獣』や来年公開予定の『進撃の巨人』、そしておそらく映画化される『アイアムアヒーロー』くらいしか注目作品はない。結果として2010年代には、『永遠の0』に代表されるように小説を原作とした映画が増えており、アニメの存在感がさらに高まっている状況が続いている。

こうした状況で待望され続けているのは、オリジナル企画である。筆者もそのひとりではあるが、正直、それには半分同意、半分憂慮といった感想である。というのも、オリジナル企画を開発するのはたしかに必要だが、現状ではオリジナルのストーリー構築に長けた映画作家が多く存在するとは思えないからだ。

日本で物語を紡ぐ能力ある者は、マンガか小説に行ってしまう。たとえば、マンガ家の佐藤秀峰(『海猿』)や室井大資(『ブラステッド』)、小説家の故・伊藤計劃(『虐殺器官』)は、ほぼ同世代で武蔵野美術大学の映像学科出身である。才能のある彼らは、映画の世界に行かなかったのである。また、以前ここで紹介した朱戸アオの『ネメシスの杖』のように、無名の若手があれほどの高水準のマンガをいきなり送り出したりもする。それが日本のマンガや小説の持つ豊かさである。

他方、インディペンデントのオリジナル映画を観ると、そこに大きな期待を持つことはなかなかできないとしばしば痛感させられる。予算の事情もあるのだろうが、残念ながらそこではマンガや小説の新人賞には決して引っかからないであろう、凡百のストーリーの映画が跋扈している。同時に、これらの映画を支持するのが、現在のマンガや小説にほとんど接しない評論家や映画マニアなのも残念なことだ。ならば、既存の原作ものに頼ったほうがいい、という判断は十分に理解できる。

日本映画の未来

そもそも、製作委員会方式がここまで批判され続ける理由は、個人的には80~90年代に青年期を送った世代が、現在30~50代に入っているからではないかと推測している。だれでも若き日の思い出はキラキラして思えるものだが、彼らが忘れているか知らないのは、その当時が日本映画最低迷期だったということだ。

今年40歳になる筆者も、20年前の1994年は20歳だった。まさに青春期は日本映画界が最低迷期だった頃である。当時の日本映画も熱心に観ていた筆者は、黒澤明の晩年にかろうじて立ち会い、北野武や宮崎駿、市川準の活躍にリアルタイムで接してきた。しかしそれ以外は、『敦煌』、『天と地と』、『REX 恐竜物語』など、そういう時代である。なんとかして映画館に客を呼び込もうとする努力が、松竹の『バカヤロー!』シリーズや東宝の『欽ちゃんのシネマジャック』というありさまである。高校生の頃に熱心に観ていたアルゴ・プロジェクトは、バブル崩壊後に出資者のサントリーが手を引いたらあっさり頓挫した。あんな時代を手放しで懐かしむことなど、まったくできない。

日本映画界にとって必要なのは、過去を懐かしむことではなく、未来に向けて冷静に過去と現在を認識していくことである。