「おにぎりマネージャー」の生きる道

画像と本文はあまり関係がありません

進学と高校野球と女子マネージャー

昨日のことですが、スポーツ新聞のある記事がネットを少々ざわつかせました。これは、日刊スポーツの「春日部共栄 おにぎり作り“女神”マネ」という記事で、紙版では写真入りで一面を飾りました。夏の甲子園に出場し、見事一回戦に勝利した埼玉県の春日部共栄高校には、ベンチ入りもする女子マネージャーがいる、というお話。

日刊スポーツ 2014年8月13日付紙面
日刊スポーツ 2014年8月13日付紙面

96年以降、女子マネージャーがベンチ入りすることも可能になったので、これだけでは何のへんてつもない話です。しかし、この記事には気になる一文があります。私も含めた多くの人は、この部分に引っかかってザワザワしたのでした。それが、ここ。

チーム内で“まみタス”と呼ばれ親しまれる三宅麻未マネジャーは、記録員としてベンチに入った。おにぎり作り集中のため、最難関校受験の選抜クラスから普通クラスに転籍したほどで、「頑張っておにぎりを作ってきたことが報われて、本当にうれしい」と勝利にニッコリ。

出典:春日部共栄 おにぎり作り“女神”マネ - 高校野球ニュース : nikkansports.com

彼女は、進学よりも女子マネージャーの道を選んだように読めるからです。

「女性の自立」と「男性への従属」の対立構図

進学よりも女子マネージャー──このことは、さまざまに受け取められたようです。

そのなかでもっとも目立ったのは、「女子生徒が自己の将来(進学)よりも、男子の野球部に奉仕することを選択した」といった受け止め方です。こうした見方は、この記事のある要素が引き起こしています。それが、「おにぎり」の部分です。

日刊スポーツの他の記事では、2年間でおにぎりを2万個握ったそうですが、この「男のためにご飯を作る女」という構図が、保守的な性別役割分業を強く感じさせるのでしょう。つまり、「良妻賢母」的な「男は外で働き女は家を守る」とか、あるいは一般職OLのような「会社では男が主力で女はお茶くみ」といった、前時代的な性別役割分業を感じさせたわけです。もちろんなかには、「今の日本にこんな美しい青春があったとは!」と素直に感動される方もいるようですが。

なんにせよここで見られる反応とは、男女雇用機会均等法から30年近く経過し、女性の社会進出が当然となりつつある日本の現在の姿でもあります。そこでは「女性の自立(進学)」と「男性への従属(女子マネージャー)」が対立的に捉えられ、彼女が前者よりも後者を選択したことを男女問わず大人たちが嘆いているという構図があります。

AO入試や就職活動で圧倒的有利に

しかし、この「自立」と「従属」という対立構図とは、ちょっと古めかしく思えたりもします。というのも、私の友人の大学教員はこの記事を読んで、「これで(この記事によって)、彼女はAO入試で圧倒的に有利になった」と述べていました。

当初は、「なるほど、そういう見方もあるのか」と思いましたが、ちょっと調べると似たような反応はかなり早い段階から多く見受けられます。第二次ベビーブーマーで受験戦争がピークのなか頑張って難関美大に進学した過去を持つ私にとって、AO入試はイマイチぴんときませんが、若い世代にとっては受験におけるひとつの選択肢となるようです。なお、AO(アドミッション・オフィス)入試について簡単に説明しますと、これは学力審査(テスト)に偏重せず、書類審査と面接を重視した入試方法です。「一芸入試」などと言われて話題になったりしましたよね。

そんなAO入試ですが、ちょっと調べただけでも拡大しているのはわかります。下は文科省の資料ですが、平成24年度(2012年度)で全体の8.5%を占めます。少子化でどこの大学も生き残りが大変な中、このようにして学生を確保しようとしているわけです。

文部科学省「AO入試等の実施状況について」(2013年)より
文部科学省「AO入試等の実施状況について」(2013年)より

ですから、春日部共栄のおにぎりマネージャーがたとえ進学優先の選抜クラスを捨てて野球部の青春に賭けても、進学においては多くのひとが考えているようなリスクは生じないどころか、逆にプラスに働くかもしれません。さらに「就職でも有利となった」と意見も散見します。もちろんおにぎりマネージャーがAO入試を選択するかどうかはわかりませんが。

『女子マネージャーの誕生とメディア』

さて、ここからちょっと話を抽象化し、そもそも「女子マネージャー」とはなにか、について考えてみたいと思います。これには、確実な副読本があります。2005年に発表された社会学者の高井昌吏さんの『女子マネージャーの誕生とメディア──―スポーツ文化におけるジェンダー形成』(ミネルヴァ書房)という本です。

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この本では、体育系部活の「女子マネージャー」という存在の歴史的文脈から、メディア(新聞やマンガ)の影響、そしてジェンダー論やフェミニズム研究を援用して、彼女たちがいかなる存在かということが分析されています。あだち充『タッチ』(の浅倉南)の影響や、夏の甲子園の主催者でもある朝日新聞で80年代後半から90年代中期にかけてフェミニズム的議論が起きてきたことは、とても興味深いです。

なかでも重要なのは、多くの当事者の聞き取りによって、彼女たちがいかなる思いで女子マネージャーを選択したかについて分析された後半部です。彼女たちは決して一枚岩ではないながらも、自らの立場をある程度冷静に(≠「客観的に」)認識しています。

そこでしばしば見られるのは、彼女たちが女子同士の関係を嫌悪し(ミソジニー=女性嫌悪)、逆に男子同士の関係(ホモソーシャル)に惹かれたからこそ女子マネージャーを選択したという態度です。しかし、だからと言って、彼女たちは男子集団の一員にはなりきれません。なぜなら彼女たちは、男子でも選手でもないからです。高井さんは、この女子マネージャーと男子野球部メンバーの間に「境界」を見出します。女子マネージャーは、ときにこの「境界」を越えて男子生徒と一体感を持ったりもしますが、跳ね返されたりもします。

ここで重要なのは、この「境界」こそが、女子マネージャーとしてのアイデンティを維持するためにとてもたいせつなリソースとなっており、当事者が意識せずにやはり従来のジェンダーの固定化が起きているということです。

最後に高井さんはこうまとめます。

女子マネージャーの存在をジェンダー的視点から批判するのであれば、メディアと学校社会の反映理論や一般社会と学校社会の反映理論でははなはだ不十分である。そこでは、女子マネージャーたちの主体的な生き方と同時並行的に、「ホモソーシャルな集団」の強化、ジェンダーの再生産が行われているのである。そしてそこにみられるのは、男性支配構造を積極的に創り出そうとする主体的な女性たち、すなわち女子マネージャーである。

出典:『女子マネージャーの誕生とメディア──―スポーツ文化におけるジェンダー形成』p.185(2005年/ミネルヴァ書房)

男性社会のリソースを最大限に活用

高井さんのこうした議論は、プロセスも丁寧で極めて真っ当なものに思えます。

が、ここで気になるのは、前述したAO入試の一件です。もちろん以下は、おにぎりマネージャー個人の話ではなく、それがありうるという前提で抽象化したうえでの話です。

女子マネージャーとして頑張った彼女は、受験でも就職活動でも有利な立場になりました。つまり、社会進出する女性として圧倒的に有利な立場になったのです。言うなれば、それは女性の社会参画のために、男性ホモソーシャル(野球部)のリソースを最大限に活用したということでもあります(たとえ本人にそんな自覚はなくとも)。

そうした例で思い出すのは、モーニング娘。の活動を経て、AO入試で慶応大学に入学し、その後アナウンサーとしてテレビ東京に入社した紺野あさ美さんです。彼女も、保守的な男性セクシュアリティによって成立するアイドルというリソースを最大限に活用し、結果的に在京アナウンサーという狭き門を勝ち取ったわけです。

口の悪い人は、このような女性たちを見て「どーせ野球選手と結婚して専業主婦になるんだろ」などと言うかもしれません(というか、そういうご意見を見かけました)。でも、可能性の話をするならば、彼女たちは将来フェミニストになるかもしれないのです。

なんにせよそこで確認できるのは、いまだに大きな存在感を見せる男性社会のリソース(高校野球、アイドル)の活用は、女性たちにとって多いなる財産に繋がりうるということです。ここでしっかりと見つめなければならないのは、善し悪しはともかくこうした状況こそがいまだに日本の現実だということです。

そして我々が議論しなければならないのは、こうした社会状況の問題点を丁寧にあぶり出していくことです。なぜなら、もし「男に従属する女性」という観点によって高校野球の女子マネージャー制度を非難し、最終的に廃止に追い込んだならば(現実的にはありえませんが)、それは女性の社会進出のリソースをひとつなくすことに繋がるからです。もしそれでも廃止を望むのであれば、女性の社会進出のために他の政策を生み出すことが必要となるでしょう。なにかをなくすだけなら、それによって行き場のないひとたちが増えるだけですから。

よって、女子マネージャーという存在が、将来的にも旧いジェンダー役割を強化・固定化するのか、あるいは逆に撹乱することに繋がるかは、現実的な政策しだいなのです。

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