Yahoo!ニュース

ライフ・オブ・“プロ彼女”――再帰的コンサバティブの背景

松谷創一郎ジャーナリスト
仕事・結婚・出産のにおける女性の選択とそれによる立場

“プロ彼女”とは何か

ここ数日、“プロ彼女”という言葉が世の中をザワザワさせています。きっかけとなったのは、いま売り『ViVi』4月号(講談社)の「なれるものなら“プロ彼女”!!」という4ページのモノクロ記事。そこでは、“フツウの彼女”と“プロ彼女”がどう違うか、17の実例を交えて紹介されています。

『ViVi』2015年4月号・p.279(講談社)
『ViVi』2015年4月号・p.279(講談社)

たとえば、ファッションやメイクでは、“フツウの彼女”が「トレンド最優先のおしゃれ・ファッション」に対し、“プロ彼女”は「男ウケするコンサバきれいめ」といった具合に。彼が料理にダメ出ししたときは、“フツウの彼女”は「『自分で作れ!』とキレる」のに対し、“プロ彼女”は「即謝って作りなおす」のだそうです。

また記事タイトルのそばには、“プロ彼女”の有名人として4人の女性の写真が沿えられています。それが、市川海老蔵の妻・小林麻央さん、ヤンキース・田中将大の妻・里田まいさん、NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公・杉文(井上真央)、そして昨年夏の甲子園で話題となった「おにぎりマネージャー」(!)です。

ここからもわかるように、この記事では「男性(夫)を支える女性(妻)」が“プロ彼女”的だとされています。つまり、とても保守的な性別役割分業に準じた存在が、女性を中心に大きな反発を呼んでいるわけです。

“プロ彼女”定義の変遷

この“プロ彼女”という言葉が話題になったのは、今回がはじめてではありません。

最初に使われたのは、昨年のテレビ番組『久保みねヒャダ こじらせナイト』(フジテレビ)でのこと。コラムニストの能町みね子さんが、田村淳さんの結婚相手を「有名人のみと付き合う、一般女性という名の『プロ彼女』」と評したことがきっかけでした。能町さん自身が認めるように、そこには強いアイロニー(皮肉)が込められていました(※1)。

この言葉がより騒がれるようになったのは、俳優の西島秀俊さんが結婚を発表した昨年秋になってからです。西島さんはそれ以前に「1カ月半会話なしでも我慢すること」など「厳し過ぎる結婚の7条件」を表明しており、それゆえ結婚発表は驚かれました。それで、お相手が“プロ彼女”ではないかと話題となったのです。

このとき、この話題を取り上げた『女性自身』(光文社)は、その“プロ彼女”の意味を能町さんの定義から変えたのです。

プロ彼女とは、“非の打ち所がない彼女”のこと。容姿端麗で性格も完璧。芸能人と交際してもブログで明かさず、陰ながら支えてカレの株を上げてくれる一般人女性だ。実際、2人の交際は2年以上もバレることがなかった。

出典:『女性自身』2014年11月25日「西島秀俊の厳し過ぎる結婚条件 耐えた妻に“プロ彼女”の声」

そこでは、当初の能町さんのアイロニーは消え失せ、ベタな意味になっています。今回の『ViVi』の記事も、冒頭でこの「非の打ち所がない彼女」を“プロ彼女”の定義として採用していると断っています。一方、名付け親の能町さんは、そもそもこの『ViVi』の記事の取材を断ったという経緯を踏まえ、以下のように批判します。

たかだか女性誌の一記事とはいえ、自分が言い出した言葉のせいで「レベルの高い男をつかまえるためには→料理にダメ出しされたら素直に作り直そう!」なんて記事ができたとしたらちょっと冗談で流せないよ。やんなるね

出典:能町みね子さんのTwitter

室井佑月のダメ出し

さて、こうした展開を改めて追ってみると、そこではちょっと齟齬が生じているように思えます。というのも、この『ViVi』の記事は必ずしも“プロ彼女”を全面肯定しているようには見えないからです。あるネット媒体では冒頭でも紹介した実例集だけを抜き出して批判し、そのためにネット上でもそればかりが注目されています。しかし、実は1ページ目と4ページ目では、かなり斜に構えて“プロ彼女”について言及されています。

たとえば1ページ目では、室井佑月さんと佐伯紅緒さんのコメントが紹介されており、なかでも室井さんは、“プロ彼女”の存在を根幹から揺るがす厳しい発言を連発しています。

Q4 “プロ彼女”になってまで狙うべき男って?

室井「億ぐらい稼ぐ男ならいいけど、そうじゃないなら水商売やったほうがよっぽどいいよ。目安は……、クレジットカードの上限がないくらいじゃない?」

Q6 “プロ彼女”の将来はどうなる?

室井「“プロ彼女”って彼の気持ちだけに寄り添うわけだから、不安だよね。何かやってクビになっても、退職金も出るかわからないんだよ!?」

Q7 “プロ彼女”になるための心得

室井「ViVi読者なら若いんだから、まだ競争率の低い“成功する前の男”を狙えばいいんじゃない? まあ全員が成功するわけでじゃないから、宝くじを買うようなもんだけどさ(笑)。」

出典:『ViVi』2015年4月号・p.279(講談社)

なお、このQ4のところには、国税庁とシンクタンクのデータを参照しながら、「年収1000万円以上の日本人の独身男性はたったの0.3%未満」といった注釈がグラフ付きで沿えられています。それが暗に伝えてくるのは、「“プロ彼女”なんてかなりの狭き門だよ」というメタメッセージです。この記事は、実はそう宣言をして始まっているのです。

『ViVi』2015年4月号・p.282(講談社)/イラスト:みとみゆん
『ViVi』2015年4月号・p.282(講談社)/イラスト:みとみゆん

4ページ目には、読者から寄せられた“プロ彼女”のエピソードが一面に掲載されています。たとえばそのひとつを引用したものが右ですが、そのイラストの雰囲気や「忍者みたいと思った」という読者のコメントは、“プロ彼女”をバカにしているように見えます。

こうしたことを踏まえると、先の実例集の見え方も変わってくることでしょう。それは、必ずしも“プロ彼女”を礼賛しているわけではなく、揶揄しているように見えるのです。もちろん、ネタとして読むか(メタメッセージを読み込むか)、ベタに読むか(メッセージだけ読むか)はひとそれぞれですが――というよりも、ひとそれぞれに読めるようにこの記事は創られています(※2)。そう、まんまと我々は『ViVi』に釣られてしまったのです。

再帰的コンサバティブ

さて、ここからはまんまとに釣られたまま、“プロ彼女”のような保守的な女性について考えてみたいと思います。いったいそれはどういう選択で、なにを目指しているのか、ということについてです。

“プロ彼女”の存在が多くのひとから反発されるのは、それが極めて保守的な女性の生き方――旧来的な性的役割分業を肯定する存在として捉えられているからです。女性の社会進出が(制度的には)十分可能な現代において、昭和の旧い観念を無自覚に引きずっているならばたしかにその批判は有効かもしれません。

しかし、その批判の仕方は私にはピンと来ないものでした。なぜならそれは、保守的なライフコースを選択する女性たちにとっては、十分に自覚的だと想定できるからです。つまり、自覚的に保守的な生き方を選んでいるひとに「お前は保守的だ!」と批判しても、「だからなに?」と返されて終わりです。単にふたつのイデオロギーが対立するだけです。

このとき必要なのは、なぜ自覚的に保守的な生き方を選ぶ女性がいるのか、と考えることでしょう。その回答は現実社会とコミットしていれば、容易に見えてくることです。

現代の日本では、女性が男性と同等の社会進出することとは、ヘトヘトになりながら男性と同じ長時間の労働をし、それゆえ結婚と出産の機会を逸するリスクを高めることだと捉えられています。中小企業では、産休を認めないところはたくさんありますし(もちろん違法です)、たとえ産休を取って会社に戻っても、それ以前と同じ立場が保証されるわけでもありません。なにより、子供を入れる保育園が見つかるかどうかもわかりませんし、運良く保育園に入れることができても、夫と自分のどちらかがお迎えの時間を確保しなければなりません。日本では、女性が仕事をしながら子供を産み・育てることのハードル(女性の二重負担)はまだまだ高いのです。

そうしたなかで、夫の収入を家計の中心とし、自身は生涯年収の多くを失っても出産と子育てに時間を充て、子供が小学校に入ってから(パートや契約、派遣などを中心に)仕事に復帰する女性はいまでも一般的です。それは旧い生き方の延長でもありますが、子供という“資産”を持つための策でもあります。子供とは、老後のための先行投資だからです。むかしのような専業主婦は現実的ではないにしろ、夫を家計の中心として子供を産み・育てることは、人生設計におけるセーフティネットとして捉えられているです。

こうしたことを踏まえると、保守的な生き方をする女性に対する見え方も変わってくるかと思います。それは単なる旧い観念に縛られた女性たちの無自覚な選択などではなく、消極的ではありながらも理性的な判断に基づいた選択――もっと言えば合理性によるものなのです。そこには「再帰的コンサバティブ」とも言うべき、限られた選択肢のなかでのしたたかな戦略があるのです。そんな女性を「男に都合がいいだけの女」と批判しても、空振りに終わるだけです。事態はもっと複雑なのです。

不毛な「女性の正しい生き方」議論

さて、ここまで見てきた女性の生き方は、大きく以下の3つにまとめられるでしょう(※3)。

1:男性と同等の収入を得ながら働き続け、子供も産んで育てる生き方(=子持ちキャリア)

2:男性と同等の収入を得ながら働き続け、結婚しても子供を持たない生き方(=DINKS)

3:社会進出を中断して大幅に収入を減らしても、子供を産んで育てる生き方(=専業主婦)

“プロ彼女”とは、この3の最上級の生き方として捉えることができます。そして、それが1や2の立場から批判されるという構図です。つまり、ここでは「“プロ彼女”的合理性(保守的立場)」と「女性の社会進出イデオロギー(先進的立場)」が対立しているのです。いまに始まったことではありませんが、ここを解きほぐさないかぎりこの問題はどこまでいっても平行線をたどります。

仕事を続ける/辞める、結婚する/しない、子供を産む/産まない――日本では、女性にかんするこうした議論が長らく繰り返されているように思えます。「三十代以上・未婚・未出産」の女性を自虐的に描いた酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』がベストセラーになったのは、2003年のことでした。それから12年も経つのに、まだ同じところをグルグル回っているかのように感じます。

おそらくそれは、こうした話が「女性の正しい生き方」をめぐる議論に収斂しがちだからです。つまり、「どのような生き方が女性にとって最良なのか」といった価値判断ばかりがなされているのです。しかも、それは概して女性同士のマウンティング(ポジション争い)になります。内ゲバ的に「女は笑顔で殴りあう」(瀧波ユカリ・犬山紙子)わけです。「負け犬」の劣化ベタ版である「こじらせ女子」が流行語になったのも、こうしたプレッシャーによるものです。

そしてその結果として、社会に問題があるにも関わらず、女性自身に原因があるかのように論点がすり替わってしまいます。たとえば“フツウの彼女”vs“プロ彼女”といったように。これによって、長時間労働の改善や保育所の整備など、社会の問題として議論が深化しにくくなります。そろそろ女性たちは内ゲバをやめて、明確に社会に対してプロテストしていくことが必要ではないでしょうか。

同時にそれは男性にも問われることです。こうした女性についてなかなか関心を持たず、多くの男性はだんまりを決め込みます。女性の生き方に口を挟みにくい雰囲気があるからか、それとも自分たちのことで必死なのかはわかりません。なんにせよ、日本は欧米に比べると男女の距離があるように思います(高学歴層を輩出する日本の私立進学校の多くが、男女別学だからでしょう)。

はっきり言ってしまえば、女性がどういう生き方をしようが、それは(成人していれば)個々人の選択です。保守的に生きようが先進的に生きようが、ギャルとして生きようが不思議ちゃんとして生きようが勝手なのです。そこで必要なのは、その生き方をヒエラルキー構造で格付けすることなどではなく、なにを選択してもそれがどれほど自覚的かつ自由な選択だったかを問うことでしょう。

つまり、どれほど自由かつ積極的に保守的立場を選択しているのか、あるいはどれほど自由かつ積極的に先進的な立場を選択しているのか、そこを見定めることが必要です。言い換えるならば、本当にその選択は当人の主体性によるものだったのか――ということです。“プロ彼女”の問題を考えるときにも、その選択をしている女性個人だけでなく、彼女にそうした選択を直接的・間接的にさせている日本社会について考えることが肝要なのです。

※1……「女性誌「プロ彼女」になれる特集!?努力の方向がどう考えても奴隷っぽい… - Togetterまとめ」

※2……読み方によって反応が割れる記事は、意図的であれば非常に高等テクニックです。企画内容だけでなく、絶妙のバランス感覚が必要だからです。この記事が能町みね子さんにコメントを断られながらもこうした着地を見せたのは、ライターの山本奈緒子さんと『ViVi』編集部の力量でしょう。お世辞抜きでプロフェッショナルな仕事だと思います。

※3……仕事・結婚・出産の三点で考えた場合は論理的には8パターンとなります。トップページの画像がそれです。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

松谷創一郎の最近の記事