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忘れっぽい日本人のための“安保法制に至る道”──安倍晋三首相の3つの戦略

松谷創一郎ジャーナリスト
2015年8月15日、全国戦没者追悼式における安倍晋三首相(写真:ロイター/アフロ)

安倍首相の3つの戦略

 いよいよ成立しようとしている安保法制。2012年12月の第二次政権の発足から2年9ヶ月、安倍晋三首相にとっては大きな山場だ。

 振り返ってみると、安保法制がここにいたるまでの過程には、見落とすことのできない安倍首相の戦略が3つあった。それらが上手くいったからこそ、安保法制は成立しようとしている。

 一方、こうした安保法制に国民の多くが反対していることは、世論調査などからも明らかだ(※1)。毎日のように繰り返されている国会前のデモも、そうした民意の表れのひとつである。

 かように政治と民意が激しく乖離している状況において必要とされるのは、現在までのプロセスをいま一度整理し、検証することだろう。なぜなら、安保法制は忘却されても構わないお祭り(非日常)などではなく、日本の政治(日常)を支配し続ける前例として機能し続けるからだ。

憲法改正から解釈改憲へ

 2012年年末の衆議院議員総選挙、安倍晋三総裁率いる自民党は「日本を、取り戻す。」のキャッチコピーで戦った。結果、296議席を獲得する大勝をし、3年ぶりに政権を奪還。そして第二次安倍政権もスタートした。

 このとき公約で最初に掲げられていたのは東日本大震災からの復興だったが、次いで経済や教育など4つの「再生」が明示されていた。安保法制および集団的自衛権については、「外交再生」の項で「(略)集団的自衛権の行使を可能とし、『国家安全保障基本法」を制定します」と明確に謳われていた(※2)。

自民党「重点政策2012 自民党」(2012年)
自民党「重点政策2012 自民党」(2012年)

 後に集団的自衛権は解釈改憲で押し切る戦略となるが、そもそも安倍首相が一次政権のときから目指していたのは憲法改正だった(※3)。そのためにまず取り組もうとしたのが、憲法改正について記した憲法96条の改正である。それは、自民党が野党時代の2012年4月に発表した憲法改正草案にも明記されている。

 96条改正とは、改憲のための発議要件を現行の衆参で3分の2以上の賛成から、過半数以上に引き下げるものだった(国民投票で過半数以上の賛成を必要とする点は同じ)。つまり、ルール改正のためのルールを改正しようとしたのである。

 安倍首相の就任から間もない2013年、日本維新の会の賛同のもとに96条改正は衆院・憲法審査会などで議論された。しかし、学者や野党からの強い反発、さらには連立を組む公明党の慎重な姿勢もあり、96条改正は見送られた。かわりに安倍首相が取り組んだのが、集団的自衛権を違憲としてきた憲法解釈を変更することだった。

 改憲から解釈改憲へ――安保法制成立の第一のポイントは、ここにある。96条改正が容易でないと見るや、目標達成のために次の戦略をすぐに打って出た。この路線変更もおそらく事前に想定していたはずだ。

 なお、2014年7月に集団的自衛権容認の閣議決定をした以降、96条改正についての議論は進んでいない。ただし、安倍首相は96条改正を諦めたことを正式に表明したわけでもない。つまり、安倍首相および自民党がふたたび96条改正に取り組むことは、十分にありうる。

内閣法制局長官の交代

 2013年2月、安倍首相は「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」、いわゆる「安保法制懇」を復活させた。そもそもこれは、第一次安倍政権時の2007年4月に設置された首相の諮問機関だ。しかし、それから間もない退陣とその後の政権交代にともない休止状態になっていた。

 安保法制懇が復活し、憲法96条改正が次々と批判される中、安倍首相は次の手を打つ。それが内閣法制局長官の交代だ。内閣法制局とは、立案された法律の妥当性を審査する政府の部局だが、これまで憲法解釈の判断も任せられてきた。他国における憲法裁判所のような機能も果たしてきた側面もある。

 たとえばそれまでに内閣法制局長官が示した憲法解釈でもっとも重要なのは、1954年の自衛隊発足時におけるものだろう。自衛隊発動の三要件という限定をかけながらも、当時の内閣法制局長官・佐藤達夫はその存在を合憲としたのである。しかし、それ以降は内閣法制局がその見解を変えることはなかった。現在の護憲派の多くが拠って立つのも、長らく継続してきたこのときの解釈である。

 安倍首相は、この内閣法制局長官を交代させたのである。そこで新任したのが、第一次政権時の安保法制懇で立案実務に携わっていた外務省の小松一郎だった。従来、法務・財務・総務・経済産業の四省から任命されていた内閣法制局長官において、外務省出身者ははじめてのことだ。

 翌2014年、小松長官は安保法制懇から上がってきた安保法案について国会で答弁に立ち、お墨付きを与える役割を果たした。このときすでに末期がんに冒されていた小松長官は同年5月に辞任、6月23日に永眠する。そしてそれから1週間後の7月1日、安倍首相は集団的自衛権を容認する閣議決定をし、後任の横畠裕介長官もその憲法解釈を引き継いでいく。

 安倍首相は、独立性が期待され、「法の番人」とも呼ばれる法制局長官に自分寄りの者を意図的に任命したのである。つまりそれは、安保法制を「合憲」とするための戦略だった。これが安保法制成立のふたつ目のポイントだ。

 なお、歴代の6人の法制局長官のうち、5人が安保法制を違憲だとする見解を述べ、残りのひとりも強い懸念を示している(※4)。このなかのひとりである宮崎礼壹(現・法政大学法科大学院教授)は、第一次安倍政権時の長官だった。宮崎は、このとき安倍首相から幾度も集団的自衛権の解釈変更を求められたが、みずからの辞任を突きつけてそれに突っぱねたという(※5)。安倍首相はこのときの経験もあって、解釈改憲を押し進めるために内閣法制局長官を交代させたのである。

安保法制をひた隠しにした総選挙

 2014年7月に集団的自衛権を容認する閣議決定をした安倍首相は、3つ目の手を打つ。それが同年12月におこなわれた解散総選挙である。解散の理由は、消費税率引き上げの先送りである。

 しかし、世論は概ねそれに賛同していたため、投票率が戦後最低の52.66%を記録するほど有権者の関心は低かった。結果も、連立与党が議席数を維持し、野党第一党の民主党も10議席増やしただけにとどまった。つまり、ほとんど大勢は変わらなかった。こうして安倍政権は、有権者の“信任”を勝ち取ったのである。

自民党「自民党政権公約 2014」(2014年)
自民党「自民党政権公約 2014」(2014年)

 しかし、このときの自民党の公約では、安保法制にはかなり目立たない工夫がなされている。それは、アベノミクスばかりを強調する公約パンフレットを見ても明らかだ。

 2012年には明示されていた「集団的自衛権」という言葉はなく、全26ページある公約パンフレットの24ページ目に小さい文字で「『国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について』(平成26年7月1日閣議決定)に基づき……」と記載するに留めている(※6)。それはもちろん集団的自衛権の行使を意味するが、ぱっと見ただけではわかりにくい。かなり意図的に小さくしている。

こうした安倍政権の戦略に対し、野党第一党の民主党はその土俵に完全に乗ってしまった。このとき民主党がまず掲げたのは、アベノミクス批判。それから社会保障、雇用、教育……と公約を並べ、集団的自衛権の閣議決定を批判するのは9番目に出てくる外交・防衛の項だった(※7)。民主党にとっても安保法制は優先順位が低かったのである。

 また、衆議院議員総選挙は、戦後は平均2年9ヶ月に一回の頻度で実施されている。よって、選挙の間隔が2年未満になることは敬遠される。つまり、ここで解散すれば次の選挙まで時間を稼げると踏んだのだ。これにも成功したのである。

安保法制および集団的自衛権の容認をひた隠しにしたままの、争点なき総選挙――これが3つ目のポイントだ。

もうひとつの裏ワザ

 安保法制にいたるまでの安倍首相の戦略は、このように巧みに練られていたものであった。これに比べると、有権者に嫌われる増税を行って議員定数削減と引き換えに解散に応じた民主党の野田元首相は、バカ正直にすら思えてくる。

筆者作成。
筆者作成。

 しかし、この安倍首相の戦略ももちろん手放しで評価できるものではないだろう。集団的自衛権は違憲との批判を各方面から受け、解釈改憲を可能とするための内閣法制局長官の任命も前例がないものだ。さらに有権者も望まない低投票率の総選挙で “圧勝”した。アベノミクスの高評価を頼りに、安倍首相はこうした裏ワザのような手法をとってきた。果たしてその戦略はどれほど許されることなのか。その是非については、今後もしっかりと検証していくことが必要だろう。

 加えて言えば、安倍首相にはもうひとつの戦略が見え隠れする。それは、つい先日の国会における安倍首相の答弁からもうかがえる。

「法案が成立し、時が経ていく中において間違いなく(世論の)理解は広がっていく」

出典:朝日新聞デジタル2015年9月14日「首相、安保法案『時経てば理解広がる』 成立へ決意示す」

 すでに表明しているように、安倍首相は安保法制が国民の理解を十分に得ていないことを承知している。そのうえでこのような発言をしたのだ。実はこの発言の裏にこそ安倍首相の戦略がかいま見える。

 そのときに利用するのは、おそらく日本人の“忘却癖”である。そこで、安倍首相は特別なにかすることはない。逆に言えば、失策に気をつけながら時間に任せて「これ以上はなにもしない」という手法を取ってくるはずだ。そう推定すると、安倍首相の発言も違ったものに見えてくる。

「法案が成立し、時が経ていく中において間違いなく(世論の)“忘却”は広がっていく」

 真意はこういうことかもしれない。

熱しやすく忘れっぽい日本人

 それにしても、なぜ日本人に忘却癖があるのか?

 かねてからそれを指摘しているのが、社会学者の宮台真司である。宮台は、日本人は「お祭り体質」ゆえに“忘却癖”が強いと論じる。お祭り(非日常)の特徴は、それが終わって日常に戻れば、すぐに忘れてしまうことだからだ。つまり、「熱しやすく忘れっぽい」のである。

 それはかの戦争を振り返っても明らかだろう。責任を明確にしないまま勢いで戦争に突入し、アメリカに原爆をふたつ落とされて敗戦しても、戦後はアメリカべったり。安倍首相の祖父である岸信介元首相などは、その代表的存在だ。

 太平洋戦争の開戦に東條英機内閣の一員として参画し、敗戦後はA級戦犯となりながらも公職復帰し首相に就任すると、国民の猛烈な反対を押し切ってアメリカと安保条約を締結した。15年前まで戦っていた敵に、簡単に従属したのである。

 2002年、サッカー・日韓ワールドカップの直後におこなわれた講演において、宮台は最後をこう締めた。

左翼の人も右翼の人も宗教団体の人も、日本人の忘却癖を利用して「公益を騙って私益を追求する」輩に敏感でなければならない。組織の利益を主張しつつ、実は私益に固執する動機づけをもつ者とは、あなたの隣にいる内部者かもしれないし、あなた自身であるかもしれません。

出典:宮台真司「忘却癖の日本人にナショナリストはいないという寓話」(2002→2004年/※9)

 予言のようにも聞こえる13年前の宮台の指摘を、われわれは心に留め置く必要があるだろう。

 安保法制における安倍首相の戦略を忘れないために――。

※1……NHK NEWS WEB2015年9月14日「安倍内閣『支持』43% 『不支持』39%」TBS Newsi2015年9月6日「安保法案、6割が今国会成立に反対 JNN世論調査」時事通信2015年9月11日「内閣支持、最低の38.5%=衆院解散「任期満了まで」3割半ば」

※2……自民党「重点政策2012 自民党」(2012年)⇒PDF

※3……そもそも憲法改正は、1955年の自民党結党時に明確に掲げられていた目標だった。詳しくは、自民党「党の綱領」(1955年)参照。

※4……安保法制に違憲の見解を示したのは、大森政輔(1996~99年)、津野修(99~2002年)、阪田雅裕(2004~06年)、宮崎礼壹(2006年~10年)、山本庸幸(2011~13年)の5人。「違憲の運用が行われる恐れがある」と懸念を示したのは、秋山収(2002~04年)。東京新聞2015年6月20日「歴代法制局長官5氏の見解要旨」、朝日新聞2013年8月21日「集団的自衛権、憲法解釈変更難しい 山本最高裁判事・前法制局長官」。

※5……朝日新聞2014年3月3日「(集団的自衛権 読み解く)岐路、突き進む首相」。

※6……自民党「自民党政権公約 2014」(2014年)⇒PDF

※7……民主党「民主党の政権公約 マニフェスト」(2014年)⇒PDF

※8……朝日新聞デジタル2014年11月28日「選挙報道『公正に』 自民、テレビ各社に要望文書」

※9……宮台真司『亜細亜主義の顛末に学べ――宮台真司の反グローバライゼーション・ガイダンス』(2004年/実践社)。

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ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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