Yahoo!ニュース

ヘイトスピーチを正当化しようとするひとたちのレトリック――法務省勧告で噴き上がるYahoo!コメント

松谷創一郎ジャーナリスト
2015年5月17日、秋葉原のヘイトデモと対抗デモ(写真:Duits.co/アフロ)

コメント欄に噴き上がる差別感情

 12月22日、法務省は在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチを各所で繰り拡げている「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の桜井誠・前会長に対し、今後同様の行為を行わないように勧告した。これは、2008年から11年にかけて、東京・小平市の朝鮮大学校前で在特会が「朝鮮人を殺しに来た」といったヘイトスピーチをし、その被害申告を受けてのことだ(※1)。

法務省のポスター「ヘイトスピーチ、許さない。」(2015年)
法務省のポスター「ヘイトスピーチ、許さない。」(2015年)

 この勧告そのものに法的強制力はないが、法務省が立場を明確にしたことはやはり注目に値するだろう。これまでにも法務省は、国連人種差別撤廃委員会の勧告を受け啓発活動に取り組んできた。今回の在特会に対する勧告は、その延長線上にあるものだと判断できる。

 しかし、この報道を受けてYahoo!ニュースのコメント欄は大いに荒れている。そもそも現在のYahoo!ニュースのコメント欄は、憎悪にあふれた差別発言の温床となっていることは説明の必要もないだろう。そこでヘイトスピーチを正当化しようとする人々が、さまざまに感情を噴き上げているのである。

 それらのコメントのほとんどは、さらなる差別感情を表出したものにしかすぎないが、そこにはあるパターンも見出すことができる。彼らはいったいなにを叫んでいるのか?

ヘイトスピーチの正当化レトリック

 ヘイトスピーチを正当化する人々には、大きく分けて3つのレトリックが見られる。以下、それぞれについて解説・分析する。

■1:差別(ヘイトスピーチ)と批判を混同するレトリック

例:ヘイトスピーチは、左翼には適用されない決まりでもあるのか?(※2)

 コメント欄に頻出するのは、SEALDsなどの市民団体による安倍政権批判や、韓国や北朝鮮政府の日本政府に対する批判的姿勢をヘイトスピーチと同等に捉えるものだ。

 しかし、これらは決定的に誤った混同だ。前者については、日本でもっとも強い公権力を持つ政権を国民が批判しているだけであり、それは批判であっても差別ではない。後者も、政府間同士の衝突による批判であり、それはヘイトスピーチとは異なる。

 ヘイトスピーチとは、国籍や人種、民族など、人が簡単には変えられない属性を差別する憎悪表現のことを指す。よって、もし市民団体が特定の政治家の出自(民族、性別、出身など)を指して攻撃すれば、それはヘイトスピーチとなる。しかし、政策や思想に否を唱えることは批判であって、決してヘイトスピーチ=差別ではない。批判と差別は明確に異なるのである。

■2:政府間の関係と国民同士の関係を混同するレトリック

例:韓国や中国は反日教育をしていて、北朝鮮は日本人を拉致しただろ!

 21世紀になって目立ってきたヘイトスピーチの引き金のひとつとなったのは、日本と周辺国の韓国・北朝鮮・中国各国との関係悪化である。

 しかし、こうした政府間の外交関係を国民同士の関係に適用するのは、完全に短絡である。たとえ普通選挙が行われていても、日本人個々の思想を日本政府が反映しないように、各国政府と各国民の立場を同一視するのは論理の飛躍だ。「政府=国民」という等式は、どこの国や国民に対しても成り立たない。この点を峻別できているかどうかは、愛国主義者とレイシスト(差別主義者)を見極めるポイントのひとつでもある。

 もちろん、自国政府の姿勢を強く支持する国民がいても、その者に対するヘイトスピーチが許されるわけではない。差別は決して許されないからだ。

■3:差別に対して差別で対抗できると考えるレトリック

例:韓国でも日本に対するヘイトスピーチが行われているのに、なぜ日本だけダメなんだ!

 もし韓国人が国籍や民族などの属性で日本人を差別すれば、それはヘイトスピーチである。韓国語には日本人を指す差別用語があるが、もしそれらの語を使って日本人を差別するならば、大いに批判されるべきだろう。

 しかし、だからと言ってそれが日本人のヘイトスピーチを正当化する理由にはならない。「韓国人が日本人を差別しているから、日本人の韓国人差別も許される」というのは、小学2年生レベルの論理でしかない。韓国人であろうが日本人であろうが、ヘイトスピーチ=差別をすることは許されない。

 以上のように、差別と批判を同一視しても、小学生レベルの論理を振り回しても、ヘイトスピーチを正当化することは決してできないのである。

書き込みと排外性の相関関係

 ――と、それぞれのパターンについて解説したが、ヘイトスピーチを正当化しない大多数のひとにとっては、それらはなんとも退屈かつ徒労感に溢れる内容だろう。そんなことは、ほとんどひとが説明されなくともわかることだからだ。それでもこれほどヘイトスピーチを正当化するコメントが多く溢れることには、いくつかの理由が考えられる。

 まず押さえるべきは、それらは単に目立っているだけだということである。Yahoo!ニュースは、全体で月間100億PVなので、1日換算では約3億3000万PVである。一方コメントは、1日で約4万ユーザーが約14万件の投稿をしている(※3)。つまり1PVあたり0.04%、2500PVに1コメントの割合でしかない。同時に1ユーザーあたり1日3.5回コメントしていることを踏まえると、いかにコメントをしている人たちがごく少数であるかがわかるだろう。

画像

 そうした状況をイメージにするとこのようになるだろう。コメント欄に響き渡っているのは、ごく少数のユーザーによる大きな声でしかない。つまり、ラウドマイノリティ(うるさい少数者)の劣悪なコメントが、他のユーザーに強く印象に残っているにしかすぎない。

 同時にそこで踏まえておきたいのは、ネットで掲示板に書き込みをするひとびとは、やはり有意に排外性が高いという調査結果である。社会学者の藤田智博などによる2008年の調査では、ネットに書き込みをするひとほど、外国人が日本に住むことによって「犯罪率を高める」「日本人の職を奪う」と回答する割合が高まる。この調査で重要なのは、それらの傾向がアメリカでは見られないことである(※4)。

 こうしたネットの少数者が社会のヘイトスピーチと相互に作用していることも確かである。在特会の活動はネットの声に支えられたものでもあるからだ。よって、そこで必要となってくるのは、その少数者がどのような存在であるかを講じることである。

 前述の藤田をはじめ、この5年ほど、ジャーナリストや学者によるヘイトスピーチや排外主義の研究で、優れた成果がいくつも見られるようになってきた。具体的には、ジャーナリスト・安田浩一の『ヘイトスピーチ――「愛国者」たちの憎悪と暴力』(2015年/文春新書)、社会学者・樋口直人の『日本型排外主義――在特会・外国人参政権・東アジア地政学』(2014年/名古屋大学出版会)、社会心理学者・高史明の『レイシズムを解剖する――在日コリアンへの偏見とインターネット』(2015年/勁草書房)などである。それらでも、排外主義(レイシズム)とインターネットの関係は強く注目されている。

スマイリーキクチ中傷事件から導く仮説

 9月、Yahoo!ニュース編集部は「ヘイトスピーチなどへの対応を強化します」と明言した。個人的にはその姿勢は大いに歓迎すべきことだと捉えている。ただしその一方で、そこにはかなり限界があるのではないか、とも考えている。

 その理由として、ここで従来の研究には見られないひとつの仮説を示す。ただし、その仮説は極めて検証しにくいものであり、それゆえ対処法も見つからないという問題を抱えていることは留意されたい。

スマイリーキクチ『突然、僕は殺人犯にされた』(2011→2014年/竹書房文庫)
スマイリーキクチ『突然、僕は殺人犯にされた』(2011→2014年/竹書房文庫)

 そこで参考として取り上げるのは、芸人・スマイリーキクチの『突然、僕は殺人犯にされた』(2011→2014年/竹書房文庫)だ。この本は、1999年頃からネット上でキクチが凶悪事件の犯人とデマを流された顛末を記したものだ。キクチが、89年に起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人だという事実無根の中傷が、ネット上を駆け巡ったのである。

 2008年、キクチは刑事告訴に踏み切り、その結果19人が検挙された。注目すべきは、そのとき検挙された四分の一が精神疾患を抱えていたという事実である。また、この摘発が報道された翌年、さらなる中傷がネットに書き込まれ、刑事がその人物のもとを訪れると包丁を持って暴れだした一件があったという。その人物は責任能力がないとされ、摘発は見送られた。

 キクチのこの一件は、サンプル数が少なく、またヘイトスピーチとは異なるので、必ずしも全面的に参考すべきことではない。実際、残りの四分の三はごく普通の人物であり、なかには国立大学の職員もいたという。しかし、精神疾患を抱えていた存在が四分の一もいた事実はやはりとても気になる。それは有意に高い割合だからだ。

 この一件を取り上げたのには、理由がある。なぜなら、ヘイトコメントの中には非常に偏執的かつ病的な記述を多く見かけるからだ。そもそも在特会が主張する架空の「在日特権」なるものが被害妄想的に生み出され、支持を集めてきたように、しばしば正常な精神状況による判断ができていないと思しきコメントが散見される。精神疾患だからヘイトコメントが許されるわけではないが、こうした可能性(仮説)を含意するべき段階に入ってきたのではないかと考えている。

 ただし、先にも触れたように、この仮説を検証するのは困難でもある。ネット上でヘイトコメントを繰り広げるひとたちの傾向は、ある程度は量的調査で掴むことはできても、個々人の精神状態までは確認することは難しい。あるいは、苛烈なヘイトコメントを繰り返しているひとたちは、そうした調査から抜け落ちている可能性も否定できない。

 そして、たとえこの仮説が正しかったとしても、そこで必要とされるのは、Yahoo!ニュースの対策やネット上での啓蒙というよりも、社会福祉の拡充である。インターネットは現実社会と切り離された架空の世界などではなく、現実社会の一部である。現実社会の対処は、現実社会でするしかないのである。

 法務省が在特会の桜井誠に勧告を出したことは、ヘイトスピーチ規制の法制化に向けても追い風になるだろう。ただし、必要なのはそれだけではない。法的サンクションによる抑止力は、「無敵の人」に対しては限界があるからだ。それとセットで必要とされるのは、ネット上でヘイトコメントを噴き上げるような存在が、心を安寧にできるような社会を構築することである。特に社会関係資本が乏しいと推定される排外主義者には、社会福祉の拡充や地域コミュニティによるケアが必要とされるのである。

※1……筆者は20年ほど前、朝鮮大学校に隣接する武蔵野美術大学に通学していた。西武国分寺線・鷹の台駅から大学までは徒歩で25分。そこは、大学の前にも商店はあまりない閑静な住宅街だ。秋には紅葉が綺麗な玉川上水沿いの小路を、朝鮮大学校の学生とすれ違いながら通っていた。そうした思い出の場所が、ヘイトスピーチの舞台となるのはなんともやるせない。

※2……これらの例は、実際のコメントをじゃっかん改変したものである。特定のユーザー個人をやり玉に上げないためにそうした。

※3……『Yahoo!ニュース スタッフブログ』2015年9月2日、「Yahoo!ニュースがコメント機能を続ける理由~1日投稿数14万件・健全な言論空間の創出に向けて~」

※4……藤田智博「インターネットと排外性の関連における文化差――日本・アメリカ比較調査の分析から」2011年、『年報人間科学』32号(大阪大学人間科学部社会学・人間学・人類学研究室)。

■関連

・「下から目線のプロ素人」の原理(2014年11月)

・ヘイトスピーチ規制と永田町騒音問題(2014年8月)

・“偏情”が招く「不正選挙」陰謀論(2013年1月)

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

松谷創一郎の最近の記事