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保守派を困惑させた天皇陛下の「おことば」──二度目の「人間宣言」が巻き起こした波紋

松谷創一郎ジャーナリスト
2016年8月8日、宮内庁でおことばを述べられる天皇陛下。

天皇陛下の問題提起

8月8日に発表された「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」は、予想以上に踏み込んだ内容だった。事前に宮内庁と官邸との間で調整があったとは言え、そこには天皇陛下自身の退位への強い思いがかなり残されていた。

誤解を恐れずにいえば、その概要は「天皇の今後についての問題提起」である。現在の制度のままであれば、いつしか天皇としての「務め」を十分に果たせなくなり、「深刻な状態に立ち至った場合」には社会が停滞することを懸念されていた。さらに、葬儀関連の行事で残された家族に大きな負担がかかることも心配されていた。

象徴天皇がそんなことで良いのだろうか?──天皇陛下はそう問いかけたのだ。

各社の世論調査では、いずれも80%を超える割合で生前退位に賛成の傾向が見られる。あとはどのタイミングで、どのようなかたちで生前退位への道を開くかということになる。

そこで注目されるのは、保守的な姿勢を強く見せてきた安倍政権や、官邸に強い影響力を持つ保守系の政治団体、さらに保守系識者の今後の言動である。なぜなら、既に彼らからは強い困惑の様子がうかがえるからだ。

今後の3つのシナリオ

これから本格的に議論に入る生前退位には、多くの課題が生じるのは間違いない。まず、どのように制度設計するかという問題がある。すでに確認されているように、現在の皇室典範に退位の規定はない。そのため、今後は3つのシナリオが考えられる。

ひとつが、摂政の解釈を拡大することだ。会見前の段階で、保守派の識者は退位には否定的で、その対案として摂政を置くことを推していた(たとえば百地章「あえて生前退位に反対する」『SAPIO』2016年9月号)。現在の皇室典範16条には、「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」という要件があるが、これを拡大解釈して乗り切ろうとするものだ。

しかし、今回の会見で天皇陛下はその可能性を暗に否定した。生涯天皇であれば、深刻な状態となったときに摂政を置いても、「社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶ」ことを懸念されているからだ。これは1988年から89年の1月まで続いた、昭和天皇の病状悪化のことを考えてのことだろう。

次の可能性は、皇室典範の改正だ。これは生前退位の規定を新たに加え、さらに退位した天皇がどのような立場になるかなど、他の条文の改正も必要となってくる。皇室典範の抜本的な見直しが要求されると考えていいだろう。

最後が、特別立法の可能性だ。これは生前退位を恒久的な法にしないことにより、時の政府による強制的な退位などを防止するための策だ。同時に、皇室典範改正よりも労力をかなり抑えることができる。政府は、これを軸に検討を始めたという報道があるが、おそらくそれは間違いないだろう。

「開かれた皇室」への反対論

安倍政権が特別立法を軸とするのは、生前退位を盛り込む皇室典範改正が思想的に相容れない側面もあるからだ。それは安倍政権を支える「真正保守」を自称する政治団体・日本会議にとっても同様だ。

なぜなら、憲法改正を目標とする彼らは、常に大日本帝国憲法が発布された明治時代への復古を望んでいるからだ。明治憲法と同時に作られた皇室典範に対しても、同様に非常に保守的である。

また、皇室典範改正に消極的なもうひとつの理由として、次の天皇になる皇太子さまの存在もある。これには、3年前に生じた「皇太子『退位』論」騒動が少なからず関係しているのかもしれない。

「皇太子『退位』論」とは、宗教学者の山折哲雄氏が『新潮45』2013年3月号で発表した「皇太子殿下、ご退位なさいませ」という論考に端を発したものだ。これは皇太子妃雅子さまの病気による療養が10年目に入ったことを期に書かれており、宮中祭祀に参加できない雅子さまを思うなら皇太子は退位されて、秋篠宮さまへ皇位継承権を譲位されてはどうか、という提案だった。

この山折氏の提案とは、戦後の象徴天皇制下において段階的に進んできた「開かれた皇室」の文脈にある。今上陛下は皇太子時代にテニスを通じて美智子皇后との関係を深められ、1991年の雲仙普賢岳噴火のときに避難所で膝をついてひとびとと語りあい、2011年の東日本大震災のときには直接ビデオメッセージを発した。これらが「開かれた皇室」の代表的な例だろう。もちろん今回の会見もそのひとつだと捉えられる。

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昭和天皇時代には見られなかったこの「開かれた皇室」においては、天皇の私的な側面がとくに支持されてきた。ときにそれはゴシップ報道を招くことになるが、それも「親しみやすさ」が強まった反映だ。実際、今上陛下になって以降は、国民の支持がさらに高くなっている(グラフ参照)。

しかし、天皇や皇族の私人としての側面を強めるものとして、この状況に強く反論する論者もいる。天皇の玄孫で保守派の論客のひとりである竹田恒泰さんもそのひとりだ。

古来、日本では「天皇に私なし」と言われてきた。同じ論理で皇族にも「私」はない。現在においても、天皇と皇族は著しく人権が制限されていて、およそ民間人が享受している基本的人権はないに等しい。(略)天皇や皇族は、何かの権利に基づいて「なる」ものではなく、その星の下に生まれた者の宿命として、粛々と「受け入れる」ものである。

そのような天皇や皇族に、民間人同様の人権を享受してもらおうとの考えは、ある種の危険を孕んでいると私は思う。この種の主張は「皇族も国民と同じ」という「平等主義」を前提としていて、ここから派生する「開かれた皇室」「親しみやすい皇室」などという甘い言葉の先にあるのは「皇室の弱体化」、ともすれば「皇室の廃絶」にもなりかねない。

出典:竹田恒泰「皇太子殿下の祈りは本物である──『山折論文』に反論する」『新潮45』2013年4月号

「個人として」「常に国民と共にある自覚」「残される家族」──今回の天皇陛下の会見は、こうした私的な側面、換言すれば「個人」としての思いを前面に出されたものだ。それを見て、二度目の「人間宣言」だと感じたひとも少なくなかったはずだ。その表明は、今上陛下が戦後築かれた「開かれた皇室」の先にあるものだったからだ。しかしそれは、3年前の竹田氏の意見などとは、完全に対立する内容である。

繰り返されてきた改正論議

今回の会見では、陛下が「象徴天皇」を強調したところも印象的だった。「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」とまで言い切った。しかし、皇族の未来には、多くの難題が待ち構えていることもたしかだ。

周知のとおり、現状の男系継承を続けていると、将来的に皇族が激減する。現在、皇族で男子が生まれたのは秋篠宮家のみだ。このままいけば、女性しか生まれていない皇太子家(次期天皇)、そして三笠宮家と高円宮家は、途絶えてしまう。天皇になることが予想される悠仁親王が将来結婚して、もし男の子供ができなければ皇族どころか天皇すら途絶えてしまう。

こうしたなか、この10数年で皇室典範の改正が二度も浮上しては消えていった。小泉政権や野田政権下で生じた女性天皇や女性宮家創設の議論とは、こうした皇族の未来を考えてのものだった。おそらく宮内庁からの要請もあったはずだ。それは未成年の愛子さまをはじめ、三笠宮家と高円宮家の4人の独身皇族女性が結婚しても、皇籍離脱することなくそのまま男性を迎えるアイディアだ。つまり婿養子である。

しかし、これに対し強く反対してきたのは、やはり安倍総理も含む日本会議など保守派の面々だった。2004年から05年にかけての皇室典範改正論議において、安倍総理は官房長官を務めていた。それが中断するきっかけとなったのは、紀子さまのご懐妊が判明したときだ。その記者会見において、安倍官房長官は官僚から渡された「法制化を粛々と進めていきたい」というメモを無視し、独断で「改正論議は凍結する」と答えた(※1)。

さらに二度目の総理になる10ヶ月前の2012年初頭、民主党政権下で野党の一議員だったときには、雑誌に女性宮家に強く反対する原稿を寄せている。

仮に女性宮家を認め、そこに生まれたお子様に皇位継承権を認めた場合、それは「女系」となり、これまでの天皇制の歴史とはまったく異質になってしまうのである。男児が生まれたとしても、それは天皇家の血筋ではなく、女性宮と結婚した男性の血統、ということになるからだ。(略)

私は、皇室の歴史と断絶した「女系天皇」には、明確に反対である。

出典:安倍晋三「安倍晋三 民主党に皇室典範改正は任せられない」『文藝春秋』2012年2月号

女系天皇とともにたびたび議論の俎上に載せられるのは、女性天皇の存在だ。しばしば指摘されるように、女系天皇と女性天皇の議論は異なりながらも、複合的に考える必要がある。そこでは以下の4つの可能性が導かれるからだ。

  1. 男系・男性天皇(現行)
  2. 男系・女性天皇
  3. 女系・男性天皇
  4. 女系・女性天皇

現行の皇室典範では1しか認められていないが、この2~4までを踏まえて改正を議論しようとするものである。

そこでは保守派の間でも議論は分かれる。安倍総理や日本会議のように、現行の男系・男性天皇しか認めない“厳格派”も多いが、NHKニュースなどにもしばしば登場する法学者の所功氏のように、女性宮家に賛同する“柔軟派”もいる。つまり、保守派の間でも意見が異なっている。

厳格派にも対案がないわけではない。それは、戦後すぐに皇籍離脱した11宮家のうち、現在も存続している6宮家の皇籍復活である。かつて安倍総理も、以下のように具体的に話している。

後継者がなく絶家になったところもあるが、少なくとも賀陽家や東久邇家、竹田家などには男子がいらっしゃる。しかもこの方々は、いずれも父方をたどれば天皇家に連なる、歴とした「男系男子」なのだ。(※2──引用者)

出典:安倍晋三「安倍晋三 民主党に皇室典範改正は任せられない」『文藝春秋』2012年2月号

「民主党に皇室典範改正は任せられない」と言っているように、安倍総理も本来的には改正議論が必要だと考えていた。実際、皇室典範改正についてチームが存在することを菅官房長官は認めた。おそらくそれは旧宮家の皇籍復活案である。しかし、生前退位についてはまったくの想定外だったはずだ。

保守派に不都合な「おことば」

過去三代の天皇とは異なる今上陛下の姿勢については、保守派はある程度は承知していたことは間違いない。なぜなら、過去にも独自の姿勢は見られていたからだ。たとえば、7年前の結婚50年の記者会見では以下のように話されている。

象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています。なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。

出典:宮内庁「天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して」(2009年4月8日)

今回の天皇陛下の「おことば」も、こうした姿勢の延長線上にある。これまで以上に象徴天皇であることが強調され、そもそもあのような国民に向けて会見をすることが異例だった。これまでのことを考えると、保守派はかなり困惑していると推測できる。明治時代への回帰を期待する彼らには、非常に不都合なものであるのは間違いない。

今後のシナリオとしては、官邸が有識者会議を設置し、それを受けて来年から国会で審議入りする流れが予想される。

このとき注目されるのは、まずこの有識者会議のメンバーに誰が選ばれるのかということだ。女性天皇および女性宮家創設を検討した2004~05年の有識者会議に対して、安倍総理はその人選について強い不満を見せていた(※3)。

また、第3次安倍再改造内閣の閣僚のうち、75%が所属する日本会議の対応も注目される。今回の天皇陛下の会見前には『週刊文春』で「天皇生前退位に『日本会議』が猛反発」と報じられたが、いまのところ組織としてはそれを否定している。

なお、日本会議は「確証ある情報を得た時点で、改めて本会としての見解を表明することを検討する」としているので(※4)、おそらく近日中にはなんらかの声明が出されるはずだ。

一方、国民にもさらなる議論が必要とされるだろう。「国民統合の象徴」とは、換言すれば「民主主義国家の象徴」だ。つまり、生前退位だけではなく、今後の天皇制について幅広い視野で議論していく民主主義的手続きこそが、天皇の象徴性を強く意味するのである。

※1……安倍晋三「安倍晋三 民主党に皇室典範改正は任せられない」『文藝春秋』2012年2月号。

※2……この竹田家の男子とは、前出の竹田恒泰氏のことである。

※3……安倍晋三同前。

※4……日本会議ホームページ「いわゆる『生前退位』問題に関する日本会議の立場について」(2016年8月4日)

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ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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