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長野県で「淫(いん)行」が処罰されるようになるのか

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士

現在、長野県をのぞくすべての都道府県で、青少年に対する有害図書や有害広告物等の規制、淫(みだ)らな性行為(淫[いん]行)やわいせつ行為の処罰などを主な規制内容とする青少年健全育成条例が設けられています。違反に対しては最終的に刑罰が適用されます。

そのような中で、長野県では伝統的に、条例による処罰に頼らずに、青少年の自主性を尊重し、住民一丸となって青少年を守るという姿勢が貫かれてきました。今、その長野県で、青少年にとっての「有害環境」を浄化し、淫行を処罰する条例を制定するかどうかの議論が煮詰まってきています。

性に対する規制、特に刑罰を背景として青少年の性を規制するということについて、どのように考えればよいのでしょうか。

[朝日新聞]育成条例、揺れる長野 唯一ない県、淫行処罰巡り議論

■淫行規制

多くの青少年健全育成条例では、18歳未満の青少年に対する「淫行」または「みだらな性行為」を禁止し、違反者を処罰していいます。適用される刑罰は、条例によってさまざまですが、条例で設けることができる上限いっぱいの2年の懲役刑を規定しているものがほとんどです。

淫行を処罰すべきだという意見は、確かに説得力をもっています。もはや古い言葉となりましたが、「援助交際」は、きれいな言葉を使っても、実態は売買春であり、青少年の性的行為に金銭が絡んでくれば児童買春となり、児童買春・児童ポルノ処罰法で重く処罰されます。「買春」という言葉は、従来からの「売春」に対して「買う側」の問題性を強調した言葉です。しかし、金銭の絡まない「淫行」を処罰すべきかとなると、無条件にその通りだともいえない複雑な問題があります。

まず、「淫行」なる概念のあいまいさ。「みだらな性行為」「不純な性行為」と言い換えてもこれは同じことです。新聞報道などから実際の運用状況を察しますと、はたしてこれが「犯罪」なのだろうかと疑問に思えるものも多く、青少年の性を否定的にとらえ、淫行という大きな網をかぶせることによって、冷静に考えれば処罰しなくてもよいような青少年の恋愛まで処罰しているのではないかと思われるフシもあります。

最高裁は、「淫行」とは、青少年に対する性行為一般を指すのではなく、青少年を誘惑したり、おどすなどする不当な手段による性交または性的類似行為のほか、青少年を単に自己の性欲の対象として扱っているとしか認められないような性交または性交類似行為を意味する、としています(最高裁昭和60年10月23日判決)。刑罰法規は、直接に国民の行動を制約するものですから、可能な限り明確でなければなりませんが、最終的には裁判所の解釈を通じて明らかにされるものです。最高裁のような解釈から、「淫行」という言葉で具体的に処罰される行為が明確にイメージできるかは問題です。

刑法では、強姦罪や強制わいせつ罪について、少なくとも13歳以上の女性についてその性的な同意を有効としています(刑法176条、177条)。淫行条例は青少年の性的自己決定を原則否定するところに成り立つものですから、刑法との整合性を考慮して、処罰される対象を厳格にセレクトすべきではないでしょうか。青少年の保護という観点からは、むしろ刑法における性的同意年齢の低さこそを議論すべきではないかと思います。

■性の統制について

性を規制する場合、対象がだれであれ一律にすべての者に対して制限される場合と対象を限定して規制される場合とがあります。その違いを説明するものとしては2つの考え方があります。1つは「侵害原理」と呼ばれるものであって、特定の個人の行動が(社会全体の利益を含めて)他者の利益を侵害したり、または侵害するおそれがある場合、その侵害または侵害の危険に対処するために、その特定個人の行動に一定の制約を課すことができるとするものです。もう1つは「保護原理」であり、他者に対する侵害ではなく、本人自身のためを思って、その者の利益のために、その者の自由を制限できるという考え方です。「侵害原理」そのものは明快であり、問題は少ないですが、「保護原理」の場合は、場合によっては大きなお世話になる場合もあり複雑な問題となってきます。

たとえば、ポルノが刑法175条の「わいせつ図画」と判断されれば、大人と青少年の区別なくすべて禁止の対象となりますが、青少年健全育成条例では青少年に対する「有害図書」ならば青少年だけに対する販売や閲覧などを規制することができます。しかし、タバコを吸った中高校生を、先生がタバコを吸いながら説教しても効き目は薄いように、成人では許されていることでも、青少年では禁止してもよいというその境界線の引き方が難しいわけです。

売春にしてもそうです。「人殺しのどこがいけないのか」に比べると、「金で身体を売ることのどこがいけないのか」は、かなり複雑な問いです。その答えは必ずしも自明ではありません。自らの性を金で売ること自体の道徳性と女性たちがこうむるさまざまな精神的肉体的被害、それに女性を買い、売らせる側の問題性が含まれています。少なくとも第2第3の問題性については、悪だと断言することはできますが、第1の問題性について単純に答えを出すことは難しいでしょう。売春防止法も、売春させる行為や売春を助長する行為について処罰するのみで、売買春そのものについては当事者に対する処罰規定を欠いています。いくらお金が絡んでも成人間では(違法だけど)処罰されない性交渉。それが18歳未満対象ならば、お金が絡んでも絡まなくても禁止されるのか、すべてを納得させるだけの理由を見つけることは難しいのです。

■あふれる性情報

性情報が街にあふれ、性に接するチャンネルが多様化した現代では、少年少女たちはダイレクトに(大人の)性に接触していきます。確かにそれは好ましくはないでしょう。しかし、現在では生理的な性的成熟年齢と社会的に許される性的年齢との間に、数年ほどのギャップが生じています。そのギャップをどうするか。

青少年に対する性教育の重要性は言うまでもないことですが、健全育成条例は、青少年の性的自己決定権を否定的にとらえ、刑罰を背景にして「保護原理」を貫こうとするものです。街の浄化をうたい、有害環境を一掃しても、少年少女たちの性は、ますます見えにくくなるばかりではないでしょうか。そもそも刑罰を使ってまでも禁圧しようとする有害環境、有害行為とは、どのような環境であり、行為なのでしょうか。ピンサロ、ソープランド、ラブホテル、デリヘル、個室ビデオ。セックス天国における青少年健全育成条例の問題は、その出発点からして不透明なのです。

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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