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ろくでなし子被告に一部無罪判決

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:ロイター/アフロ)

■ろくでなし子被告に一部無罪

本日、刑法175条(わいせつ物頒布等)に違反したとして起訴されていた、ろくでなし子被告に、東京地裁は一部無罪の判決を言渡しました。

(わいせつ物頒布等)

第175条  わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役若しくは250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

2  有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。

彼女が起訴されていた事実は3つありました。

  1. 女性向けのアダルトショップ(原則、男性は入店禁止)で女性器をかたどった石膏の作品(「デコまん」)を展示した。
  2. 自らの性器を3Dスキャンし、そのデータをダウンロードできるURLをメールで送信した。
  3. 上の3Dデータを記録したCD-Rを郵送した。

これらの起訴事実に対して、裁判所は、石膏の作品は刑法175条のわいせつ物に当たらないが、3Dデータはわいせつ電磁的記録およびわいせつ電磁的記録媒体に該当するとしました(罰金40万円、求刑は80万円)。

判決は、「作品」や3Dデータがわいせつ物にあたるかを検討。「作品」については着色や装飾がされているため、「ただちに女性器を連想させない」と指摘。「ポップアートの一種ととらえることは可能で、芸術性、思想性によって性的刺激が緩和されている」として、わいせつ物にはあたらないと判断した。

一方、3Dデータについては、「女性器の形状を立体的、忠実に再現している」としてわいせつ物にあたると認めた。

出典:朝日新聞DIGITAL(2016年5月9日13時56分)

■石膏作品はセーフで、3Dデータはアウト。その差は?

弁護側の冒頭陳述によると、問題の石膏作品は、全体が白色で、かなりのデコレーションが施されていたようです。その点で、作品じたいからただちに女性器を連想させるようなものにはなっていなかったと思われます。

これに対して、3Dデータの方は、スキャンされたデータですから、女性器の外観、形状をおそらく忠実になぞったものだったのではないかと思われます。それを3Dプリンタで再生した場合に、忠実に女性器の形状が再現されるかどうかはプリンタの性能に依存するものであり、かりに性能の低いプリンタで再現した場合には粗雑な形状でしか再現されないとしても、その点は本質的な問題ではないと思います。DVDでも、テレビや再生機によって画質が影響を受けるのと同じです。

したがって、この点に関する裁判所の判断の違いは事実認定の差であって、とくに疑問を呈すべきものはないように思います。

■芸術性とわいせつ性

芸術性とわいせつ性に関しては、以前は裁判所は非常にかたくなな態度をとっていました。有名な〈チャタレイ事件判決〉(昭和32年)では、芸術性とわいせつ性は別次元の問題であり、いかに芸術性が高い作品であってもわいせつなものはあるとし、芸術的価値によってわいせつ性は影響を受けることはないとしていたのでした。

ところが、さすがにこのような高圧的な考えに対しては批判が強く、その後の、〈悪徳の栄え事件判決〉(昭和44年)や〈四畳半襖(ふすま)の下張り事件判決〉(昭和55年)などでは、芸術性や社会的な価値によってはわいせつ性が減少することがあるということを認めるようになりました。

本件でも、石膏作品については芸術性・思想性が肯定され、その点もわいせつ性を否定する根拠の一つとなっています。

ただ、そのような発想が妥当か否かは別の問題であって、私は、裁判所が作品の芸術性を議論し、社会的価値を判定することは、国家の意思に芸術や文芸などの表現活動を依存させることであって、表現の自由にとってはかえってマイナスになりはしないかという点を懸念します。

■性表現の何が問題なのか?

やはり、問題の根本は、性表現の何が問題なのかという点です。

確かに、露骨な性表現が多くの人びとに不快感を与え、見たくもない人が性器の直接的な描写を無理やり見せられたりすることや、性器の俗称を聞かされたり、読まされたりすることは、人によってはしゅう恥心や自尊心を大いに傷つけられる場合のあることは間違いありません。しかし、わいせつの裁判では、そのような〈個人の感情的被害〉が問題になっているのではありません。もしもそうならば、見たい人に見せるのは一向に構わないということになります。

では、裁判所は何を問題にしているのでしょうか。

裁判所は、およそ日本のこの社会において、性器や性行為の露骨で直接的な表現、あるいはそのような表現物が流通しているということじたいがダメだと言っているのです。つまり、そのような性表現に直接接することがなくとも、そのようなものが〈この社会に存在していること〉について不快感や嫌悪感をもつ人たちがいて、その人たちの〈仮想的な感情〉を裁判所は問題としています。

〈チャタレイ事件判決〉は、わいせつ性はもっぱら価値判断(法的判断)であって事実認定の問題ではないから、実際にそれを見た人がどう感じたかは問題ではないとされましたが、このような表現の中にもその発想はうかがえます。

わいせつは、〈いたずらに性欲を刺激・興奮させ、普通人の性的しゅう恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの〉と、判例によって伝統的に定義されてきましたが、この定義で重要な部分は最後の〈善良な性的道義観念に反する〉という点であり、〈刑法は道徳を守る最後の砦だ〉という発想です。

弁護側は、インターネットでごく普通に無修正のポルノ画像を見ることができるのに、そもそも本件のような事案を処罰する必要があるのかということを主張したようですが、裁判所は、そのような状態だからこそわが国の善良な性風俗を守らなければならないと述べて、この点を特に強調しています。

ただ、わいせつは賭博とともに〈被害者のない犯罪〉と呼ばれていて、道徳を守るために刑罰を使用することは控えるべきではないかという考えも強く主張されています。

■本判決の従来の判例の中での位置づけ

芸術性がわいせつ性を減少させることがあるとした点、そして、露骨な性器表現は道徳的な秩序に反するがゆえに厳格に取り締まられるべきであるとした点では、従来の最高裁の判断を超えるものではありません。

石膏作品のわいせつ性が否定されたのは、事実認定のレベルで〈あのような作品はわいせつではない〉と判断されたからであって、裁判所のわいせつについての考えに変更があったのではありません。

ただ、本件では、3Dデータのわいせつ性を認めたという点で目新しいものを含んでいます。3Dプリンタについては、無限の社会的有用性を含んでいるわけですが、他方で、3Dプリンタで拳銃を製造する事件があったように、その悪用についても予想がつかないものがあります。わいせつについても、将来的には、たとえばポルノ女優の性器データなどを販売したりする事案も出てくるかもしれません。3Dプリンタについての、そのような〈乱れた〉使用の可能性に警鐘を鳴らす意味もあるのかもしれません。(了)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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