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“自分は負けていない” 〜チャーリー太田と八王子中屋ジムの挑戦 #2

杉浦大介スポーツライター

悪夢のキャンセルの後で

「またキャンセルなんて、最初は冗談を言われているのかと思った。自分の仕事を辞めてまで今度の一戦に備えて来たのに・・・・・・」

3月1日、本来は自身が立つはずだったフォックスウッズ・カジノのリングを眺めたチャーリー太田は、2週連続で計量当日に試合キャンセルという悪夢のような事態が依然として信じられないかのような口調で語った。

対戦相手のブランドン・バウイが辞退した理由を詳しく聴くと、「ミズーリ州を襲ったストームの影響で現地での職を離れられなくなったため」。

日本人には理解し難いかもしれないが、個人的な事情での直前キャンセルはアメリカでは珍しい話ではない。バウイの仕事内容は不明のままだが、おそらくはそれを投げ打ってまで臨みたいと思わせるだけの魅力がこの試合にはなかったということ。そんな事実は、現時点でのチャーリーのアメリカでの商品価値を物語っていると言えるかもしれない。

WBA、WBCといった世界タイトル認定団体の権威、価値すら下がる一方の現状で、世界ランカー、東洋太平洋王者といった肩書きもかつてほど大きな意味は持たない。アメリカの舞台で生き残れるのは、タイトルの有無に関わらず、強く、魅力的で、客を呼べるボクサー。

チャーリーと八王子中屋ジムももちろんそんな現実を理解している。そもそも今回の滞在中に組まれた幻の2試合は、アメリカ産の東洋王者の商品価値を一気に引き上げるためのファイトだったのだ。

小さくないダメージ

「モチベーションを保つのは簡単なことじゃないよ。こうやって試合ができなかったらお金も入って来ない。家族のこと、健康のことなど、いろいろなことを考えて行かなければいけないと思った」

チャーリーがそう落胆したのも無理もない。最悪だったのはキャンセルが発覚したのが2度とも計量当日だったことで、おかげで2週続けてギリギリまで減量に励むことを余儀なくされた。

リングに立てず、故郷の友人や家族と食事にも行けず。今回のチャーリーのアメリカ滞在は、能力を誇示する機会もないまま、ひたすらに体重をコントロールするだけで終わってしまったと言って良い。

八王子中屋ジムにとっても、様々な意味でダメージは大きかったはずだ。一生プロモーターと利隆トレーナーは滞在期間を大幅に延長し、試合実現とチャーリーの勝利のために奔走した。しかし、結局は波乱の多いボクシング界でもほとんど前代未聞に思える2週連続直前キャンセルという事態になり、金銭、時間を浪費する結果に終わった。 

将来が失われたわけではない

近くで見れば見るほど、ボクシングとは個人競技ではないと気付かされる。1試合を実現させるために多くの人間が様々な形で動き、そのすべてを背負ってボクサーはリングに立つ。ライターの仕事がパソコンに向かう前にほぼ終わっているのと似たような意味で、リングに上がる前にほとんど勝負は決まっている。

しかし、ボクサーと陣営がどれだけ万全の準備をして臨んでも、相手がリングに上がって来てくれなかったとすればどうすれば良いのか・・・・・・?

もっとも、今回の件が今後にまったく繋がらないとは思わない。

ディベラ・エンターテイメント(DBE)のマッチメーカーですらも「まさかこんなことになるなんて」と頭を抱えたアクシデントの連続。もちろんプロモーター側の責任ではないのだが、それでもルー・ディベラ・プロモーターとそのチームには“チャーリーに貸しを作ってしまった”という想いがあるはずだ。

「申し訳ない気持ちで一杯だよ。彼らが今回の試合にどれだけ懸けていたかは分かっているつもりだからね。チャーリーは4月に日本で試合予定があるから、この後すぐにどうこうはできないし・・・・・・」

チャーリー抜きで行なわれた3月1日の興行の最中、まるで中屋ジム陣営に伝わることを望むかのように、DBEのマッチメーカーは筆者のすぐ近くで他の関係者とそう話し続けていた。

DBEの負い目と中屋ジム側の積極的な姿勢を考えれば、遅かれ早かれ、チャーリーに再びのチャンスが巡ってくる可能性は高いのではないか。そして、今回の一件の後で、次の試合の際にはそれなりの条件も用意されることだろう。

“自分は負けていない”

チャーリーの中でも、収穫はゼロではなかったようである。“残念な結果に終わった中でも、今回の滞在中に得たものはあったのか”と訊くと、しばらく考えた後で、こんな答えを返して来た。

「自分が本場でも全然負けていないと分かった。ニューヨークのジムで練習の際にも良い選手はいたけど、自分が劣っていると思うようなボクサーには逢わなかった。これまでアメリカには強い選手がたくさんいると周囲に言われ続けてきたけど、“準備はできているんだ”と改めて自信を持つことができた」

3月1日の興行の際には普段の朗らかで優しい素顔に戻っていたチャンピオンは、さらにこう付け加えている。

「今回は多くの人をがっかりさせてしまったけど、周囲の人にも諦めないで欲しい。今は少しモチベーションが下がってしまったけど、また盛り上げて行くつもりだ。今後も応援して欲しいね」

まずは4月6日に座間基地で予定される東洋太平洋タイトルの防衛戦に向けて、再び心身のコンディションを整えて行かなければならない。そしておそらくはその後、チャーリー太田はまたアメリカのリングに戻って来る。

まるで運命に翻弄されるような混沌の時間を経て、アメリカ生まれの元日本王者は真の意味での“世界”に少しでも近づいたのかどうか。明日の読めない業界の洗礼を受けるような厳しい日々は、今後に何らかの形で生きて来るのか。

すべての答えを出すべく勝負の瞬間は、遠からずやって来る。

再び、ニューヨークで。

スポーツライター

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している

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