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ロベルト・デュランの伝記映画「石の拳」の見どころはやはり“ノー・マス事件”の真相

杉浦大介スポーツライター
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(ネタバレ注意/「石の拳」の登場人物の詳しい情報、エピソードなどを知りたくない方は読むのはお止め下さい)

伝説のボクサーの映画

数年前から話題に上っていたロベルト・デュランの伝記映画「石の拳(Hands of Stone)」がついに8月26日から全米公開された。

原作はアメリカ人のクリスチャン・ジューディージェイが著し、筆者が日本語訳して日本でも2013年に発売された「ロベルト・デュラン "石の拳" 一代記」。この本と同じく、デュランのハングリーな生い立ちから始まり、パナマの歴史的英雄になるまでが小気味よく描かれている。

前半部分では、妻フェリシダード、名トレーナーのレイ・アーセルとの出会いが印象的。最近のボクシング映画の例に倣い、試合のシーンにもリアリティと迫力がある。キャストの好演も目立ち、中でもアーセルを演じるデニーロ、シュガー・レイ・レナード役のアッシャーが特によい。

そして、この映画で特に印象的なのは、やはりシュガー・レイ・レナードとの再戦での“ノー・マス事件”が実によく掘り下げられていることだ。

1980年6月、デュランは米スポーツ界の象徴的存在だったレナードを下し、母国はおろか世界ボクシングのヒーローになった。しかし、その5ヶ月後のリターンマッチでは第8ラウンド途中に突如として試合放棄してしまう。

デュランはいったいなぜ戦うのをやめたのか。その時に本人が残したとされる“ノー・マス(英語のno more=もうたくさんだ)”という言葉とともに、この出来事はボクシング史上に残る謎として記憶されている。

デュランはなぜ”ノー・マス”と言ったのか

今作ではその”ノー・マス事件”に、この映画なりの結論に近いものが提示されているように思える。レナード第1戦後、「最高の勝利をしばらく楽しませてやれ」というアーセルと、即座の再戦を焦るマネージャーが対立。この2人が激論する場面はボクシングファン必見の見せ場になっている。

原作でも当然のように“ノー・マス事件”に大きなスペースが割かれているが、その中でマネージャーのカルロス・エレタが残した以下の言葉は真実味をもって響く。

「直後に再戦を決めたのは、デュランが第1戦後にすぐに飲酒を始めたから。このままでは2線級にも負けてしまうと思ったんだ」「ロベルトはもう制御がきかなくなっていた。レナードと再戦しなくても、誰か他の選手に負けていただろう」

レナード第1戦に勝利後、“我が世の春”を謳歌していたデュラン。再び戦う準備が整うのを待つのではなく、2線級に負けて商品価値を落とす前に、陣営は手っ取り早く大金が手に入る再戦を組んだ。ほとんど“換金”と呼べるマネージャーの動きは、現代まで通じるボクシングビジネスのからくりを見るようでもある。

そして、今作で描かれている通り、レナード第2戦前、早期再戦をセットしたエレタにデュランが強烈な嫌悪感を示していたとすれば・・・・・・自身のキャリアに永遠に陰を落とす”試合投げ”の背後には、目先の金に飛びつくマネージャーへのレジスタンスの意図も少なからずあったのかもしれない。

現実に即したストーリー展開

この“ノー・マス事件”の掘り下げは良いが、今作は名作映画とまでは言えない。「レイジングブル」「ロッキー」といった歴史的なボクシング映画はおろか、「シンデレラマン」「クリード」のような比較的最近のヒット作にも及ぶまい。

パナマの政情のエピソードまで盛り込んだため、前半部分はまるでハイライトのように展開が早い。デュランの破天荒な振る舞い、アメリカへの嫌悪の根拠も描き方が甘く、ボヘミアンのチャフラン、デュランの実の父親のような鍵になる人物の描写も浅い。

おかげで感情移入するのに少々時間がかかり、パナマボクシング史上最大の勝利であるレナード第1戦のインパクトも伝えきれていないのが残念なところだ。

また、“ノー・マス事件”のインパクトが大きいため、クライマックスのファイトもやや影が薄い。“台頭、挫折、再生”という流れは映画ストーリーの王道だが、今作では“挫折”の部分が最も目立つ結果になっている。

ただ、それはそのまま、デュランのキャリアの悲劇的な部分を表しているのかもしれない。本人は言ったことすら否定している“ノー・マス”は、ボクシング史上でも最も有名なセリフの1つになり、デュランの代名詞的な一言になってしまった。

デュランは紛れもなく史上最高級のボクサーでありながら、この1敗とそれに付随するストーリーが何より特筆される結果になっている。そういった意味では、観ているものにやや消化不良を感じさせる映画「石の拳」の流れには、リアリティがあるという言い方もできるのだろう。

スポーツライター

東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『日本経済新聞』『スポーツニッポン』『スポーツナビ』『スポルティーバ』『Number』『スポーツ・コミュニケーションズ』『スラッガー』『ダンクシュート』『ボクシングマガジン』等の多数の媒体に記事、コラムを寄稿している

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