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さらば日本育ちの世界戦。 トヨタ杯&クラブW杯の歴代ベスト3試合

杉山茂樹スポーツライター

クラブW杯。その前身は、欧州王者と南米王者が対戦する通称トヨタカップ、正式にはトヨタヨーロッパ/サウスアメリカカップだった。

クラブW杯は2009年以降、日本開催は2年空ける飛び飛びのパターンになったが、この大会はトヨタカップとして第1回を開催した1981年以降、日本にすっかり根を下ろした恒例行事として定着してきた。個人的な話をすれば、欠席したのは1回のみ。その冬の風物詩とも言うべきイベントが今後、観戦のカレンダーから消えようとしている。

来年の舞台はUAE(アラブ首長国連邦)。それ以降は冠スポンサーであるアリババのお膝元、中国で開催される公算が大きいという。日本開催の今後の目処は立っていない。

今回が最後。18日に行なわれる決勝戦は、見納めの試合になる可能性が高い。そのピッチに鹿島アントラーズが日本のクラブチームとして初めて立つことは、最終回を飾るにふさわしい出来事と言えなくもない。だが、この大会は、国内で世界のトップレベルの真剣勝負が堪能できる唯一の大会だ。世界の超一流を直に”鑑賞”する舞台として、この30数年間、定義づけられてきた。日本サッカーの方向性を論じる上でも、貴重な役割を果たしてきた。

その定義づけは、最後になって崩れた。鹿島の決勝進出によって、皮肉にも。そうした見方もできる。つい、もの懐かしさに襲われる。そのありがたみを痛感する。トヨタカップとして始まった、これまで繰り広げられてきたいくつかの試合が走馬燈のように蘇るのだ。というわけで、ここでは個人的に印象深い試合を3つ挙げ、懐かしんでみることにしたい。

一つ目はトヨタカップ第6回(1985年)大会。ユベントス(イタリア)対アルヘンティノス・ジュニアーズ(アルゼンチン)だ。第1回目から5回目まで南米勢がすべて優勝。欧州勢より、南米勢の方がこの大会に懸ける意気込みが高い。当時、よくそう言われたものだが、なにより目に止まったのは技術力。それがそのまま結果となって現れていた。

そこに登場したのがユベントス。延長PK戦勝ちながら、それまでの欧州勢に欠けていた華麗な技を随所に発揮した。中心人物は背番号10。ミシェル・プラティニだった。一番の見せ場は、アルヘンティノス・ジュニアーズに先制されるも、自らのPKで同点とした後。胸トラップ。そして右足でリフティングした後、クルッとターンし、浮き球を鮮やかな左足ボレーで叩き込んだシーンだ。しかし、判定はオフサイド。現在のルールならゴールが認められる微妙な裁定に、ピッチに寝そべって、「それはないぜ」のポーズをとるプラティニ。その姿がまた様になっていた。

ユベントスはその後、1-2とリードされるも、プラティニがまた見せ場を作った。ボールを受けるや右足インサイドで、これ以上は望めないという切れ味鋭いラストパスをミカエル・ラウドルップに送球。同点弾をアシストしたプレーも、脳裏に焼き付いたままだ。

10番全盛の時代。第2回大会で、フラメンゴ(ブラジル)の10番として出場したジーコが、3点すべてに絡む活躍を見せたことも忘れ得ぬ思い出だ。

その流れを変えるきっかけを作った選手が、ミラン(イタリア)のマルコ・ファンバステン。大会2連覇を狙った第11回(1990年)大会、対オリンピア・ナシオナル(コロンビア)との一戦で見せたループシュートこそが、忘れられないシーンになる。ファンバステンは、その2年前の欧州選手権で大活躍。決勝のソ連戦で見せた右足のドライブシュートは、サッカー史に燦然と輝くナンバーワンゴールとして認知されるが、トヨタカップでも万能型ストライカーとしての魅力をいかんなく発揮。見るものを唸らせた。

そのループシュートがポストに跳ね返されるところを詰めたのがフランク・ライカールト。彼はヘディングで先制点も挙げていたので、2ゴールの活躍だった。また、そのライカールトのヘディングをアシストしたルート・フリットもドレッドロックヘアを振り乱しながら、スター性を発揮した。

このオランダ代表3人組には、現在のバルセロナ(スペイン)のMSN(リオネル・メッシ、ルイス・スアレス、ネイマール)と同等、あるいは迫力という点では、それ以上の力があった。ミランは、チャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)で2連覇(88~89、89~90)を飾ると同時に、トヨタカップでも2連覇を飾ったが、いずれの大会でも、以降、2連覇チームは現れていない。

また、このときのミランは、オランダの3人組だけでなく、サッカーそのものも画期的だった。監督アリゴ・サッキが掲げたプレッシングサッカーだ。まさに現代のサッカーの礎を築いたスーパーチーム。忘れることはできないのだ。

最後の一つは、バルサがサントス(ブラジル)に4-0で大勝したクラブW杯2011年大会の決勝だ。その攻撃的なサッカーが、4-3-2-1の守備的サッカーを敷くサントスを、完膚なきまでに叩きのめした。バルサを率いたジョゼップ・グアルディオラ監督のサッカーが大輪の花を咲かせた試合として位置づけられる。

監督に就任すると、4-3-3で戦ってきたグアルディオラだが、時が進むにつれメッシの0トップ型に移行。さらにこの大会では、それを中盤ダイヤモンド型3-4-3に落とし込む布陣を披露。71対29という圧倒的なボール支配率を生み出す原動力として機能させた。

4-0というスコア以上の大勝。サッカー王国ブラジルにとっては屈辱的な敗退劇だった。ブラジルのクラブが欧州勢に一方的な支配を許す姿に、この大会をトヨタカップのスタート時から追いかけてきた人は、隔世の感を抱いたはず。ジーコ率いるフラメンゴがリバプールに大勝した2回(1981年)大会当時、サッカーの神様ペレを生んだサントスのこの哀れな姿を、想像する者は皆無だったろう。欧州と南米との間に存在するサッカーの質の差が鮮明となった。進化が止まらない欧州サッカーの真髄を、グアルディオラの采配に見た試合。バルサ人気を決定づけた一戦になった。

サッカーの近代史を語る上で欠かすことができないイベント。そんな大きなテーマを抱えたクラブW杯とナマで接する機会が今回で最後になるとすれば、それはとても残念なことだ。日本サッカーの停滞につながらないことを祈るばかりである。

(初出 集英社WebSportiva 12月17日掲載)

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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