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そもそも名前の読み方は? 大迫勇也の新天地、「1860ミュンヘン」とはどんなクラブか

杉山孝フリーランス・ライター/編集者/翻訳家
ドルトムントを破った時代も、今は昔

サッカー日本代表FW大迫勇也が、Jリーグ1部(J1)の鹿島アントラーズからドイツ・ブンデスリーガ2部の1860ミュンヘンへと移籍することが決まった。その新天地、果たしてどんなクラブなのだろうか。

「バイエルンじゃない方」のクラブ

ドイツ南部の大都市ミュンヘンの中心、仕掛け時計が見下ろす美しいマリエン広場は人々でにぎわう。その少し東、落ち着きを増した小さな通りに、1860ミュンヘンのファンショップがひっそりとたたずんでいる。斜向かいには、同じ街のライバルであるバイエルン・ミュンヘンのショップもある。いや、「バイエルンの斜向かいには1860のショップもある」というのが世界の大多数の見方だろう。

昨年10月、その店で土産を物色していると、70歳近いと思われる店のオヤジさんが「ウサミがいたのは、向こうのクラブだぞ」とばかりに怪訝な視線を寄越してきた。通りで目にする観光客が手にさげるのは、赤と白のバイエルンの買い物袋ばかり。だが、水色で占められた1860ミュンヘンの狭い店内には老若男女、地元の人が入れ替わり立ち代わり訪れる。

買い物袋どころか、1860ミュンヘンのグッズを身につけている観光客など、街中では見かけない。実際、ミュンヘン空港ではパスポートコントロールの職員にこう聞かれた。「どうしてゼヒツィヒのシャツなんぞ着ているんだい?」。

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日本人選手が多くプレイするようになり、ブンデスリーガの人気は日本でも飛躍的に高まった。中でも、昨季ドイツのクラブとして史上初のブンデスリーガ、DFBポカール(ドイツカップ)、チャンピオンズリーグの3冠を達成したバイエルン・ミュンヘンの名は頻繁にニュースにも登場し、海外サッカーファン以外にも広く名を知られていることだろう。

今回、大迫が移籍するのは「もう一つの」ミュンヘンである。現在の情勢からは、「バイエルンじゃない方」と言わざるを得ないチームだ。

この10シーズンは2部暮らし

TSV1860ミュンヘン、通称「ゼヒツィヒ」。名前から分かる通り、創設は1860年にさかのぼる。栄えあるブンデスリーガ創立メンバーの一つでもある。「ゼヒツィヒ(Sechzig)」とは、ドイツ語で「60」。呼称の理由も、大変分かりやすい。

リーグ優勝回数は、バイエルンの国内最多の23回には遠く及ばないが、1966年に1度だけ経験している。DFBポカールは2度優勝しているが、こちらもバイエルンの16回には随分と水を開けられている。

2000年代も2003-04シーズンまでは1部リーグで踏ん張っていたが、以降はずっと2部リーグから這い上がれない。つまり、この10年の間、2部で苦しんでいるのだ。

チームはそのエンブレム、そして愛称でもあるレーヴェ(獅子)のごとく、懸命に戦っている。だが、今季もリーグ全34節の半分を越える第19節まで戦い、8勝4分け7敗の勝ち点28で8位にとどまっている。1部16位とのプレイオフに進出する3位に現在座るカイザースラウテルンとは勝ち点3差だが、10位のフォルトゥナ・デュッセルドルフとも3ポイントしか差がない。つまり、かなりの混戦の只中にいるということだ。

泣き所は得点力。今季はチーム全体で19試合で18得点しか奪えていない。リーグ最少得点のクラブが17得点なのだから、それでも中位にいるのが不思議なくらいだ(17得点が1チーム、18得点が4チーム)。

中盤の背番号10のモリツ・シュトッペルカンプが5得点、同じくMFのドミニク・シュタールが4得点しているが、4-1-4-1のフォーメーションで1トップを務めるベンヤミン・ラウトは今季2得点にとどまっている。下部組織で育ったラウトは、ハンブルガーSVやシュトゥットガルト、ハノーファーといったクラブを渡り歩いてきた32歳 。チームが求めるのは彼の後継者となり得る選手であり、だからこそフリードヘルム・フンケル監督も「彼(大迫)は、まさに私が求めている選手だ」と発言したのだ。

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これまでは、ミュンヘン空港でなぜ1860ミュンヘンのシャツを着ているか問われた東洋人は、こう答えなければならなかった。

「ゼヒツィヒは偉大なクラブだ。15年前、ボルシア・ドルトムントを3-0で倒すのをオリンピアシュタディオンで見た。前の年にインターコンチネンタルカップを獲っていたチームとの対戦だぞ!」

そして、「大昔の話だね」と返されて、隣の窓口で働いている同僚にも苦笑されるのだ。

そんなアジア人と「バイエルンじゃない方のクラブ」のミュンヘンでの“待遇改善”は、大迫の活躍に懸かっている。

フリーランス・ライター/編集者/翻訳家

1975年生まれ。新聞社で少年サッカーから高校ラグビー、決勝含む日韓W杯、中村俊輔の国外挑戦までと、サッカーをメインにみっちりスポーツを取材。サッカー専門誌編集部を経て09年に独立。同時にGoal.com日本版編集長を約3年務め、同サイトの日本での人気確立・発展に尽力。現在はライター・編集者・翻訳家としてサッカーとスポーツ、その周辺を追い続ける。

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