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「銀行員Jリーガー」の、世界で最も幸せなラストゲーム

杉山孝フリーランス・ライター/編集者/翻訳家

まるで映画のような、出来過ぎたサッカーの試合が、福島の地で生まれた。主役は「銀行員Jリーガー」だ。

「このまま終わるかなと思った」キャリアと最終戦

アディショナルタイムに入り、電光掲示板のデジタル時計が消えた瞬間だった。福島ユナイテッド(以下、福島U)のゴール前へ、相手の執念がこめられたクロスボールが送られる。ホームの福島Uが勝利への執着で負けるはずもないが、この場面では相手が上だった。痛恨の同点ヘッドに、ゴールネットを揺らされた。

あと数分で、“最終戦”を勝利で締めくくれるはずだった。福島UのあるFWの頭の中では、数分前の思いがリフレインされたかもしれない。「ああ、このまま終わるのかな」。スコアを1-1とされた直後、電光掲示板にはアディショナルタイムの目安が「3分」と表示された。

11月23日、J3リーグの最終節が各地で行われた。J3元年の最後の試合を、福島Uはホームで迎えていた。この試合の前日に5万6000人超を集めてJ1優勝を争ったような、頂上決戦などではない。同じ時刻にJ2複数クラブが神経をヒリヒリさせていた、上位リーグ昇格のチャンスを奪い合うような最終戦でもない。だが、時崎塁にとって特別な一戦だった。サッカー選手としてピッチに立てる、最後のチャンスだったからだ。

来季に向けての動きを、クラブはすでに始めている。その一つが、新体制スタートのための現体制見直しだ。最終節を前に、クラブは来季の契約を結ばない選手たちを発表していた。そのうち2人が、琉球戦のピッチに先発として立った。ベンチにも同じ境遇の選手が2人。1人は負傷者が出た前半のうちに交代出場した。残された1人が、今季限りでの引退を決意していた時崎だった。

クラブの公式サイトでは「DF」と紹介されているが、この日の登録は「FW」だった。また別の肩書がある。「銀行員」だ。

J3では、サッカーだけで生計を立てられる選手は少数派だ。琉球の薩川了洋監督は「アルバイトで月2万円しか稼げない選手もいる」と話す。福島Uの選手たちも例外ではなく、クラブのスクールコーチなどを務めているが、銀行で働く選手はさらなる少数派だろう。いや、時崎以外にはいないはずだ。

クラブに加入した時には、すでに福島県を本拠とする東邦銀行で働いていた。湘南ベルマーレなどで活躍した実兄の時崎悠に誘われて、東北社会人リーグ2部で挑戦をスタートさせた。2007年のことだ。

時崎は「山あり谷ありでした」と振り返るが、生半可な8年間ではなかっただろう。クラブは経営難に見舞われた。最初のJFL昇格の挑戦は、全国地域サッカーリーグ決勝大会で弾き返された。その翌年には未曾有の悲劇に襲われた。2011年3月11日、「フクシマ」の名が悲しい形で世界中に知られることになった。「いつかは」と夢見た福島UのJリーグ入りの瞬間を、現役選手として迎えられることはないだろうと、時崎は思っていたという。

夢は夢で終わらなかった。リーグにもクラブにも課題は山積だが、今年誕生したJ3リーグの一員として福島Uは迎えられた。J3を取り巻く環境は厳しい。それでも、「福島に対する思いと選手たちの強い気持ちが一体となった結果だと思う」とJリーグ入りを振り返る時崎には、特別な舞台だったはずだ。

Jリーグ入り後も、個人的な辛さはあった。開幕戦には先発した時崎だが、早々に出番を失った。4月には、頬骨を骨折している。8月のFWへのコンバートは、出場機会を意味しなかった。9月末には、「シーズンを振り返って、今後を考えた」結果、現役引退を決意したという。夢見たステージに幕が降りる瞬間が迫っていた。

アディショナルタイムの失意、そして歓喜

最終戦には、1929人の観客が集まった。J1を見慣れた人には、寂しい数字に映るかもしれないが、3ケタ止まりの試合も少なくない福島Uのホームゲームでは、今季3番目の「大入り」だった。

それだけに、残念な前半だった。互いに動きと仕掛けるリスクに欠け、時間の流れが遅い45分間となる。

だが、後半には試合が活気を取り戻す。人とボールがゴールへ向かう動きが増え、58分にはCKから福島Uが先制する。1点リードのまま試合は進み、ファンが待ち望んだ選手交代の瞬間がやって来た。苦しい時代から、クラブを支え続けた選手への花道。74分、ピッチに入る背番号7に大きな声援が送られた。

交代出場の1分後、いきなりチャンスがやって来た。あまりのビッグチャンスに時崎自身が驚いたのかもしれない。右サイドからのクロスが、ファーサイドでフリーになっていた時崎へとピタリと届く。後は決めるだけ。だが次の瞬間、スタンドはため息に包まれた。至近距離からのヘディングを外したシーンを、時崎が振り返る。「このまま終わるのかなと思った」。頭によぎったのは、終盤に先制しながら追いつかれ、1-1で終わった昨季JFL最終戦のことだった。

残念ながら、現実が時崎の予感とシンクロを始める。負ければ福島Uに順位を逆転される琉球は、意地を示す。次々と攻撃的な選手を投入し、福島Uのゴールへと選手を送り込む。前掛かりになった琉球の裏を突き、福島Uもカウンターを仕掛けて相手GKと1対1の場面をつくり出すが、決まれば大きな追加点となるシュートは、ゴールわずか左へそれていった。

そして、その時はやって来た。アディショナルタイム突入の瞬間の同点ゴール。電光掲示板と同様に、福島Uファンの頭はブラックアウトした。

だが、ストーリーは終わっていなかった。試合はもちろん3分間が残されている。何より、選手たちが勝利を諦めていなかった。その最前線に、時崎はいた。

痛恨の同点ゴール被弾から1分後、残された時間は2分を切っている。琉球のペナルティボックス内、ゴール右にいた時崎は、ボールを持った鴨志田誉と「目が合った」。中距離の鋭い縦パスが足元に入ると、1トラップして鋭く反転。「あのトラップで、ゴールを狙うと決まった」。DFとGKの間に見える細い道の先、逆サイドの隅を狙って右足を振るう。願いを込めたシュートが、ゴールネットと観客を揺すった。「ここまで支えてもらったサポーターと、喜びを共有したかった」。時崎は、歓喜が爆発するスタンドへと駆け出していった。

福島Uの栗原圭介監督は、こう語った。「彼が8年間、実直にサッカーと仕事の両立をしてきた結果を、神様が見ていたのだなと思います。なかなかできることではないし、そういう姿勢が結果につながるのだと、身をもって伝えてくれました。今後、福島Uの活動を続けていく上で、大切なことを残してくれたと思います」。

殊勲のFWは試合後の引退セレモニーで、1度だけ言葉に詰まりかけたが、最後まで涙を見せずに挨拶を終えた。「悔いなしです。最高のサッカー人生でした」。心の底から出た言葉であることを、全身を包む充足感が物語っていた。

クラブには「この先、J2、J1へとステップアップしていき、地域密着のクラブとして大きくなってほしい」と夢を託す。そして自身にも、「一流の銀行員を目指します」と夢を思い描く。

福島Uと時崎の新たなチャプターが、また幕を開ける。

フリーランス・ライター/編集者/翻訳家

1975年生まれ。新聞社で少年サッカーから高校ラグビー、決勝含む日韓W杯、中村俊輔の国外挑戦までと、サッカーをメインにみっちりスポーツを取材。サッカー専門誌編集部を経て09年に独立。同時にGoal.com日本版編集長を約3年務め、同サイトの日本での人気確立・発展に尽力。現在はライター・編集者・翻訳家としてサッカーとスポーツ、その周辺を追い続ける。

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