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<ルポ>「外国人技能実習生ビジネス」と送り出し地ベトナムの悲鳴(1)ベトナム人はなぜ日本に来るのか?

巣内尚子研究者、ジャーナリスト
ベトナムの子どもたち。筆者撮影、ベトナム北部近郊の村。

これまでに多数の課題が幾度も指摘されてきた日本の「外国人技能実習制度」。しかし、「日本で働きたい」との強い思いを胸に、この制度を通じて日本へとわたるベトナム人技能実習生が増えている。ベトナムの若者たちは、なぜ国境を超え、日本にやってくるのだろうか。一方、日本ではこれまで、国内における実習生の課題が多数伝えられてきたが、技能実習生をめぐる問題は日本だけではなく送り出し国の事情も深くかかわっている。今回、送り出し地でいったい一体何が起きているのかを追いたい。

◆「国策」としての出稼ぎ者送り出しと家族の生計を助けるための日本行き

ベトナムの子どもたち。若者の中には海外行きを希望する人が少なくない。筆者撮影
ベトナムの子どもたち。若者の中には海外行きを希望する人が少なくない。筆者撮影

日本へ行きたい――。

海外で働きたい――。

私はベトナムでこうした言葉を多数の人から投げかけられた。

ベトナムから海外への労働者の送り出しが拡大し、日本などで働くベトナム人が増えているからだ。

日本では近年、企業の投資先として関心を集めているベトナムだが、同国はいま「国策」として労働者の海外への送り出しを推し進めており、移住労働者の送り出し国としても、注目されてきている。出稼ぎ者から本国への送金が期待される中、ベトナム政府は移住労働者の送り出し拡大を目指しているのだ。しかし、ベトナム人移住労働者の中に、就労先での長時間労働や低賃金、虐待など数々の課題に直面している人がいることも、ベトナムからの移住労働の一つの側面だ。

そんな中、日本行きを目指すベトナムの人たちはなにを思い、国境を超えるのだろうか。

「家族を助けるために、日本に行きます」

あの日、私が訪れた小さな教室で、ベトナム人の学生たちは少し緊張しながらも、覚えたばかりの日本語でこう語ってくれた。

それは2014年の9月、ベトナムの首都ハノイ市郊外にある、技能実習生として来日する人たちに向けた日本語訓練センターでのことだった。

この訓練センターは、日本に技能実習生を送り出す送り出し機関(仲介会社)によって運営されていた。 

ハノイの中心部。都市では開発が進む。一方、経済成長の中で格差も広がる。筆者撮影。
ハノイの中心部。都市では開発が進む。一方、経済成長の中で格差も広がる。筆者撮影。

ベトナム人が日本や台湾、韓国など、海外に移住労働に出る際には、各種の手続きを代行するとともに、企業や雇用主とのマッチングや面接の機会を提供する送り出し機関(仲介会社)を利用することが一般的だ。

利用する送り出し機関(仲介会社)や面接の結果などによって渡航前訓練の期間は異なるが、技能実習生としての来日を希望する学生たちは渡航前訓練センターで数カ月~1年間ほど日本語を学んでから、技能実習生として日本へ渡ることになるケースが多いと言われている。

私が訪れた技能実習生向けの渡航前訓練センターは、ハノイの郊外にある新興開発地域の一角にあった。

その日は、まだまだ暑い季節で、小さなビルの1階にある教室のドアは開け放たれていた。授業の時間になると学生たちがおしゃべりをしながら、あるいは友人と連れ立って、教室に続々と集まってきた。

気温が高くても、教室にクーラーはない。それでも、学生たちは気にする様子もなく、にこにこしながら席についた。

教室は日本の小学校の教室の半分くらいの面積で、そこに小さな机やいすが詰め込まれており、十分なスペースがあるようには見えなかったが、これから日本に行こうとする技能実習生の候補者たちはそうした環境に文句をいうこともなく、真剣な面持ちで授業を受けていた。

ベトナムの親子。筆者撮影。
ベトナムの親子。筆者撮影。

私が教室に入ると、学生たちはにこやかに会釈してくれた。

制服なのか、お揃いのユニフォームを身につけている。女性たちは長い髪の毛をきっちりと後ろにまとめ、男性は髪の毛を短く切り揃えている。はつらつとして若々しく、そして元気いっぱいの雰囲気を持つ学生たちだった。

学生の年齢は、20代前半から30代前半で、男女はほぼ半数といったところ。農村部を中心に地方出身者が多く、渡航前訓練の期間中は、訓練センターのある都市部に出てきて、センター付属の寮で共同生活をしているケースが少なくないという。

訪問したセンターでの日本語教育は、ベトナム人の教師が文法などをベトナム語で教えた後、日本人教師が、学生たちが覚えた文法や文型を発話させたり、発音を確認したりする形をとっていた。

その日は日本人の教師が担当する日で、学生たちが以前に教えられた表現を実際に口にして話すという授業が行われていた。これから日本へ行くという学生たちは真剣そのものだった。

ベトナムの親子。筆者撮影。
ベトナムの親子。筆者撮影。

授業を担当していた日本人教師に話を聞くと、技能実習生として日本にわたる若者たちは、とにかくよく勉強し、日本語の習得に熱心だという。

教室には、「5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)」のような日本の製造業の現場で重視される言葉が書かれた紙もはってあり、ここが単に日本語を学ぶ場ではなく、日本での技能実習生としての就労に向けた教育を施す場所であることが分かる。

この教室で学ぶ日本語は、技能実習生が日本で就労する際に欠かせないものだ。それだけに必死で勉強するのだ。

◆社会保障の未整備と格差の広がり、家族のつながりが暮らしを支える「命綱」

ベトナムの親子。筆者撮影。
ベトナムの親子。筆者撮影。

授業の様子を見学した後、学生一人ひとりに質問する機会をもらった。日本語を学び始めてからまだ数カ月という初級の段階だという。名前、年齢、出身地などから聞いていったが、たどたどしいながらも学生たちは丁寧に答えてくれた。子どものいる人は私のノートに自分の子どもの名前を書いてくれたりもした。

「なぜ日本に行きたいのですか?」と質問してみた。

すると、学生たちは口を揃え、「家族を助けるために日本にいきます」と、その理由を話してくれた。

ベトナムでは、経済成長を続ける一方、経済格差が広がっている。海外への出稼ぎは、国内にいるだけでは豊かになることの難しい層の人々にとって、自分と家族の生活を大きく改善する可能性を持つものとしてとらえられている。

さらに、社会保障制度の整備が道半ばのベトナムでは、社会インフラの未整備を家族や親族による助け合いが支えている面が少なくないことも、海外出稼ぎを促す一因だろう。

親の老後の世話は子どもたちにゆだねられ、子どもたちが親の暮らしを経済的にも支えている。また、ベトナムでは女性の労働参加率が高く共稼ぎが一般的なこともあり、祖父母が孫の面倒をみたりするなどして、若いカップルの暮らしをサポートすることも当たり前に行われている。

若者が就職すると、その稼ぎを故郷の両親に送ることも多い。中には最低限の生活費だけ手元に残して給与の大半を送ってしまう人もいる。

ベトナムの親子。家族の助け合いが社会を支えている。筆者撮影。
ベトナムの親子。家族の助け合いが社会を支えている。筆者撮影。

また社会保障制度が十分に整備されていない中、医療費や教育費は家計の負担になっている。医療保険に加入していない人もおり、入院や手術の費用が数十万円を超えたという話もきかれる。こうした高額の医療費は庶民にとって大変な負担となる。

こうした中、技能実習生の多くが、家族の生活を改善したり、維持したりするために、現金収入を得ることを必要としているのだ。それもベトナムでは通常では稼ぐことのできない、より多くの収入を。

◆小さな子どもを故郷に残して日本に行く20代の女性

ハイズオン省の村。技能実習生は農村出身者が少なくない。筆者撮影。
ハイズオン省の村。技能実習生は農村出身者が少なくない。筆者撮影。

この訓練センターで学ぶ20代後半の女性、ヒエンさんもそうして家族を助けるために日本行きを決めた一人だった。無駄な贅肉のないすっきりとした体つきに、やや日焼けした顔は凛としていた。髪の毛は後ろですっとまとめ、化粧気はないものの、強いまなざしを持つ女性だった。

ヒエンさんはベトナム北部ハイズオン省の出身だ。 

ハイズオン省は首都ハノイ市から60~70キロほどのところにある省だ。

もともと農業を地場経済の中心とする地域だが、最近は工業団地が整備され、製造業の進出が進んでいる。日本企業の工場も進出している。ハノイからのアクセスが良い上、北部の主要な港湾都市となっているハイフォン市にも近いことが進出企業にとって魅力となっている。

それでも、現地を訪れると、あたりには田んぼや畑が広がり、牛やニワトリの姿もみられ、農村の景色が広がっている。季節ごとに様々な花が咲き誇り、田畑があちこちに見えるその景色はどこか日本の田舎を思い出させる。

「バインダウサイン(Banh Dau Xanh)」という緑豆を使った甘いお菓子もハイズオン省の産品だ。口にするとほろりとくずれる甘くやさしい味のこのお菓子を口にすると、その素朴な風味が、ハイズオン省という土地の風土を感じさせる。

農村の家。筆者撮影。
農村の家。筆者撮影。

ヒエンさんは既に結婚しており、幼い子どもが2人いる。それでも、子どもを故郷のハイズオン省の家族にたくして、日本に行くのだと、覚えたばかりの日本語で一生懸命に教えてくれた。

その表情はすこし緊張しながらも、これから始まる日本での技能実習生としての就労への期待にあふれていた。

話すうちに緊張がとけてきたのか、私になれてきたのか、彼女はすこしだけ笑顔を見せてくれるようになった。

子どもを残し、家族と離れて日本へわたることは簡単ではない。それでも、彼女は日本には大きな希望があると思っているようだった。

しかし、日本における技能実習生の就労状況を思いながら、私はヒエンさん、そして他の学生たちから顔をそむけたくなった。それは、これまでに多々指摘されてきた技能実習生をめぐる課題が頭にあったからだ。

多くの問題を思い浮かべると、ヒエンさんにそれ以上かける言葉がみつからなかった。いったいヒエンさんは今後どうなるのだろうかと、彼女の顔をみながら、私は言葉を失った。(「拡大する『外国人技能実習生ビジネス』と送り出し地ベトナムの悲鳴(2)」に続く)

※この記事は、「週刊金曜日」7月8日号に掲載された「ベトナム人の希望に巣食う『外国人技能実習生ビジネス』 」に加筆・修正したものです。

■用語メモ

【ベトナム】

正式名称はベトナム社会主義共和国。人口は9,000万人を超えている。首都はハノイ市。民族は最大民族のキン族(越人)が約86%を占め、ほかに53の少数民族がいる。ベトナム政府は自国民を海外へ労働者として送り出す政策をとっており、日本はベトナム人にとって主要な就労先となっている。日本以外には台湾、韓国、マレーシア、中東諸国などに国民を「移住労働者」として送り出している。

【外国人技能実習制度】

日本の厚生労働省はホームページで、技能実習制度の目的について「我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力すること」と説明している。

一方、技能実習制度をめぐっては、外国人技能実習生が低賃金やハラスメント、人権侵害などにさらされるケースが多々報告されており、かねてより制度のあり方が問題視されてきた。これまで技能実習生は中国出身者がその多くを占めてきたが、最近では中国出身が減少傾向にあり、これに代わる形でベトナム人技能実習生が増えている。

研究者、ジャーナリスト

東京学芸大学非常勤講師。インドネシア、フィリピン、ベトナム、日本で記者やフリーライターとして活動。2015年3月~2016年2月、ベトナム社会科学院・家族ジェンダー研究所に客員研究員として滞在し、ベトナムからの国境を超える移住労働を調査。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。ケベック州のラバル大学博士課程に在籍。現在は帰国し日本在住。著書に『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』(花伝社、2019年)。

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