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18歳に伝えたい国際政治のリアリズム

橘玲作家

オバマ大統領が現職の米大統領としてはじめて広島を訪問し、「『核のない世界』の追求」をあらためて訴えました。

じつはオバマ大統領は、就任直後の2009年4月、プラハで「核兵器を使用したことのある唯一の核保有国として行動する道義的責任」を宣言し同年のノーベル平和賞を受賞しています。ところが大統領の任期を終えるいまになっても、具体的な成果はなにひとつありません。「ノーベル平和賞はたんなる空約束」との批判を意識して、今回の広島訪問を決断したのでしょう。

広島・長崎の悲劇を知る日本人だけでなく、世界じゅうのひとたちが70年前から「核のない世界」を求めてさまざまな活動を行なってきました。それなのに核兵器を廃絶できないのはなぜでしょうか。

1998年にパキスタンが核実験を行ないますが、その理由はカシミール地方の領有権をめぐって3度にわたって戦争を行なったインドが核を保有しているからです。そのインドは1974年に核実験を成功させますが、これは領土をめぐって1962年に中国との紛争(中印国境紛争)が起きたあと、64年に中国が核兵器の保有を宣言したからです。

中国共産党はソ連の後ろ盾を得て国民党との内戦に勝利し中国を統一しますが、60年代になると政治路線のちがいから両国ははげしく対立します。中国が核開発を急いだのは、“仮想敵国”となったソ連が核兵器を保有していたからです。そのソ連が核兵器を持ったのは、第二次世界大戦後に軍事的に敵対することが確実なアメリカが、広島と長崎で原爆の威力を見せつけたからです。

このように因果論をたどるとアメリカが悪いようですが、そうともいえません。アインシュタインがルーズベルト大統領に核開発を求めたのは、ヒトラー率いるナチスドイツが「究極の殺人兵器」を先んじて手にすることを恐れたからでした。もしドイツが先に核兵器を開発すれば、ヒトラーはその使用を躊躇しなかったでしょう。

こうした負の連鎖によって世界の主要国が核兵器を保有することになったのですが、それでも幸いなことに人類を滅亡に導く核戦争は起きていません。これは偶然や幸運ではなく、ちゃんと理論的に説明できます。それがゲーム理論でMAD均衡と呼ばれる「相互確証破壊」です。

MAD(狂気の)均衡の理屈はものすごく単純です。相手が大量の核兵器を持っていれば、先制核攻撃は大規模な反撃を引き起こし、けっきょく自分たちも滅亡してしまいます。政治家や国民が合理的であれば、そんな事態を望むはずはないから核戦争は起こらないのです。

こうしてゲーム理論は、きわめて不愉快な宣託を告げます。この理屈では、もっとも危険なのはどこかの国が核兵器を廃絶して、核のバランスが崩れることなのです。なぜなら、一方的に有利になった核保有国には、先制攻撃をする合理的な理由が生まれるのですから。

これは社会科学でもっとも評判の悪い理論ですが、「核戦争は起きない」との予想が当たっているのも事実です。日本でも18歳に選挙権が引き下げられ、マスメディアは「啓蒙」に熱心ですが、若いひとたちには「核のない世界」というきれいごとだけでなく、国際政治のリアリズムもちゃんと伝えたらどうでしょう。

『週刊プレイボーイ』2016年6月6日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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