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ほんものの「ブラックスワン」はどこにいる?

橘玲作家

6月24日の国民投票でイギリスのEU離脱が決まったと思ったら、ラマダン(イスラームの断食月)に合わせたようにIS(イスラーム国)の関与するテロが続発しました。6月28日にイスタンブール空港が武装したテロリストに襲撃され(死者48名、負傷者238名)、7月1日にはバングラデシュの首都ダッカの高級レストランで日本人7人を含む民間人20人が死亡するテロが起き、フランス革命を祝う7月14日には観光地ニースで花火見物の群集に向けて大型トラックが暴走、84人が死亡200人以上が負傷する大惨事が起きました。さらには翌15日、トルコで軍の一部がクーデターを起こし、エルドリアン大統領が宿泊していたホテルを襲撃、テレビ局などを占拠しました。

わずか3週間のあいだにめまぐるしく大事件が起きたことで、その間の参議院選挙はすっかりかすんでしまい、7月末の東京都知事選は茶番劇のような扱いです。

フラクタル(複雑系)理論の創始者ブノワ・マンデルブロに師事したヘッジファンドマネージャー、ニコラス・タレブは、私たちが生きているのは正規分布の統計学で予測できる「確率世界」ではなく、平板な日々のあとに突如とてつもないことが起きる“べき分布”の「複雑系世界」だとして、それをブラックスワンと呼びました。「白鳥(スワン)は白い」という常識は、オーストラリアで黒いスワンが見つかったことで一夜にして覆されてしまいます。同様に、2001年9月11日の同時多発テロや08年9月のリーマンショック、11年3月11日の東日本大震災と福島原発事故のような「とてつもないこと」は、それまでの世界を一変させてしまうのです。

この理論はきわめて魅力的なのでたちまち普及し、びっくりするようなことはすべて「ブラックスワン」と扱われるようになりました。

しかし冷静に振り返れば、EU統合の夢が破れたのは2005年にフランスとオランダが国民投票で欧州憲法の批准を否決したときで、14年の欧州議会議員選挙でイギリス独立党が第一党になったことでイギリスのEU離脱は現実的な可能性になりました。

ヨーロッパにおけるテロの脅威は、15年1月のシャルリー・エブド襲撃事件と、同年11月のパリ同時多発テロ事件が「ブラックスワン」で、翌16年3月には「ヨーロッパの首都」ブリュッセルがテロの標的になり、「新たなテロは時間の問題」といわれてきました。ニースの事件の衝撃は、大型トラックというどこにでもあるものが大量殺人に使われたことでしょう。

そう考えれば、「誰も予想していなかった」出来事はトルコのクーデター未遂事件ということになります。トルコでは軍部による政治介入が繰り返されてきましたが、1980年の軍事クーデターから30年以上たち、EU加盟を目指す民主国家として成熟してきました。多くの民衆が街頭に出て軍に抵抗したことからわかるように、もともと成功するはずのない企てだったのです。

しかしこの事件は、「独裁」を批判されるエルドアン大統領の権力基盤が予想外に脆弱なことを明らかにしました。IS掃討作戦の最前線に位置し、膨大な難民を堰き止めてもいるトルコで政変が起きれば、ヨーロッパは大混乱に陥るでしょう。これが世界の様相を一変させるブラックスワンにならないことを祈るばかりです。

『週刊プレイボーイ』2016年8月1日発売号

禁・無断転載

作家

作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。最新刊は『言ってはいけない』。

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