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「かわいそうな」シリア人と「かわいそうでない」イエメン人??

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

アラビア半島の南西端に位置し、大部分が砂漠気候に属するはずのイエメンが、この10日余りの間に2つの大型サイクロンの襲来を受けた。観測史上稀に見る事態に、暴風雨、洪水、土砂崩れ、家屋の倒壊など被害が予想され、欧米の報道機関も国際機関も少なからぬ関心を払った。しかし、この自然災害を待つまでもなくイエメンで多くの人々が緊急の援助が必要な窮状に瀕していることは、どのくらい世間の関心を引いただろうか?2011年に勃発した「アラブの春」以後の政変と紛争により焼き尽くされようとしていると言えば、まずシリアを連想される読者が多いだろうが、この点については実はイエメンも大差がない。国内の諸当事者が抗議行動や改革要求を政治的に妥結させることに失敗した点、外部の当事者が紛争収束の見通しも収束後の国造りの構想もほとんど持たないまま軍事介入を続けている点、紛争に便乗して「イスラーム国」やアル=カーイダが勢力を拡大している点、そして何よりも、イエメン国民が政治の混乱と紛争の激化の被害を一身に被っている点は、シリア紛争で生じている被害や悲劇と何ら劣るところはない。イエメンの人口はおよそ2500万人~2600万人であるが、国際機関などの推計によるとこのうち半分が飢餓に瀕し、全人口の80%が支援の必要な境遇に追い込まれている。

本稿の意図は世界の国々や国際機関などがイエメンの紛争や人道危機に有効な対策を講じていないことを非難することではない。そして、いわゆる国際社会がイエメンの問題について無関心なわけでも当然ない。9月28日にはニューヨークにて26の国と機関が参加してイエメン人道状況会合が開催され、この問題について共同声明を発表した。共同声明には、イエメン国民の多くが支援を必要としている中、支援に必要な資金が不足しているとの呼びかけも含まれていた。日本もこの会合に参加し、世界食糧計画を通じて460万ドル相当の食糧援助を行うと表明した。なお、日本は2014年末からの累計で4000万ドル相当の対イエメン援助を約束・実施しているとのことである。日本政府が約束する援助や資金拠出は、比較的短期間のうちに実行に移されるため、気前よく拠出約束をしてもいつ実行に移すか見通しも立たない国々もある中で、この点は評価すべきものらしい。

しかし、破壊と殺戮の規模やその被災者の数の面で似通った状況下のシリアと比べ、なぜイエメンは注目を集めないのだろうか?シリアとイエメンの両国民、そしてそれ以外のあらゆる国の国民が人類として同じ価値を持つ生き物であるのなら、このような事態は早期に原因を究明し、イエメンの窮状にもシリアにおけるそれと同様の関心と対処をすべきものである。現在の状況を招いた原因として、「シリア人は難民としてEU諸国に殺到しているのに対し、イエメン人はそうではない」、或は、「教育水準が比較的高いシリア人は先進国が受入れると“労働力”として活躍が期待できるが、全人口に占める高校卒業者数が3分の1に満たないイエメン人はそうではないので受入議論が盛り上がらない」と考えるならば、そこには重大な問題点がある。特に、越境移動についてより真剣に考察した場合、実は「紛争地などから脱出する人が多数いる」場合よりも、「窮状にも拘わらず脱出する人が少ない」場合の方が事態は深刻ともいえるのである。

越境移動には主に経済目的の「移民」と紛争や迫害から逃れる「難民」があると考えたとしても、越境移動をするか否か、どのような経路でどこに行くのかを決定する際の要因はおおむね共通だと思われる。より多数を対象に調査を繰り返して確実に実証しなくてはならないという課題はあるものの、越境移動をするか否か、そしてその行き先を決定する際に非常に影響力が強いと思われる要素は、行き先に先行して居住している親族がいるか否かである。すでに親族が居住している移動候補地が複数ある場合は、その親族を頼った渡航の手続きの容易さが、選択の際の重要な要素となる。また、越境移動を実行するならば、それには少なからぬお金や労力が必要だし、「難民」として移動するならば命の危険すら伴うのだから、移動する本人や関係者たちは、より確実に、より条件の良いところへ移動すべく情報を集め、彼らなりに合理的な判断をして越境移動をしていると考えられる。そうなると、越境移動の結果EU諸国などに実際に姿を現すシリア難民たちは、現地での支援を期待できる親族や、移動に必要なお金や情報を集めることができるだけの境遇と資質に恵まれているとすらいえる。これに対し、難民として国外に流出しないイエメン人は、受入国に親族がいない、移動に必要なお金や情報を調達できない、といったより恵まれない環境におかれている恐れがある。受け入れ先の諸国の住民や報道機関の目に触れやすいからシリア難民は「かわいそう」で、目につかないところにとどまっているイエメン人は「かわいそうでない」わけでは断じてない。

そうなると、イエメン人の窮状に適切な対応をするためには情報の発信と報道の量が重要になってくる。情報発信量や報道の量・質は、発信する側・報道する側と視聴者・出資者との関係によって決まる部分もあると思われるため、イエメンの情勢についての関心の高低について論じることは筆者の力量を超越している部分が多い。ただ、それにしてもイエメンでの紛争とその被災者たちのために関心を払うべきではないだろうか。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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