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モスル奪還作戦を契機に考えること

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
モスルの報道写真を検索すると勇ましく進撃するイラク政府軍などの写真しか出てこない(写真:ロイター/アフロ)

紛争と「人道的悲劇」が相次ぐ中東

2016年10月17日、イラクのアバーディー首相は「イスラーム国」に占拠されているモスルの奪還作戦を開始すると宣言した。モスルは元々人口規模でバグダードに次ぐイラク第二の都市であり、現在も150万人もの民間人が「イスラーム国」によって事実上囚われの身にあるらしい。同地を占拠する「イスラーム国」の立場から状況を見れば、収奪・略奪の対象としての大都市を失う軍事的・経済的打撃は大きいが、「敵対者である十字軍、異教徒、背教者によって殺戮されるムスリム」という彼らの世界観を演出できれば広報上の得点となるので、なるべくたくさんの民間人(特に「弱者」)が死傷する場面を撮影し、その模様を発信できればそれで十分という態度をとることも予想される。すでに国際機関などが警告しているように、モスル奪還が長期化し、「未曽有の人道危機」を招くことも大いにありうる。「国際社会」や報道機関は、モスルで被害にあうと予想される民間人の6分の1に相当するシリアのアレッポ東部で武装勢力の占拠する地域に留め置かれたシリアの民間人約25万人について、アレッポ東部を攻撃するシリア軍・ロシア軍に対し無差別殺戮、戦争犯罪との非難の声を上げているので、モスルについてもアレッポの状況の最低でも6倍の労力を割いて民間人の保護の手立てを講じるだろう。

このほかにも、中東は紛争とその犠牲となる民間人の例には枚挙に事欠かない。イエメンでは、2011年以来の政変がサウジアラビア率いる連合軍による軍事介入の本格化を経て、全人口の大半が何らかの食糧援助を必要とするほどまでに困窮している。特に、2016年10月8日には連合軍の「誤爆」によって葬儀の参列者140人余りが死亡するという事件も発生している。これに加えて、独裁政権を放逐し「民主化」したはずのリビアでも、今やイスラーム過激派を含む武装勢力の蟠踞だけでなく3つの政府が乱立する惨状を呈している。パレスチナ人については、かなりの虐待の被害をこうむってもほとんど顧みられなくなってしまっている。このようにしてみると、中東には紛争が続発し、人道危機にあふれている。しかし、日本だけでなく国際的にも個々の事例についての報道の量や、紛争の犠牲者に寄せられる同情や支援に著しい差がある。

「かわいそう」と「かわいそうじゃない」を決めるメカニズム

報道の量や紛争の犠牲者に寄せられる同情や共感に差があるからといって、それぞれの問題の深刻さや犠牲者の価値に差があるのでは決してない。シリア軍やロシア軍は「無差別に」攻撃しているが、アメリカ軍やサウジ軍は「何か配慮している」ので前者は「戦争犯罪者」でその犠牲者は「かわいそう」、後者は「正義の軍隊」でその攻撃による犠牲者は「たいしたことない」わけではない。シリア人権監視団が確認したと主張するだけでも、既にシリア紛争で30万人以上が死亡したことになっているが、その内訳は政府軍・親政府民兵が約10万人、民間人が約8万7000人、イスラーム過激派や「反体制派」の戦闘員の死者の合計は約10万人である。この死者に対し「死んで当然」といえるような者はいるだろうか?イスラーム過激派のテロリストやテロ組織の戦闘員ですら、彼らを生み出し、増長させた政治・社会的環境に対処しなくては本当の意味で問題に対処したことにはならないので、彼らを物理的に殲滅するだけで問題が解決したことにはならない。従って、紛争地で活動するイスラーム過激派のテロリストを殺しさえすれば、後は放っておいてよいことにはならない。

考えるべきことは、各地の紛争や、その紛争の犠牲者のそれぞれに対し、報道機関や世論の関心や、犠牲者に寄せられる同情や支援に濃淡があるのはなぜか、ということである。現実的な問題として、紛争、革命、民主化、テロ行為などの当事者が勝利するための条件として、「第三者からの同情や支援を取り付ける」という要素が非常に重要であることは否定できない。そうなると、紛争、革命、民主化・・・等々の当事者は自らが持つ人員・時間・労力・資金・技術・人間関係などの「資源」を可能な限り投じて、第三者からの同情や支援を得るための情報発信や働きかけをする。同時に、敵対者が第三者からの同情や支援を獲得することを可能な限り妨害する。「イスラーム国」が国家の枠を超えてヒト・モノ・カネのなどの「資源」や特定の人々からの支持や共感を得ることができたのも、情報発信の経路を確立し、訴求力のある情報発信をするだけの技術を持っていて時流に乗ったからだと考えることが可能だ。状況を落ち着いて観察・分析すると、個々の紛争当事者が「第三者からの同情や支援を取り付けられるか否か」は、各々が持つ情報発信のための経路や技術を含む「資源」の多寡とその使い方よって決まってしまうというとても非人間的な現実に直面せざるを得ないことが多い。その点、シリアで献身的に紛争犠牲者の救護に邁進する「ホワイト・ヘルメット」の人々は、報道機関へのアクセスや、訴求力のある情報発信のための技術という「資源」の重要性について熟知し、そのための訓練をよく受けている人々だといってよい

国際関係や安全保障上の優先順位の高低で判断して行動する諸国家や、限られた時間を配分せざるを得ない報道機関の裁量によって個々の紛争や地域に対する関心・同情・支援・働きかけに濃淡が出るのを責めればいいという問題ではない。しかし、何故そうした濃淡が生じるのかという仕組みについて、読者・視聴者が少しでも考えることはとても有益なことだ。現在の惨状を人類として見るならば、被害者本人やその親族の社会的属性や政治的立場によって「かわいそう」と「死んで当然」が区別されるようなことがあってはならないということは当たり前のように感じられるが、現実の世界はそうではなさそうだ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会など。

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