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Bリーグで存在感抜群のイケメンPGは心身ともにタフ!

青木崇Basketball Writer
五十嵐の非凡なバスケットボールセンスはまだまだ健在(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

Bリーグ1年目の今シーズン、故郷にある新潟アルビレックスBBでプレイすること決断した五十嵐圭は、イケメン選手としてメディアに取り上げられることが多い。しかし、2003年に中央大から日立(現サンロッカーズ渋谷)に入ってトップリーグでのキャリアをスタートさせて以来、故障で長期離脱することなくプレイし続けている。180cm、70kgという細身の体格ながら、コンタクト・スポーツであるバスケットボールで長い間トップレベルを維持し、36歳になった現在も試合で強烈な存在感を示せることは、すばらしい選手の証と言っていい。

五十嵐がこれまでのキャリアで最も休んだのは、トヨタ(現アルバルク東京)在籍時に右手を骨折したときと、三菱(現名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)時代にひざの半月板を痛めた際の1か月〜1か月半。今シーズンは、序盤の練習中に古傷のひざを痛めたことで2試合休んだのみで、ここ数年休まずにプレイし続けていることでも、心身ともにタフな選手であると理解できるはずだ。

「若いころは体のケアをそんなに気にしなくても元気だったと思うんですけど、30歳を超えたころから体のケアに時間を充てるようになっています。ストレッチの時間を増やすとか…。かといって自分の中では何かを変えるということでなく、ただケアの部分で費やす時間が年々増えていると感じますね」

日本代表の司令塔として世界選手権に出場した10年前に比べると、五十嵐の武器であるスピードは少し落ちたかもしれない。しかし、トランジションゲームで発揮される非凡なバスケットボールセンスは健在であり、今もB1トップクラスのポイントガードだ。「やるべきところとやらないところの緩急は、圭さんを見ながらやっています。オフコートでのコンディショニングの作り方は、学ぶことがいっぱいあるなと思います。大阪や西宮では得られなかったものだと思うので、本当に大事にしていきたいです」と語る畠山俊樹にとって、五十嵐の存在は自身をレベルアップさせるうえで大きなプラスとなっている。

質の高いプレイを長年できている理由はいったい何なのか? 筆者の頭に思い浮かんだのは、日本代表としてジェリコ・パブリセビッチコーチの下でプレイしたこと。世界と戦ううえで必要だった心身両面でのタフさを身につけるために、当時のメンバーは過酷と呼んでいいくらいの厳しい環境で、練習と試合を重ねていた。この経験が長いキャリアを過ごせている理由になっているのか? という質問に対し、五十嵐は次のように返答する。

「プラスになっていると思いますし、あれがあったから今こういう風にプレイできていると思います。今トップレベルでやっている選手たちも、ジェリコのときに代表に入っていた。折茂さんをはじめ、竹内(公輔、譲次)兄弟だったり、川村(卓也)だったりと、あの時の代表選手たちは今でもプレイしている選手が多い。僕なんかは若いころジェリコに育ててもらって、あういう世界での経験だったりとか、そういったものをさせてもらった。そこで自信になったものもありましたし、あういった経験があったので、長くプレイできているのかなと思います」

新潟は先週末、アウェイでの渋谷戦に連敗し、9勝10敗と勝率5割ラインから転落。結果が求められるプロチームである以上、五十嵐はチーム全体がレベルアップすることの必要性を痛感している。と同時に、まだまだ高いレベルでプレイできるという自信を持っており、向上心もまったく失っていない。“無事之名馬”にたとえるならば、B1で最も当てはまる選手という気がしている。

「もちろん長くプレイしたいというのはあります。今のコンディションを保ちながら…。ただ、結果をコートの中で、チームとしても個人としても残していかなければならないので、そういった意味ではまだまだ自分自身の足りないところ、努力してうまくならなければならないところがたくさんある。そういったところは若い選手に負けないという思いを持って、やり続けていきたいなと思います」

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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